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自作小説「白虹、日を貫けり」 第15章 ワルシャワ、ベルリン、ミュンヘン

テーマは、ジャーナリズム、民主主義、愛国心。大正時代から終戦までの激動の時代を振り返りながら考える。

まずは、まえがきから第14章までお読みください。

 ワルシャワは歓喜に満ちていた。帝政ロシアから解放され、国家としての主権を回復した人々は、晴れてポーランド人となったことを全身で喜んでいだ。すでに選挙もすませ、民主制を基礎とした国造りが着々と進んでいた。
 龍一は、人々から歓迎を受けた。龍一の素性を話すと、ポーランド人は皆、一様に好意的だった。龍一に、ポーランド人の血が流れていることと、一四年前、帝政ロシアを敗った大日本帝国の民であることが、人々に親しみを感じさせているようだった。
 母のことを探ろうと、もはや活動の必要のなくなった独立運動家に接触した。母の写真を見せ、「エヴァ・ワシャウスキー」は知らないかと聞いて回った。何人ものかつての独立運動家に出会ったが、誰もがそっけない返事をするばかりだった。探そうにも手がかりが少なすぎる上、二十年以上も前の話である。無理もなかった。
 そもそも、こんな事態になることは予想していたので、龍一は落胆しなかった。それよりも、記者として独立国家ポーランドを取材することに力を注いだ。国籍はないが、同じ血が流れている者としてポーランドは祖国であり、喜びも分かち合えた。母が生きていたら、このポーランドを見せたかったと感じながら、筆を取りルポルタージュを続けた。

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 ポーランドに滞在すること三ヶ月、取材すべきことは終わったと感じた龍一は、ベルリンへ向かった。母のことは、ワルシャワで知り合った元独立運動家のヤンという名の自分と同じ年ぐらいの男に託すこととした。母の写真と素性などの情報を記した紙を渡し、もし、何か発見があれば、連絡をしてくれとドイツでの滞在先と大阪朝夕の連絡先両方を教えた。ヤンは、快く引き受けてくれた。もちろん、何か発見があることなど期待はしていない。龍一は、こんな形で母の過去や家族を探る旅を締めくくることにしたのだ。

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 ベルリンに着いた龍一が、目の当たりにしたのは、独立の歓喜に沸くポーランドとは正反対の屈辱と落胆に苛まれた敗戦国の人々の姿だった。植民地や領土の一部を奪われ、国家としての支払い能力をはるかに超える賠償金が人々の肩にのしかかっていることをもろに感じさせる状況だった。
 龍一は、日本も戦勝国であり、ドイツから利を得た立場を考え、肩身が狭かった。出来るだけ、日本人であることを隠してベルリンを取材した。
 最も、悪いことばかりでもないということも、感じとった。十九世紀からの鉄と血の政策から軍事拡大の政策ばかりを進めてきたドイツ帝国が新しい民主国家として生まれ変わる時期とも言えた。
 その象徴が一九一九年八月に発布されたワイマール憲法だ。第一条に国民主権を明記し労働者の権利、生存権・社会権を認め、二〇歳以上の男女全てに参政権を認めるという有史以来最も民主的な憲法が制定されたのだ。普通選挙も婦人参政権も認められていない日本の一市民から見ると、羨ましい限りであった。「ワイマール憲法を民本主義の目標とすべき」と龍一は日本へ打電した。

 ベルリンの後に、バイエルン州の都市ミュンヘンに立ち寄った。
 
 そこで、龍一は、ある政治団体の集会を取材する機会を得た。最近、発足したばかりの団体で「ドイツ労働者党」と呼ばれる。党といっても党員数は数十人程度だが、だが、ミュンヘンに存在する五十もの政党の中で最も人気を集めていると聞いた。
 
 ビアホールで開催された集会に来ると、その党員の一人で名を「アドルフ・ヒットラー」という若い男が壇上に立って演説を始めた。
「我ドイツ民族は、有史以来、これほどの屈辱を味わったことはない。私は国のために戦った。だが、戦場から帰った我が祖国は、なんと惨めな姿になったことか」
 ホール全体に、男の低く勇ましい声が響き渡った。だが、話し方は、お世辞にも上品とはいえない。
「今のドイツ政府では、この国は破綻しかねない。民族の誇りを取り戻し、奪われた領土を取り戻さなければならない。そして、今こそ、民族の純血を守らなければならない時はなかろう。そもそも、ドイツは優れたアーリア人だけの国だった。そこにある民族が訪れ、彼らは我々の土地に住み着いた。我々は、寛大に彼らを受け入れた。ところが、奴らは、我々の寛大さにつけ込み、気がつくと我々の純血を汚し、我々の国の経済を牛耳り、文化を汚染した。ここに反ユダヤへの結束を求める。この美しい国から、ユダヤを排除しないとドイツは疲弊していくばかりだ」
 男の話し声は、完全にがなり声に変わっていた。これは、もう演説ではない。だが、聴衆の反応はいい。拍手がところどころで起こっている。
 龍一は、じっと見ていることができず、ビアホールを出ていった。何という下劣な演説だと思った。いくら不満があるからといって、反ユダヤ主義を利用して聴衆を駆り立てるとはおぞましい限りだ。ユダヤ人が、何をしたというのか。たまたま宗教や価値観が違うからといって、不満解消の標的としていいのか。
 龍一は、心の底から思った。どうせこんな連中は、ドイツでもほんの一部に過ぎない。ドイツはゲーテやシラーのような優れた文学者を生んだ国だ。それにワイマール憲法も制定された。知的で理性のある人々が住む国なのだ。あんな男のような集団に牛耳られるようなことはないだろう。

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 龍一は帰国の途に着くことにした。ミュンヘンからマルセイユ行きの列車に乗ろうと駅に向かうことにしたが、ホテルを出ようとしたところでフロントで思わぬ電報を受け取った。それにはこう書いていた。
「あなたのお祖父さんが見つかりました。至急ワルシャワに戻ってください、ヤン」
 全くの驚きの電報だった。もう見つかることなどあり得ないと思った親類がいたというのだ。それも祖父だ。一体全体どうなっているのか訳が分からない。「至急」という言葉も気になった。もしその人が、私の母方の祖父ならば、かなりの高齢だ。もしかして、と胸騒ぎが起こった。
 予定を急遽変え、マルセイユではなくワルシャワへと行き先を変えた。ヤンに電報を打ち返し、向かっていることを伝えた。
 数日後、ワルシャワに着くと、駅前でヤンが出迎えてくれた。さっそく馬車に乗り、ワルシャワ市内に住む老人、アレクサンダー・ワシャウスキーのところに向かうことにした。車中で事情を聞くと、ヤンの知り合いが、母の写真を見て、同じ顔の女性の写っている写真を、ある老人の家で見たことがあると聞き、そこに住んでいる老人に「エヴァ・ワシャウスキー」のことを話すと、間違いなく自分の娘だと言ったという。だが、心配していたことが的中した。その老人は高齢の上、長年心臓病を患っており体調が非常に悪くいつ亡くなってもおかしくない状況だというのだ。 
「リッチーさん、今日か明日かというぐらいに病状が悪化しています」
とヤンは運転をしながら言った。とても心配そうな表情だった。
 自分の祖父に生まれて初めて会う。二十にを過ぎて、自分の祖父に初めて出会う人間などこの世にどれだけいるのだろう。それも、初めての出会いが、その祖父の死に際であるというのも珍しいのではないか。
 老人の住んでいる家に着いた。そこは、こぢんまりとした一軒家だった。
 家のドアを叩くと、茶色の髪をした若い女性が出てきた。女性は看護婦の姿をしていた。無言で表情が険しかった。そのことが、全てを語った。
 中に入ると、目の前にベッドに寝そべり目を閉じた白髪の男がいた。その傍に医師らしい白衣を着た若い男が座っていた。
「残念です。ほんの数分前に・・・」
と医師は言った。
 皺だらけの老人の顔は、すでに固まっていた。そして、その老人の顔を見て、それが自分の祖父であることを龍一は、一瞬で悟った。自分によく似ているからだ。自分が年老いたら、きっとこんな顔になるのだろうと予感させる顔付きだ。
 ああ、何てことだ。何という不運だ。これまで生きている中で自分の肉親の死に際に出くわすのは、これで三度目だ。母の死、父の死、そして、祖父の死。だが、今度ほど不幸なことはない。これまで会えず必死で会おうと思ったところで、その肉親の死に直面するというのは、何という不運だろう。
 ヤンとその友人と共に葬式を済ませた。龍一の祖父、アレクサンダー・ワシャウスキーには、他に身寄りなどなかった。調べてみると、アレクサンダーの妻、龍一にとっての祖母ヨランダは既に他界しており、母には妹が一人いたらしいのだが、ずいぶん前に、アメリカ人の男性と結婚して国を離れたが、その後、音信不通らしい。
 祖父は教師であり、母もポーランドにいた時は教師をしていたらしい。だが、当時、話すことさえ禁じられていたポーランド語を学校で生徒たちに教えていたために、教職を剥奪され、そのことがきっかけで独立運動に身を投じたものの、ついには亡命せざる得なくなったということが経緯であると分かった。
 祖父から、生に話を聞ければ良かったのに、という想いに駆られた。母があまり話すことのなかったポーランド時代の姿とワシャウスキー一家の物語を聞きたかった。悔やまれてならなかったが、ポーランドに来ただけの意義はあったと考えた。同時に自分にこんな機会を与えてくれた会社に感謝の念を感じた。また、戦後、民主化に向け邁進するもう一つの祖国を見て、自らも諦めてはならないという使命感を強めた。
 早く日本へ帰ろうと思った。日本に帰って、大西と会って、感じとったことを話したいと思った。

一九一九年秋
 龍一は帰国した。
 さっそく、大忙しの中、龍一は、とっくに出所したはずの大西に会おうと思ったが、肝心の大西は、どこにもいず会えなかった。朝倉環記者を含め社会部の先輩に聞いたが、誰も出所後の大西のことは知らないと言う。身寄りはないかと聞いたが大西は自分のことは話したがらない性格だったため、誰も知っている者はいなかった。保管されている経歴書で分かったことは、大西は、士族の家柄で陸軍将校の一家に生まれ、自らも当初は一家の伝統に習って陸軍兵学校に入学、陸軍人になったのだが、日露戦争後に除隊、その後、京都帝国大学政治学部に入学、卒業後、大阪朝夕新聞社の記者となったということだった。
 あのがさつな大西が士族で名門軍人一家の出であることに、いささか驚いたが、あの豪傑さもそういう生い立ちならではのことだろうと納得いく面もあった。大西の家族は、両親ともすでに他界、兄弟などいたかは不明で、大西自身は、これまで独身を通してきた男らしく伴侶などはいないらしい。
 自分に何か書き置きなど残してなかったか社内の者に聞いてみたが、誰も何も聞いてないという。
 環も残念そうに言った。
「私も、大西さんを出迎えようと思ったのよ。だけど、出所日を分からないようにして、姿を消して。私たちに何も告げずにひどすぎるわ」
 何と言うことだ。おそらく、社のために不本意なことをしてしまったからこそ、社の者に会うことは、とてもつらかったのだろう。自分も追い回すのは、よくないのではと考えた。自分と会うことが最もつらいだろうと龍一は悟った。
 実のところ、龍一は、話し合うと言うよりある決心を大西に告げるつもりだった。
 これは欧州取材旅行を通して考え抜き決断したことだ。一生、新聞記者を続ける。どんなことがあっても挫けず、筆を以て戦い続けるという決意だ。

第16章へ続く。 その前に一休みコラムも!
by masagata2004 | 2005-09-18 17:37 | 自作小説 | Trackback | Comments(1)
Commented by kanbe48 at 2005-11-02 21:19
心臓病歴40年です。


私の体験記、意見、評論、人生観などについて書きます


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