旅小説「私を沖縄に連れてって」 第5章 ウミンチュウになる

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い。

まずは第1章から第4章までお読み下さい。

 辺奈古漁港は、本島の東海岸に位置する。目前に広がる海は太平洋だ。快晴で爽快な海だ。
 安次富の小型漁船「ヘナコ丸」に一緒に乗り込んだ。安次富は「ほら、用意しといたよ」と言って荷物箱を開き、龍司にウエットスーツとサングラス、水中メガネを差し出した。船はエメラルドグリーンの海原へと発進した。
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 船を出してどこまで行くのかと思いきや、数分ほどで止まった。停まったところで船の操縦櫓の屋根に旗を立てた。
「この旗は、今、漁師が舟の下で潜水をしているということを示すものだ。ここはイノーというところだ。つまり浅瀬、俺たちの漁場は主にここになる。今から、潜ってティラジャーを獲るから見ていろ」
と言って水中メガネとウェットスーツを身につけ、手に網袋を持った安次富は海へ飛び込んだ。
 しばらくして、安次富が浮上してきた。網袋一杯に巻き貝を入れいている。船に上がり、袋からそれを四角い箱に落とす。
「さあ、今度は一緒に潜ろう」
と安次富。ウェットスーツに着替えいていた龍司はサングラスを水中メガネに替え、一緒に水中へダイブした。
 透き通った海で、深さは三メートルもない。そして、底の砂場に寝ころんでいる巻き貝を拾い上げ網袋に入れていく。安次富が実演をすると龍司は袋を渡され同じことをした。
 同じことをするのは実に簡単なことだった。特に龍司は、潜水が得意だ。五分ぐらいは潜っていられる。ここに来て水泳部と水球部で活動していた経験が活かせる時が来た。
 安次富が浮上している間も、どんどん貝を袋に入れていった。そして、浮上する。
「さすがだな」
と船上の安次富が言った。龍司は網袋から貝をごろごろと落とし入れた。安次富の取った分を含め箱一杯になっていた。
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「これは、この後、陸に揚げ殻を剥き、排泄物を取って競りに出す。この量と質だと、ざっと三千円くらいといったところかな」
 龍司は、箱の中を見つめ殻に入った状態で身がうごめくこま貝の姿に不思議な感動を覚えた。こうやって、貝が海から取り上げられ市場に運ばれ、ついには食卓へ並べられるのか。その最初の地点に自分がいる。
 工業化された現代から狩猟採集の原始時代に戻されたような気分だ。もっとも、原始時代から現代までずっとこの仕事は続いていたが、ただ気にかけることが少なかっただけなのかもしれない。
「さあ、今日はこれでお開きだ」と安次富。
「え、帰るのですか? もっと獲ればいいのに」
「これから、名古に行って、競りに出しに行く。一通り漁業というのを覚えてもらいたいからさ」
と安次富が言うと、船は漁港へと戻った。
 戻ると、すぐに貝がどっぷり入った箱を軽トラックに積み、運転して沖縄本島西海岸側にある名古漁港の水産市場へ向かう。車で一五分ほどで着いた。漁港の近くは辺奈古とは違い商店街や市役所、市民会館の並ぶ市街地だ。辺奈古地区は、本島北部の西海岸から東海岸に連なる名古市の中にあり、名古市の中心部は名古漁港の周辺地区である。
 そこで、まず殻向きと洗浄作業が行われる。女性ばかりのその場所に龍司は加わった。どのような手順を踏むのか知っておくためだ。
 そして、巻き貝たちは身だけになって競りに出される。地元の料理屋や魚屋の人々が来ていた。ほぼ三千円で売れた。昼食を近くの食堂で食べ、その日は、それで仕事が終わった。
 辺奈古に戻った後、詰め所に置かれた用具類の整備や洗浄、掃除をするように言われた。たいていは分担してするのだが、龍司は見習いということなので見習い期間中は一手に担うように命じられた。ま、当然のことだろう。
 一人で作業が終わった後は、夕暮れになっていた。安次富が来て、夕飯に誘った。安次富の家だ。門につがいのシーサーのある鉄筋二階建てだ。食事は安次富が作り、龍司と、その他、数人の漁師仲間が来ていた。晴れた日なので、庭にテーブルを置き、それを囲んで夕飯を取ろうということだ。
 安次富は、十年ほど前に妻が亡くなり、夫婦の二人の子供たちは、長男と長女共に内地の方へ大人になると移住してしまったという。
「この新入りの仕事第一日目に乾杯」
と泡盛を今日獲れたばかりの魚や貝の刺身、島らっきょう、ゴーヤなどの沖縄野菜を並べたテーブルの前で飲んだ。こういう仲間が集まって、のんびりとお喋りすることを「ゆんたく」というのだそうだ。夕焼けと涼しい潮風に吹かれ、早朝の衝撃的な体験はすっかり記憶から消されていた。
 



翌日は、漁師仲間の一人、下地が指導することになった。それは延縄を使った漁法だ。
 二人でイノーに入り、長さ百メートル以上の縄に数十センチ毎に針がついており、針に餌をつけ、先端に浮きをつけ、漁場に広げる。約三百ぐらいに針に数匹ほどの魚が食らいつく。それを数時間ほど待ち、引き揚げる。
 食らいつくのは主にミーバイ(ハタ類)だ。その他、どんな名前が付くのか分からないが、南国らしいカラフルな魚の数々が獲れる。
 そして、陸揚げして市場に持っていくと、血抜きをして、競りに出すのだ。
 その次の日は、安次富の指導の元、水中銃での漁法を学んだ。またその次の日は、イノーから離れ沖に出ての一本釣りを学んだ。沖に出ると海の色がエメラルドグリーンからマリーンブルーに変わるだけでなく、波が一気に荒くなる。その違いが実に面白いと感じた。そして、時には海亀やマンタに出会うことがある。
 だが、漁業はほとんどイノーの中である。イノー漁法が沖縄の伝統であり、それが長年に渡りウチナンチュウの生活を支えていた場所なのである。内地では、こんな豊かで美しい浅瀬はあり得ない。沖縄らしい漁場であり、漁業だと龍司は感じ取った。俺は、ただの漁民になるのではない。ウミンチュウ(海人)になるのだ。
 八月下旬、漁業は旧盆(ウークイ)のため中止になる。旧盆は内地でのお盆休みが終わった後に始まる。辺奈古では、先祖の霊を送迎するためエイサーと呼ばれる儀式が執り行われる。独自の衣装を身につけた若者たちが太鼓や弦楽器を鳴らしながら集落の一軒一軒を回るのだ。先祖の霊の送迎にしては実に陽気なところが沖縄らしい。内地の川辺で行われる精霊流しとは正反対である。
 また、旧盆ならではのスポーツイベントも執り行われる。ハーリーと呼ばれる古式ボートの手漕ぎ大会だ。船の右舷と左舷それぞれにオウルを持った人間が列をなし、両列がオウルを同時に漕ぎ進んでいくのだ。

 そんな楽しい旧盆の休みが終わると、さっそく漁業を始めるが、すぐさま、沖縄の風物詩、台風の到来となり、また、漁業を休むこととなった。台風は予報が来ると、漁師たちは船が埠頭にぶつかるなどして傷つかないように牽引して陸に揚げ避難させる。
 台風の後、また漁業は始まる。そして、見習いは続いた。
 龍司は、性に合っているらしくすごい呑み込みでウミンチュウの仕事を覚えていった。狩猟採集の人類の原点に戻った感覚は、東京のコンクリートジャングルでの圧迫された日々と比べると実に自然で爽快なものだった。同時に人間らしさを取り戻したような気がした。もちろん、不安がないことはない。まだまだ見習いの身で一人前としてやっていけるのか、このウチナンチュウの世界に溶け込んでいけるのか、考えてみると不安が尽きない。
 だが、ここまで来たらやるしかないと思った。
 半年が過ぎ、内地では冬の季節になるが、沖縄では秋になったような感覚で、冬とは思えない適度な暖かさである。龍司は、寒がりなので、そんな沖縄の気候が気に入っていた。
半年経った。この時、兼ねてから抱いていた疑問の一つが解けた。それは漁港に建ている鉄筋の立派な漁業保全・研修所という標示のつけられた建物が全く使われていないことだ。
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 何でも、それは漁民が求めていたものではなく、数年前に国からの補助金による公共事業の一環として建てられたものだったと。内部には冷凍室などの立派な設備があるという。つまりは「ハコモノ」であり、地元の土建屋を潤すための事業でしかなかったというのだ。
 そもそも、獲れたものは名古漁港まで持っていき競りに出すのだから、こんなに立派で大きな建物は必要ない。折角だからといって、使うと維持管理費がかさみ、かえって迷惑な長物だという。
 全く、あきれる話しだ。だが、龍司にはもう一つ解けていない疑問があった。なぜ、この漁港の網元である安次富は、自分を見習いとして迎え入れたのだろうかと。確かに泳ぎは得意だし見かけからして体力はある方だ。だけど、ここに来て感じたのは、生まれや育ちが沖縄でない、ウチナンチュウのいう内地人、別の言い方だとヤマトンチュウをわざわざ迎え入れる必要性が、果たしてあったのだろうかということだ。新入りを迎えなければいけないほど人手に切迫している状況ではない。おまけに自分のようなこれまで漁業経験のない東京からの男をなぜ、 それも電話一つでOKしてくれた。これこそが沖縄人の気質というのか、疑問でならなかった。
 そして、その疑問は、モズクの養殖が始まり、四月の収穫期が近付く頃になって解けることとなった。

第6章に続く

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by masagata2004 | 2010-09-19 19:51 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)
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