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自作小説「白虹、日を貫けり」 第20章 失われていく自由

テーマは、ジャーナリズム、民主主義、愛国心。大正時代から終戦までの激動の時代を振り返りながら考える。

まずは、まえがきから第19章までお読みください。

 次の週、公演初日、満員御礼の中で「蟹工船」という題名の劇は始まった。北洋を航海して蟹を漁獲して船内の工場で加工する役目を担う蟹工船は、工場船であるため航船ではなく航海法は適用されない、だからといって陸地にはないため工場法の適用も受けない。したがって、労働者達は資本家にこき使われても何も文句が言えず、過酷な労働を強いられ全く人間扱いされず、監督者に日々暴力を振るわれる始末だ。寄せ集めで無教養な彼らも、過酷な境遇を共有することにより、予想もつかない抵抗心と団結力が生まれようとしていた。
 この劇の原作となった同名小説の作者、小林多喜二は共産主義者として知られる。龍一は、大西に共産主義者なのかときいてみた。
「わいは、不正を暴き戦う精神に共鳴したんや。共産主義とか、そういうもんはどうでもええ」
と大西は答えたので、龍一はほっとした。最近は、警察、とくに特別高等警察の共産主義者に対する取締りが厳しくなっていると聞く。治安維持法の制定が予想以上に影響していた。
 そして、「共産主義」という言葉から、この劇団の座長をどこで見たかを思い出した。満州にいた頃に見たのだ。満州で共産主義の活動家として知られた「久保田」という名の男だった。帰国して劇団を創設したらしいが、あくまでプロレタリア文学などの文芸作品の劇化を主とした活動としていると聞く。
 龍一自身、共産主義に共鳴する考えはない。ロシア革命が起こり共産主義国家ソビエト連邦が登場。資本主義の国々が二年前にニューヨークから始まった世界恐慌により過酷な状況に陥っていく中、共産主義に対する憧れが労働者階級の間で強まっていくのは必至だが、私有財産を制限した上で富を一国家で収奪し再分配する制度が真の解決策になるかは疑問であると考えた。
 だが、今の日本経済は悲惨な状況だ。六年に及ぶ海外生活から帰国して目の当たりにしたのは、変わり果てた人々と街の姿だ。以前より暗い表情をしている人々が増えた。通りには職にあぶれ物乞いをする者が目立つ。「大学は出たけれど」という歌が流行するほど、大学を卒業したものでさえ就職先を見つけるのが難しいほど失業者が溢れている。この状況を解決して貰おうと政治に期待したいのだが、政界は政敵同士が、互いの醜聞を暴露し合うという状況で不況克服解決策はなかなか立案されず国民はあきれ絶望感が増大するばかりだ。
 このような劇で悲惨な状況を訴えることでしか、不満の解消策はないのかと、考えながら見ていた。
「諸君、長い間待っていたこの時が来た。半殺しにされながらずっと待っていた。仲間を裏切ってはいけない。そして、力を合わせることだ。俺たちが団結すれば、彼ら如きをもみ潰すのはたやすいことだ」
と一人の漁師が集まった仲間に対して甲板の上に見立てた舞台の上で言う。
 劇は佳境に入った。
 とその時、どどっと騒々しい音が劇場の後方から聞こえてきた。数人の警官が中に入ってきたのだ。観客は振り返る。
「この劇はやめだ」
と一人の警官が大声で叫び劇を中止する。
「何をいっとんや、ちゃんと保安課の許可を得たもんやで」
と最前列に龍一と肩を並べて座っていた大西が立ち上がり、警官に詰め寄った。
「座長の久保田はいるか」
 中断された劇の上手から久保田が出てきた。
 警官は、ずけずけと舞台に上がって来た。
「貴様らを治安維持法違反で逮捕する」
 しばらくの間、静まりかえっていた劇場内がざわざわとし始めた。
 すると、さらにどどっと制服警官が劇場内に入ってきた。舞台の上の役者をどんどん引っ張り出してくる。
 そして、三人ほどの警官が、大西を囲み、さっと腕を取り手錠をかけた。そして、さっと引っ張っていく。
「待ってくれ、これは一体どういうことです?」
 龍一は、警官に対して言う。私服の刑事らしき男、先週の稽古で見た顔、その男が反応して言った。
「お前は誰だ?」
「朝夕新聞の記者、白川龍一です。治安維持法ってどういうことです?」
 龍一は怒りを込めて言った。
「こいつらは、共産主義活動を組織して国家の転覆を謀ろうとした」
「待ってくれ。共産主義って、この人は違う。私のよく知っている人だ。彼は共産主義者じゃない」
 龍一は大西を見つめながら言った。
「こいつも久保田の仲間だ。共同謀議の可能性があるので取り調べる」
「待ってくれ。これは不当逮捕だ」
 龍一は、引っ張られる大西の後を追う。そして、劇場の外にまで出た。
「大西さん、言ってください。あなたは共産主義者じゃないでしょう」
「わいはこいつらの仲間や。それには変わりあらへん」
 大西は無表情に言った。龍一は、じっと見つめた。まただ。十二年前と同じ光景、同じ苦しみが再び襲ってきた。 

 翌日の各新聞の一面には、久保田を筆頭とする共産主義結社が劇団を隠れみのにして国家に対する破壊活動を計画していた容疑で逮捕されたと報じられた。各紙は、大西を含め劇団が共産主義革命を起こそうとしていたのには間違いないという書き方だった。大西が、元大阪朝夕の記者で新聞紙法違反で刑に服したことのある経歴も紹介され、反体制的思想の持ち主であると書かれていた。
 それが警察発表だったため、そのまま報じられた。国際部所属の龍一は、社会部に頼み込み、この事件を憶測だけで誇張して報じないようにして貰った。社会部も朝夕の元記者であることの配慮から、事実を淡々と述べるだけに終始し、「まだ、はっきりしない部分もある」「捜査の状況を見守るべき」と冷静な判断を促すような言葉を含ませた記事を載せた。
 龍一は何度も警察署に行き大西との面会を申し込んだが、面会は拒絶された。
 数日後、事件に新たな展開が起こった。それは、劇団の役者がほとんど退団を申し出て釈放されたということだった。また、今後プロレタリア文学の劇を演じないことも誓約した。だが、久保田とその他の劇団員は退団や思想の転向を拒み、拘束されたままでこのまま裁判にかけられることになる。六年前に制定された治安維持法は、三年前の改定により厳罰化され、最高刑が死刑又は終身刑にまでなっている。転向を拒否すると言うことは、ただならぬ決意である。
 
 龍一は、五度目の面会申し出を拒否され、拘置所を出たところで、ある人物と十二年ぶりの再会をしてしまった。
「岸井部長!」
 驚きで一杯だった。一二年前、大阪朝夕を退職して、それ以来、ずっと会っていない。もう部長ではない。。一二年の歳月のせいか、一目見ただけでは分からなかったが、懐かしい記憶が一挙に蘇った。
 岸井も大西と面会しようと拘置所を訪ねようとしていたという。岸井は、今は高等学校で国語の教師をしているという。
「久しぶりだ。けっして喜ばしい再会とはいえないが」
 二人は、居酒屋に入り、日本酒を飲みながら対面していた。
「本当にお久しぶりです。どういっていいのか。あれからお元気でしたか」
「何と言っていいのかな。まだ新聞記者に未練があるのが正直なところだよ。だから、元部下が、いや、私にとっては同志ともいえる記者がこんなことになって残念でならない」
 岸井は、苦しい面もちで龍一と目が合わないように顔を下にもたげ御猪口をすすった。
「まさか、大西さんが共産主義者だったと疑っているのでは、それは違うでしょう」
「もちろん違う。彼はそんな考えは持っている方ではない。確かに反体制的な考えをしていたが、だが、共産主義とは一線を画す考えの持ち主だ。十二年も会ってないが、そんなに考え方をころころ変える男でないのはよく知っている」
 かなり確信を持った話しぶりであった。
「でしたら、大西さんを救いましょう。そうです。記事を書くのに協力してください。警察の誤認捜査だというんです。岸井さんが、知る限りのことを話して、身の潔白を証明させるんです」
「私も協力したいのだが、きっと大西が嫌がるだろう。私や、ましてや君が救い出そうとすることを。自分の手で、今度こそ戦い抜きたいはずだ。妥協などせずにね」
「でも、このままでは刑務所に入れられて、今度は何年も出ることが出来なくなるかもしれません。そんなの辛過ぎます」
「だが、今度だけは、彼のやりたいようにさせたいんだ。彼の信念の赴くままに。大西君はきっと共産主義ではなく、言論の自由を守りたいがために抵抗を続けているんだ。今度こそは、彼のやりたいように」
 龍一は、岸井の話しぶりに不自然さを感じた。「今度こそは」という言葉が、心なしか引っかかった。
「社の存続のために控訴を断念したことは確かに悔やまれますよね。でも、今度は大西さん自身のためなんです」
 龍一がそう言うと
「{白虹日を貫けり、と古代の人が呟いた不吉な兆しが、雷鳴のようにとどろいている。}という言葉だったな。中国の史記にある言葉だったな。あんな格言、よほど中国に造詣の深い者でないと使いたがらないと思った」
 岸井のほっぺは酒で赤らみ、話し方も酔い調子になっている。
「何を言い出すんです?」
「あれは君が書いた記事だろう。分かっていたんだ。それを大西君が、君の身代わりに」
 龍一は言葉を失い、体中に身の毛がよだった。
「だから、彼には言ったんだ。君を突き出されたくなければ、控訴を断念しろと。会社のためにも断念しろと説き伏せた」
「何ですって?」
 龍一は、胸をぐさりと刺された感じがした。
「会社を守るためだった。言論機関を潰してはならない。そのためには妥協も必要だと考えた。だが、だが、普通選挙が実現しても治安維持法とか出来て、自由は縛られていくばかりだ。そんなことなら、あんな妥協をさせるんじゃなかったと。悔やまれて仕方なかったんだ。大西君は会社のことはどうでも控訴するつもりだった。戦い抜くつもりだったが、彼の弱みにつけ込んで、彼の意志に反することをさせてしまったと思っている。だから今度こそは・・」
 酔いに任せて放った言葉に龍一は、言い返す言葉がなかった。岸井を責めるわけにもいかない。大西が自らの身代わりになることを龍一こそが容認し、大西の意志に沿うという口実で自らは、記者としての歩みを続けて来た。大西が控訴を断念した理由に自分のことがあったことは考えれば分かったはずだ。本来なら自分が被るべき罪状を代わりに被ってくれた。犠牲を強いたのは、龍一自身であったといってもおかしくない。そんな自分に誰を責めることができよう。
 岸井は酔いつぶれ、座ったまま眠りこけてしまった。
 龍一は立ち上がり、勘定を二人分支払い、居酒屋を出ていった。
 龍一は思った。何が何でも大西を救い出さなければ。

第21章に続く。
by masagata2004 | 2005-12-13 23:36 | 自作小説 | Trackback | Comments(0)


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