旅小説「私を沖縄に連れてって」 最終章 真の海人

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い

まずは第1章から第20章までお読み下さい。

 それから数週間後、突如、日本政府は普天間飛行場の移設先を前政権がアメリカと決めた通り、辺奈古にすると発表した。昨年の政権交代以来、アメリカと交渉を続けてきたが、アメリカの方は当初案から一歩も譲らなかった。そして、結果、大騒ぎをした挙げ句、当初案に戻ったのだ。
 抑止力として、沖縄の海兵隊のプレゼンスは必要であるとして、当初案通りにするのがやも得ないとの結論に達したとのことだ。
 その決定の発表後、沖縄は一気に怒りに包まれた。当初から辺奈古案を支持していた人々も、散々期待を抱かされた挙げ句、弄ばれ裏切られたということで、むしろ反対に回ってしまった人も出たほどだ。
 発表後、首相は当初案に戻ることでお詫びを兼ね沖縄に出向いたが、首相が県知事に会うために訪れた県庁近くではプラカードや横断幕を抱えた人々が集まり「できれば国外、最低でも県外」という公約を破り、当初案に戻った主民党政権とその首相に抗議の意志を示した。
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 県知事は、当初、公約の実行は難しいとして県内移設を容認する立場であったが、県民の怒りの声があまりにも大きいがため「受け入れることは非常にむずかしい」と首相との会談で述べた。
 しかし、日米両政府は、辺奈古が最善の案だとして当初案通りに実行する共同声明を発表した。そして、それが日本政府の最終決定であることを明白にするため閣議決定もした。
 怒りはますます強まった。本土では、政権交代しても変わらず、アメリカのいいなりになる政府に対する失望感が広まった。日本は、未だにアメリカの属国のままかと。だが、遠い沖縄での問題だとして、やむなしと見る考えも広がり、発表後、本土では関心が急速に薄れていった。だが、ウチナンチュウには、辺奈古に滑走路を造る案など到底受け入れられない。
 
 そんな折り、龍司は疲れ果てたヘインズと会った。二人で、トニーが落ちた崖の上に立って海を眺めていた。結局、滑走路が造られることとなった辺奈古の海だ。エメラルド・グリーンと薄い青色のコントラストが実に美しい。
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 真下を眺めると、急な崖だ。絶壁ではないので、腰を下げ滑り落ちるようにすれば怪我もせず麓の海岸に降りようと思えばできないことはない。だが、それも日の明るい昼間だからできることで、照明が全くない真っ暗な夜にそれをしたら危険極まりない。
 それをトニーはした。そして、死んだ。事故だったのか自殺だったのかは分からない。真っ暗だったから走った先に崖があるのを気付かなかったのかもしれない。しかし、夜中でも、そこが崖の先端だということは、近付けば何となく分かるような地形であり、星の光とそれに反射する海面はぼんやり見えたはずだ。それは、あの晩、トニーを追いかけた龍司やヘインズでも分かったほどだ。しかし、トニーは崖の先端にまで来ても立ち止まれなかった。それほどまでに追い詰められた状況だった。そして、追い詰めたのはトニーの実の父親だった。トニーが存在さえ知らない父親で、死ぬまで父親であることを知らせることができなかった人だ。
 ヘインズは、トニーが死んだ事件が起こった後、謹慎処分を受けていた。彼が指導する部隊の隊員が脱走を企て、その隊員を連れ戻すため個人的に接触したものの、その隊員が死んでしまう結果になったためだ。トニーの死は、軍によってトニー自身の過失による事故死として片付けられた。しかし、ヘインズには対応の不手際があったと指摘され、訓告と一週間程度の謹慎処分が下された。
 だが、ヘインズは謹慎が解かれた後に、自ら休職を願い出た。精神的に軍務を継続することが難しい状況にあるためだ。
 その申し出は認められ、ヘインズは三ヶ月程度休職することとなり、その間に沖縄に配属されて以来、帰ってない故郷に帰ろうということになった。何よりも、会わなければいけない人がいる。それは、トニーの母親であり、ヘインズの元恋人であったドロシーだ。二十年ぶりの再会になる。そして、それは実につら過ぎる再会となる。しかし、自らの責任として、しっかりと彼女にことの経緯を伝えないといけない。
「沖縄には、そのあと戻ってくるつもりか?」
と龍司はヘインズに訊いた。
「さあな、今のところ、私は海兵隊を辞めるつもりはない。しかし、考えなければいけないことはたくさんある。ドロシーと会って、すべきことをして、じっくり考えるつもりだ」
 ヘインズは、深く落ち込んだ表情でそう言った。すでに電話と手紙でドロシーにトニーの死は知らせた。あとはトニーの遺体をドロシーのところに運び、どのようにして死んだのかを説明しなければいけないのだ。きっとドロシーは怒り狂うに決まっている。だからこそ、電話や手紙ではなく、きちんと自分の口から話したいとヘインズは思っているのだ。
 存在さえ知らなかった父親と偶然にも再会したというのに、その父親が追い詰めて殺す結果になったとは。幸か不幸か、その人が実の父親であったことを知らないまま死んでしまった。
「結局、この海に滑走路ができることになったことは知っているだろう?」
「ああ」
「あんたの国の勝ちだな」
「だが、沖縄の人は怒り心頭だろう。私たちはますます憎まれるな」
「ふん、そうはいっても、俺はあんたとあんたの国を憎めないよ。それだけ、俺たち日本人はアメリカという国に親しんでいるんだ。ハリウッド映画とか、インターネットとか、ディズニーランドとか、そういうソフトパワーで憎めないようにさせられている。だから、今度のことでも、日米の関係は変わらないだろうな」
「ほう、そりゃ驚きだ。世界中からアメリカは嫌われているものだと思っていたが、日本では、そうではないんだな」
「ああ、原爆落とされ戦争に負けて憎んだけど、その後、民主主義を教えられ経済復興を手助けしてもらい、国を守って貰った歴史があるからな」
「君はどうするつもりなんだ? 抵抗はしないのか」
「するつもりさ。俺と俺の仲間は、相も変わらず、いやそれ以上に反対だ。政府が何を決めようが絶対に造らせない」
「そうか、しかし、簡単ではないんだろう」
「ああ、いっそのこと、日本とアメリカが、もう一度戦争するかと思うぐらい、国をあげてあんたらに反発が起こればいいんだけど。そうすれば、普天間とか辺奈古とか沖縄どころではなく、日本にある米軍基地を全て追い出せという気運が高まるぐらいでないと、この問題は解決できっこない。そのくらい根が深いんだ。しかし、それでも俺はやる」
 龍司が、そう声を荒げて言うと、ヘインズは、にんまりして、
「何にせよ。頑張れよ。俺は何の助けにもなってやれないが、幸運を祈るよ」
と言った。


 八月
 ボーリング調査の再開が発表された。政権交代以来、環境アセスメント調査は、移設先変更の可能性があったため中止されていたが、辺奈古に結局、舞い戻ったため、再開の運びとなった。
 ボーリング調査の作業船が、海に来るという知らせを聞いて、沖縄県内外の反基地及び環境保護活動家が集合し、作業阻止行動を開始した。
 内地では、もう終わったことになっていて、基地問題の報道は急激に少なくなったが、沖縄では未だ最大の関心事だ。地元紙とテレビ局は、その後の経過と反基地活動を大きく報道し続けている。
 まだ、この話しは終わっていない。まだ、沖縄では新基地が建設されることを認めたわけではない。断固阻止のため戦うのだ。
 龍司は、安次富と洋一と一緒に船に乗っていた。すぐそばには、ブルーピースのモーターボートが来ていて、そこにはセーラがいた。
 龍司はセーラに声をかけた。
「セーラ、大丈夫なのか。君の国の政府に背くことになるんだぞ」
「大丈夫よ。私たちの国には言論の自由というものがあるのよ。それに、これは人類共有の自然資源を保護するための戦いよ。日本の南極海での捕鯨を反対するのと同じことよ」
とセーラ、はつらつとした表情で言葉を返す。
 漁船やモーターボートの他にゴムボートやカヌーも多数、海上に浮かんだ状態で、ボーリング調査の行われる予定の珊瑚礁の真上にいる。また、上空には、この阻止行動を撮影しようと報道用のヘリコプターが数機飛んでいる。阻止の船やカヌーが集まっているところから離れた海にも報道のための船が数隻浮かんでいる。
 さらに離れた漁港と浜辺では、阻止と抗議のため数百人もの人々が集まり、横断幕にシュプレキコールを上げ続けており、実に緊張した雰囲気の漂う場になった。
 
 そして、正午になって現れた。ボーリング調査の作業船だ。さっそく、この場所に八ヶ月ぶりに櫓を建てようというのだ。
 その作業船から少し離れた海上には、警備のための海上保安庁の船が数隻航行している。これから、また、海上での取っ組み合いが始まるということか。
 やってやろうじゃないか。龍司は思った。米軍の基地建設をめぐり、日本人同士が対決している。何とも見苦しく滑稽な姿に思えた。
 と、その時、また、別の船がやってきた。小型のモーターボートだが、すぐに海兵隊の船だと分かった。人が一人乗っていて操縦している。操縦しているのも海兵隊員のようだ。サングラスをして、黒色のTシャツに迷彩色のズボンを着ている。いったいなぜ、まさか訓練でもあるまいし。多くの人の注目が、その海兵隊員に注がれた。
 ボートはカヌーや漁船が集まっているところの数十メートル先で止まった。ボートの左側には並ぶように作業船と海保の船が浮かんでいる。
 龍司は、ボートに乗っている男を見て驚いた。龍司のよく知っている人物だ。
 チャーリー、チャールズ・ヘインズ曹長だ。あ、そうか、休職から戻ってきたのか。しかし、いったい何をしに来たのか。ヘインズの乗っているボートには機関銃が台に乗せられ備え付けられている。操縦席から船首方向を射撃できるような形だ。
 しかし、変だ。今度の滑走路建設工事に海兵隊が関与することになっているとは聞いていないぞ。これは日本の業者が日本の税金でするプロジェクトだ。米軍は出来上がるまで任せっきりであり、海上の警備は日本の海上保安庁がする仕事だ。海兵隊が、そんなことに加わるなんて主権侵害になる。
 それになぜヘインズが? どうも変だ。三ヶ月も休職していて戻ってきたばかりのはずなのに。
 龍司は大声で声をかけようとした。何のつもりか訊きたかったのだ。
 ところが突然、ヘインズは台座の上の機関銃に手を置き、銃口を龍司や活動家たちに向けた。軍服姿で銃口を向ける姿勢。一瞬、恐怖がみなぎった。そして、
 パ、パ、パ、パという機関銃発射の炸裂音が海上に響いた。耳の鼓膜が破れるような音と共にカヤッカーと共にカヌーは転覆。船の上の者たちは身をふせた。
 龍司も身を伏せたが、炸裂音が鳴り響くのに耐えられず、すぐに海へと飛び込んだ。ウエットスーツを着た状態で潜り、水面に顔を出さない状態で、水中をぐいぐい泳ぎだした。目指すはヘインズのいるボートだ。

 船尾に来た。さと起きあがり、飛び魚のように跳ね上がり船上に入った。
 それに気付いたのか、ヘインズは龍司の方を見つめる。お互い知っている仲のせいもあり、大男は、にこっと微笑んだ。
 龍司は怒りを爆発させ、全身の力を振り絞り男の顎にパンチを加えた。男は、どたっと倒れ込んだ。
 ああ、何てことだ。どうして、こんなことにまでなったのか。




 機関銃の発射音は止まり、あたりは急に静まった。
 龍司はボートの床に仰向けで倒れ込んだヘインズを見つめた。口から血が流れている。龍司は怒りと混乱の錯綜する気分になっていた。何という暴挙だ。だけど、理解できない。ヘインズが、そんなことをするなんて。いったい、どうして。
「チャーリー、あんたどうしてそんなことを?」
と龍司は話しかける。だが、恐る恐るだ。この大男は何をしでかすか分からない。何といってもベテラン海兵隊員だ。そのうえ、尋常ではない精神状態だ。
「ハハハ」
とヘインズが大きく笑う。龍司はぞっとした。
 龍司は、機関銃の銃口の方向を見た。銃撃を受けた海面を見渡した。カヌーが何隻も転覆している。
 しかし、おかしなことに気付いた。あれだけの銃撃を多くの人が受けたはずなのに、海面には血が全く流れていない。
 そして、海面からカヌーに乗っていた人々が姿を現した。ひっくり返ったようだが、怪我は全くないようだ。船に乗っていた者も、静まったせいか、恐る恐る立ち上がって辺りを見回している。
 信じられない。明らかに機関銃からおびただしい数の銃弾が放たれたはずなのに、明らかに彼らを狙って撃たれたはずなのに。  
 龍司は機関銃を眺めた。火薬の匂いがする。そして、薬莢が床に数多く落ちている。機関銃には撃ち残される前の弾倉がぶら下がっている。
 龍司は弾倉を見て、どうして誰もが怪我をしていないのかが分かった。これはみんな空砲だ。銃には詳しくないが、そんな龍司でも分かる。銃弾に火薬が詰まっていない。あくまで発射のための火薬が少量あるだけだ。
 ヘインズが立ち上がった。龍司と向き合う。相変わらず笑みを浮かべる。ますます不可解だ。何のために、空砲なんて使って、こんなことを。
 ボートに対し海保の船が近付いてきた。日の丸をつけた船だ。それに対し反対側から、星条旗をつけた軍警察の船が近付いてくる。
 海保の船が先に接近した。すると、ヘインズは、それに飛び乗った。
 ヘインズは言った。
「私を逮捕してくれ」
 上空では報道のヘリコプターが飛び回っている。
 龍司は、ヘインズがなぜこんなことをしたのか理解できた。

 その日の晩、夕刊、そしてテレビのニュースは大々的にヘインズの犯した銃撃事件を報じた。何といっても、銃撃をした瞬間を収めた映像がある。それが繰り返し流された。
 それは沖縄だけのニュースではなく、全国的なニュースとなった。沖縄県民だけでなく全国民が怒るニュースとなった。
 現役の海兵隊指導教官が、抗議運動をしている市民を標的に銃撃をしたというのだから。ヘインズは軍のボートと武器を無許可に使用したと発表された。公務中ではなく休職中の身分だったため、日本の警察により現行犯逮捕されたということで、日本側が身柄を拘束し、日本の警察により取り調べ、当然のこと起訴され裁判を受けるということが決定した。
 ヘインズは取り調べに対し、犯行の動機は、抗議運動をする日本人が憎かったためと悪意があったことを認めた。銃弾が空砲だったのは、ボートを見て、とっさに拝借することを思いついたので、銃弾が空砲であったことを知らず、実弾だったと思い発射したと述べた。殺意が大いにあったことを認めたのだ。もし、実弾であったのなら、数十人単位の死者を出す虐殺事件になったことは間違いない。
 事件により、当然のこと、沖縄中で米軍に対する反発が怒濤の如く起こった。即、県民による大規模な抗議集会が開かれ、県内移設など言語道断、海兵隊も、その他、米軍も即、撤去されるべきだという決議がなされ、各地方自治体や県議会でも同様の決議が次々と、それも全会一致でなされる事態となった。
 それは沖縄だけでなく、内地にある米軍基地を持つ自治体でも同様に起こり、自分たちの町にある米軍基地を即、撤去せよという運動が急速に勢いを増した。
 また、反基地運動は基地の町だけでなく、日本国民全体の感情として広がっていった。今まで信じていた、米軍は日本を守ってくれているということが全くの幻想であると、この事件で気付かされたのだ。
 米軍側は米兵個人の凶行として切り離そうとしたが、ヘインズが指導教官の身分だったこともあり、そんな言説では説得力はなかった。
 ヘインズは殺人未遂の容疑で裁判を受けることになった。自ら有罪であることを認めているため裁判は長くかからないということになった。軍からは、当然のこと不名誉除隊の処分が下された。
 
 ヘインズの裁判が進行する中、日本では反米軍基地運動が盛り上がり、そして、いつの間にか、普天間基地の移設問題は暗礁に乗り上げ、それだけでなく、日米安保体制そのものを見直そうという動きまで起こった。
 それは基地が日本国民の反米感情を増す要因となり続ける限り、アメリカの国益を損ねるという理由でアメリカ側から縮小や撤去の申し出が来た。
 もう冷戦時代とは違い、日本に軍事基地を置くことに戦略的価値はない。そもそも、冷戦後は、思いやり予算による経費を節約する理由で駐留していたのに過ぎない。
 日米同盟は軍事だけではない。政治や経済など他分野に及ぶ。基地のことにこだわり続け、このまま両国の関係がぎくしゃくするのは両国と両国民にとって不幸なことだということで見直し論議が進み、さっそく、普天間基地をはじめとする沖縄の海兵隊基地の国外撤去が決定した。
 また、日本政府は、これ以上、国民の理解を得られないまま思いやり予算を支出し続けることはできないとして、予算の大幅削減を決定し、それは同時に在日米軍全体の大幅削減へとつながった。基地は、沖縄と本土で次々と返還の運びとなることが決まった。日米安保条約も10年以内に破棄となる可能性が強まった。当然、自主防衛のための論議が本格的に始まった。

 ヘインズが辺奈古で逮捕されてから一年が過ぎた。ヘインズは殺人未遂で有罪。三年の実刑判決が下った。

 龍司はよく分かっていた。ヘインズの真の目的は報道で流れたり裁判で証言したものとは違うことを。誰も憎んでなどいなかった。最初から空砲であると分かっていて銃撃をしたのだ。
 辺奈古に基地を造らせないことだったと。沖縄県民と日本国民を苦しめる米軍基地を撤去させることが真の目的であったのだ。結果、その通りになった。
 しかし、自らを犠牲にしてまで、なぜ、そんなことを。それだけ沖縄の人、日本の国民に想いがあったのか。それも説明がつく。
 ヘインズは、自らと自らにとたんの苦しみを味合わせた軍に対し、仕打ちをしたかったに違いない。
 父親としての体を奪い、唯一の息子さえも奪った。基地周辺に住む人々や、基地から派遣された部隊により苦しめられる戦場に住む人々だけが被害者ではなかった。基地の中で軍人として軍務を担う彼らも大いなる被害者となっているのだと思い知らされた。

 早朝、龍司は辺奈古の海に浮かぶ漁船の上で刑務所に入ったヘインズに対し想いを馳せていた。
 同じ漁船には、セーラがいた。彼女に頼まれ、海中の生物調査に出ているところだ。
 セーラもヘインズのことは真相を理解していた。表には出ない真の目的。それが表に出ることはヘインズ自らが望まないことである。だからこそ、ヘインズのことに対しては誰にも何を訊かれても、特別な意見は言わなかった。自分たちはヘインズのことをよくは知らない。何度か偶然、顔を会わしたぐらいの仲で、なぜあんな事件をヘインズが犯したのか理解できない。おそらく、報道で言い伝えられていることで、だとしたらとんでもない暴挙であるとしかいいようがないという具合に答えるだけだった。
 だからこそ、辛かった。二人はその意味で辛さを共有する仲になった。セーラは、事件の後すぐショックでフロリダに帰ったものの、最近になってまた沖縄に戻ってきた。
 それは、このキャンプ・ヘナコの返還地跡に、日米で共同使用する海洋研究所が設立されることになったからだ。
 生物多様性の宝庫であるこの辺奈古の海を日米の海洋学者により調査研究しようという提案が、事件による反米感情を和らげる目的でなされた。
 セーラが、その研究所の研究員の一員になることが決まった。セーラ自ら、その共同研究所の提案者の一人でもあった。学会や環境保護団体の仲間に呼びかけ、実現にこぎつけたのだ。
「わたしはどうしても、ここでしっかりとした研究をして、沖縄や日本の人々に喜ばれる成果を上げたい。それがヘインズの自らを投げ打ってしたことに報いることだと思うの」
 セーラは悲しそうに言った。ヘインズのことを思えば思うほど気が重くなる。
「これからずっと沖縄にいるのかい?」
と龍司はセーラに訊く。
「ええ、そうよ。ずっとここに住むことになるわ。日本語をしっかりと勉強しないといけないと思ってるわ。龍司、教えてくれるかしら」
 セーラが大きな笑顔をつくって言う。何だか龍司に迫ってくるような口振りだ。龍司は、そんな表情を見ていると嬉しくなった。
 今、二人っきりで船の上にいる。二人だけで海のど真ん中に。この美しい海の上に二人だけで。そして、彼女は自分に気がある。
 今まで、何度かチャンスがあったが、活かせなかった。寸前のところで邪魔が入ったからだ。しかし、またチャンスが訪れた。今こそ彼女の気持ちに応えるのだ。
「もちろんだよ。喜んで。そうだな、まず、この言葉はどうかな。キミガ、スキダっていうのは」
「何それ? どういう意味?」
とセーラが言う。
「それはね、アイ・ラヴ・ユ・・」
とその時、大きな水しぶきが船の前で上がった。二人に水がざっとかかった。
 何事かと思って、その方向を眺めると、白い巨大な物体が海面に現れた。白い大きな魚、いや、イルカか。
「ジュゴンよ。ジュゴンだわ」
とセーラが言った。
「え、ジュゴン、それって、この辺りにいるといわれる海洋哺乳類の?」
「そうよ。フロリダにいるマナティと姉妹の関係にある生き物よ。すばらしいわ」
 龍司は、目を凝らしてみた。何と大きく美しい姿だ。体長は二メートルはある。これがジュゴンか、滅多に見られないという生き物。もう海兵隊は、この海には来ない。静かで安全になり、堂々と姿を現せるようになったということか。
 それは、まるで龍司とセーラに海を守ってくれたお礼をしているかのような現れ方だった。
 龍司は思った。そうだ、俺たちの海を守ったんだ。ジュゴンの住処であるこの美しい海を守ったんだ。
 守るべきものを守ったのだ。これこそ、真の海人(ウミンチュウ)のなすべきことなのだ。





この小説の著作権は、ブログの管理者マサガタこと、海形将志に帰属します。出版化の予定があるので、勝手に盗作などしないこと。許可なき転載も禁じます。ちなみに紙での製本版入手に興味がおありであれば、筆者のメールアドレス、masagata1029アットマークy8.dion.ne.jp までご連絡下さい。

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by masagata2004 | 2010-10-29 02:43 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)
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