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インペリアル・ホテル 第5章 博士に説明する

 松原影清博士といえば、日本の物理学会に名を残す人だ。敬介は、物理を専攻していたわけではないが、工学部で建築物の設計を学ぶ上で物理は欠かせない科目だ。高校時代から、必死で学習してきた。数学と同様、理系の科目は苦手ではないので、必要なことは飲み込んでいる。建築工学で必要となる強度の原理や詳細もすらすらと説明できる。建築士なら誰でも当然のことだろう。
 だが、物理学者のレベルとなると話しは違う。それは、量子力学や相対性理論などのこの世に存在する物質の原理原則を突き詰める学問となるからだ。実用的なものごとに直結することよりも「なぜ、どうして」を突き詰める基礎科学たる分野だからだ。これは、大学の物理学科に所属して極めていく学問だ。
 二十一世紀の日本においては、その最高峰は東京大学の物理学科だろう。つまり、大正時代でいえば東京帝国大学になる。その最高峰の物理学教授を目の前にしている。
 自分の曾祖父だったということで関心があり松原博士のことについては、本や雑誌で読んだことがある。父にも、少し話しを聞いたことがある。と言っても、父は、父にとっては祖父である松原博士とは顔を合わしたことがない。
 知っている限りの経歴では、生まれは明治維新の年、一八六八年。出身は長崎は大村藩の士族であり、藩校を卒業後、上京。その後、東京帝国大学の物理学科に進学、卒業後は、国費でイギリス、ドイツなどへ物理学を極めるため留学して帰国。原子の構造モデルなどを考案してノーベル賞受賞候補に挙がったこともあったと。その後、結婚。二女一男を授かる。その一男こそ、敬介の祖父である。一九二二年、当時世界的な物理学者であったアルベルト・アインシュタインが来日時に対面をする。アインシュタイン・ブームが日本中で起こった時、「相対性理論」の講義を日本中で行ったとか。その後、著名な物理学者として名を馳せ続けたが、一九三五年、胃癌により六七歳の生涯を閉じる。父が生まれる前の歳だ。
 玄関に入り、まず気付いたことは、暗いということだ。今の時間は、午後四時半といったところだろうか。手につけた腕時計は、そうなっている。この時間も正確なのかは分からない。しかし、外の様子からしてその辺りの時間であることは確かだ。気温から季節も夏といっていい。しかし、室内は暗い。電灯はないかと見ると天井に小さな電球の球がぶら下がっている。よく見ると明かりをともしている状態だ。しかし、これは四十ワットもないようなほのかな明るさだ。
 そうか、かつての日本の家屋には、蛍光灯などなかった。電灯といえば白熱球でワット数も少なかった。当時の電力事情と技術水準からいえば当然で、まだ、アルコールを使ったランプなどが一般家庭では使われていたと聞く。
 靴を脱いで上がり、廊下を歩く。造りは和洋摂取というような感じだ。大正時代の趣がする。博士がさっと書斎らしき部屋のドアを開けた。
 敬介は中に入った。博士が続き、ドアを閉める。大きな机が置かれていた。かなり重厚で、ヨーロッパ製だということが一目で分かる代物だ。アンティック・ショップで数百万円で売っているような机だ。本棚、調度品、柱時計。どれも大正時代か明治時代のような貫禄を醸し出している。柱時計の時刻は、敬介の腕時計より少し遅れて四時二十分を告げていた。大きな机の前に腰掛けが二席ほど置かれていた。真ん中に小さなテーブルがあった。敬介は、博士に座るようにすすめられた。敬介は窓側の腰掛け椅子に座ろうとした。ふと窓の窓ガラスを見る。外の景色がところどころのスポットで歪んだ状態で見える。そうだ。かつての窓ガラスは、表面にでこぼこがあり、近付くと外の景色に歪んで見えるようになっていたらしい。そんなことを思い出しながら、敬介は椅子に座った。
「さて、君。名は何という? どうしてわしのところに来た? それに何でこんな不思議なものを持っている」
 博士の目はぎらぎらとしている。敬介は思った。この人は物理学者だ。そして、自分と血のつながった曾祖父なのだ。どんな奇想天外な話しでも、少しは耳を傾け理解してくれるだろう。ありのままを言おうと決心した。
「僕の名前は松原敬介です。生まれは、一九七二年です。あなたにとってはひい孫に当たります。愛知県の明治村というところにある旧帝国ホテルのライト館にいましたところ、地震が起きまして、揺れがおさまって気付いたら、大正時代に帝国ホテルがあった東京に来たみたいらしくて。それで、そうなると唯一のつてはあなたしか思い浮かばなくて、それで来ました」
 敬介が、淡々と話した後、松原博士は、眼をぎょろっとさせ、しばらく二人の間に沈黙が流れた。そして、
「は、一体なんだね。悪い冗談かな」
と博士は苦笑いを浮かべながら、急に不機嫌な顔になった。無理もない反応だと敬介は思った。
「今、あなたが持っているお札が、そのことを証明しています。それは、僕の時代のお札です。印刷の精巧さから、この大正時代のものではないと言えますよね」
 松原博士は、三枚のお札をまじまじと見つめる。
「ふうん」
と手触りを感じながら、端々を眺めている。
「お札の他に小銭もありますよ。それから、僕の身元を証明する免許証も」
 敬介は、財布をズボンから取り出し、小銭、と透明セルロイドの表面を通して見られる免許証を見せつけた。敬介の顔が、カラーで写され免許証のカードの中に刷り込まれている。
 またもや、驚きの表情を隠せない様子だ。小銭と免許証に書かれた年号「平成」を見て
「平成とは何だね」
「新しい年号です。一九八九年から始まります。その前の前が、大正です」
「ということは、君は未来から来たひい孫ということかね」
「ええ、つまりはそうなります」
 敬介の顔をじろじろと見つめながら、博士は、
「ふん、君はどうやら、わしをペテンにかけているようだな。こういうものを見せれば、珍しがるだろうと思って。わしが物理学者だからというので、こういうのに引き寄せられると思ってかね。未来からやって来た、それというのはイギリスで人気の「タイムマシン」とかいう小説の受け売りかい? 確かあれは未来へ旅立つ話しだったよな。過去にいくのではなく。君は、未来から過去に旅しに来たんだよね。君がいた未来とはいつなのかね」
と博士は、「こんな奇談は鼻から信じていない」と言いたそうな表情で話す。
「二〇〇八年です。僕は三十六歳です」
 敬介は、非常に真面目な表情で答えた。
「は、は、は、君はたいした役者だよ。こんなペテン師には会ったことはない。それも物理学者のわしに、こんなことをふっかけてくるとは。もっと、その類のことで騙されやすい人を選ぶんだったな」
 博士は、にたにたしながら言った。
 敬介は思った。博士の反応も無理はない。誰が信じるというのか、こんな荒唐無稽な話し。自分自身でさえ信じているとは言えないのだ。ああ、どうしよう、どうすれば信じて貰えるのか。敬介は考えた。
 そんな敬介を見つめながら、松原博士は吹き出しながら言った。
「二〇〇八年といえば二十一世紀だよな。そんな未来にできれば行ってみたいね。何かい、未来であれば、人間はテレパシーとかいうものを使って意志疎通をしているんじゃないのかな。離れたところにいても好きな時に交信しあえるような能力を未来人は身につけられているんだろう。君もそんなことができるのかね」
 そのとたん、敬介は打開策を思いついた。

第6章へつづく。
by masagata2004 | 2008-01-13 17:56 | 自作小説 | Trackback | Comments(0)


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