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自作小説「私を「スキーに連れてって」の時代に連れてって」 第1章 志賀高原へ

バブルの時代が、本当に幸せな時代だったのかを問い直す小説。


二〇一〇年三月 名古屋

 磯崎涼子は、十九歳。夜遅くの繁華街をぐてんぐてんに疲れた状態で歩いていた。高校卒業をしてから、一年近くが経とうとしていた。行きたかった大学にも行けず、卒業後は、不況のせいで、まともな就職先にも就けない。見つかったのは、コンビニのレジで、月十数万円程度。高校での成績は優秀だったから、どこかいい大学にでも行けそうだったが、学費など出せる状態ではないことはよく分かっていた。
 母、雪子と二人だけの貧しい同居生活を送っている。父の純平は、涼子が高校に入学したての頃、務めていた総合商社を解雇された。折り入っての大不況が雇用を直撃したためだが、純平は、そもそもあまり優秀な商社マンではなかったので真っ先にターゲットにされたといえる。そもそも三流大学出身だったが、二十年以上前は、バブルといわれる好景気だったため、さえない三流大出身の純平でも一流商社への就職ができた。まさに、若者は引く手数多の時代だったのである。
 覚えている限り、高校に入学してしばらく経ってまでは、やや余裕のある生活を送っていた。小学校から高校一年までは私立の学園に通っていた。休みの度に家族で旅行にでかけた。海外旅行も小学校の頃から何度かした。誕生日にはプレゼントを貰い、こずかいで人気アーチストのコンサートを学友とコスプレの服を着てみにいったものだ。
 お金に困ったという覚えは、それまでなかった。だが、純平が解雇、つまりリストラされてからは、一家の事情は一変した。退職後、純平は再就職先を探したが、不況に四十を超えた年齢でまともなところなど見つからず、収入は絶たれ、貯金も退職金もつき、家のローンも払えなくなり、安アパートに引っ越し、涼子は通っていた私立学園を高い授業料が払えないため退学せざる得なくなり、公立高校に転入した。父は失業状態が続きノイローゼになり、専業主婦からパート通いになった母とけんかが絶えず、ついには離婚。父は、疲れ切って禿頭に老け面となって涼子と雪子の前から姿を消した。
 離婚後、母はどんどん体の状態が悪くなり、幾度と入院することになった。母は、涼子が子供の頃から父と離婚するまでの間、父との出会いのきっかけを自慢気に何度となく話してくれた。それは、母が若かった頃、大流行した映画「私をスキーに連れてって」がきっかけだったという。涼子も、レンタルのDVDで、その映画を観たことがある。
 映画は、三上博史演じるさえない商社マンが、スキー場で出会った原田知世演じるいかした彼女に一目惚れ、得意のスキーの腕で彼女を惹きつけ、すれ違いながらも、スキーを通して恋を成就するというストーリー。
 母は、生まれと育ちが長野の志賀高原だった。スキー場のホテルに務めていた雪子は、偶然、軽快にスキーをする父と出会い、商社マンであること、スキーの腕が最高で、あまりうまくない自分が手取足取り教えて貰い、気が付いたら愛し合っていたという馴れ初めだったとか。
「お父さんって、映画の三上博史みたいに本当にかっこよくて、スキーがプロ並みにうまかったのよ」と口癖のように言った。
 だが、不思議なことに涼子は、生まれて一度としてスキーに連れて行って貰ったことがない。何度か、父のスキー姿を見たいから連れてって、とせがんだが、都合のいいことを言ってはぐらかされた。
 今では、その父はいない。母は元気がなく、いつも寝込んでいる。仕方なく、涼子が生活を支えるため働きに出る。地獄のような日々だ。本当は大学に行きたかった。いい大学に出て、いい会社に勤めたいと思っていた。
 だが、自分だけではなく多くの同世代の者にとって、大学進学や正社員としての会社勤めは、非常に難しくなっている。高度成長とバブルの時代は終わり、日本経済はどん底へと陥っている。国民の間の格差は広がるばかり、貧困層は増大。涼子を含め、ワーキングプアと呼ばれる「働けど貧困」という境遇が深刻な社会問題になっている。父と母の若い頃とは大違いの世情になってしまった。
 どうして、自分がこんな目に?、と涼子は、最近、考えるようになった。バブルの頃は、どんなに幸せだったのだろうか。そんな時代を涼子は知らない。父と母が出会って恋をした黄金時代とは、どんな時代だったのだろう。あの「私をスキーに連れてって」のような若者がレジャーを楽しみながら恋も楽しめた時代って。あの時代はスキーが大ブームだったって。今では、あまり人気がないのだけど。
 そんな時代を羨むのと同時に、妬みも感じるようになった。自分は、不幸な時代に生まれてしまった。若いのに夢も希望もない。お先真っ暗な時代。
 そんなことを考えながら歩いていると、
「よう、涼子ちゃん」と声をかけられた。



 最近、頻繁にコンビニに来て、レジでわざとらしく買い物をしてくる男だ。年は、三十ぐらいで、名はアキラとかいう。どんな仕事をしているのか知らないが、はぶりがよくお金持ちなのは分かる。いつも着ているアルマーニのジャケットやロレックスの腕時計と乗り回しているスポーツカーで、それが分かる。
「今夜は、一緒に飲みに行かねえか? 疲れをすっと飛ばしてさ」
 歩く涼子に合わせるように車をのろのろと進ませる。
「何度も言っているでしょう。いやよ、私はあんたのような人なんて相手にしたくないの。それに飲みに行きたくなんてないわ」
「ほう、だったら、どんなことならしたいんだい? 飲むのが嫌なら、それ以外の希望を叶えてやろうじゃないか。何でもおごってやるから」
 男が、にやにやとしながら言う。涼子は、その「希望を叶えてやろうじゃないか」という言葉にピンときた。ふと頭の中で沸いたことがあったので思わず口に出して言ってみた。
「ねえ、どうせなら、今からスキーに連れてってくれない。志賀高原がいいわ」
「志賀高原、車だと五時間はかかるぞ、それにスキーなんてなんでしたいんだ?」
「私をナンパしてものにしたいのなら、そのくらいしてみせてよ。これから行けば、明け方前にはつくでしょう。どこかホテルに泊まって、明日、朝になったら、思いっきりスキーをしたいの。いいでしょう」
 涼子は、ウィンクしながら微笑んでアキラに言った。アキラは、どきっとした反応を見せた。
「よっしゃ、いこうぜ、志賀高原だな。ホテルに泊まって、思いっきりスキーをしようぜ」
 涼子は、さっとスポーツカーの助手席に乗り込んだ。車は、急にスピードをあげ、志賀高原に向け突っ走った。
 助手席に乗ると、涼子は、即座に眠り込んでしまった。

 目を覚ました。
「おい、着いたぞ」とアキラの声。
 涼子は目を覚まし、車窓からの光景を眺めた。ああ、これがスキー場なのか。白い斜面が立ちはだかる。もう夜は明け、朝日に白銀が照らされた状態であった。スキー場とはこんな姿をしているのか、生れて初めて見る光景だった。そして、ここが父と母の出会いがあった場所だったのか。
自作小説「私を「スキーに連れてって」の時代に連れてって」 第1章 志賀高原へ_b0017892_2318230.jpg


第2章へつづく。

この小説の著作権は、このブログの管理者マサガタこと(筆名:海形将志)に帰属します。許可なく転載などしないでください。盗作など御法度ですよ。
by masagata2004 | 2009-09-01 23:12 | スキー | Trackback | Comments(0)


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