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自作小説「白虹、日を貫けり」 第28章 不拡大方針

テーマは、ジャーナリズム、民主主義、愛国心。大正時代から終戦までの激動の時代を振り返りながら考える。

まずは、まえがきから第27章までをお読みください。


 翌日、政府は閣議で条約に定められた自衛目的の武力制圧の範囲として、関東軍が占領できるのは満州鉄道付近のみとする「不拡大方針」を決定した。条約とは、中国の「門戸開放・領土保全」を日本と欧米諸国、そして中国が承認し一九二二年に締結した九ヶ国条約及び一九二八年に一五ヶ国で締結した国際紛争を武力によらず、平和的手段によって解決することを定めた不戦条約である。
 だが、いずれの条約も自衛を目的とした戦闘は禁じていないので、関東軍の行為は条約違反ではないとされる。
 朝夕新聞国際部の編集方針としては、政府の不拡大方針を支持した上で、事態の推移を見守ることとした。
 だが、関東軍の行為は、自衛を逸脱したものへと様相が変わっていく。攻撃開始から三日目にして、満州の日本人居留民保護を名目に吉林に出兵する。そして、瞬く間に、営口、安東、長春、撫順を占領していく。
 中国政府は、国際連盟の理事会に日本の満州における行為を不当として提訴する。日本側は、あくまで「自衛を目的とした占領」として正当な行為であると主張した。
 しかし、理事会は、満州に展開する関東軍に対して三週間以内の撤兵を決議する。日本側はこれを拒否。賛成一三反対一の結果だったが、理事会は全会一致が原則なため、決議は流れ、関東軍の満州占領はどんどん広がっていった。
 内閣が不拡大方針をとっているのにも関わらず、関東軍が暴走しているのは、見るからに明らかであった。これは、日本の政治におけるある種の変化を感じさせるものであった。これまで、軍部が内閣の決定に背くということは、ほとんどなかった。大日本帝国憲法では、陸海軍の統帥権は天皇にあると定められているが、これは形式的なものに過ぎない。天皇が勅令などを出す場合は必ず国務大臣の副署が必要とされることも憲法に定められている。つまり、明治維新以来の統合の象徴として天皇は機能していると言ってもいいのだ。従って、慣例として内閣の意向に反することは軍部にはなかったのにも関わらず、軍部はまるで別個の権力として振る舞っている。
 しかし、もっと大きな変化は世論だ。街を歩くと、各所で軍部を応援する行事が行われているのを目にする。街中に軍歌が流れ「皇軍万歳」という掛け声でお祭り騒ぎだ。
 これまで軍人は「税金泥棒」などと批判の対象とされることが多かったのに、満州での一件から一挙に空気が変わったような感じを受ける。ある種、不景気を改善できない政治不信への反動として軍部への礼賛が広がっているような感じを受ける。ここ最近、軍部が在郷軍人会を使って広めていた「国防思想普及運動」が、事件をきっかけに効果を現しだしたようだ。
 そして、その世論を反映してか、新聞にも変化が現れた。「皇軍 勝利に酔いしれる」「敵を一挙に砕く」などと、軍部の勝利を鼓舞するような見出しで引き寄せ、記事、社説は、軍部をあからさまに支持する論調ばかりだ。写真には日章旗を背景に万歳をする兵士達の勇士を写したものなど、まるでオリンピックの表彰台に立つメダリストのような扱いだ。
 だが、大阪朝夕だけは違った。それは、龍一が決めた方針で編集局も了承したものであった。常に冷静沈着に事態をありのままに報道する。それが朝夕のスタンスとして適していると考えたからだ。そして、それこそが報道のあるべき姿と龍一は考えるからだ。
 関東軍がどこを占領し、どれだけの兵力が投入されたかなどの情報を淡々と事実を述べる形で報じた。写真も、敢えて占領した土地の街の風景や、街の中を無表情に行進している軍隊の姿という軍部礼賛者にとっては面白味に欠けるものを敢えて選んだ。

 満州事変から一週間が経った。龍一が信念と思っていたその報道姿勢に思わぬ横槍が入った。
 その日、外が騒がしいと思い、玄関口のところに行くと、そこには数十人ほどの団体がたむろしていた。何人かは手にプラカードを持っており、それには「国賊 朝夕の新聞は読まない」と書かれていた。
「何の騒ぎなんだ?」
 龍一は守衛に言った。守衛は困った様子で「ここにいる人達が社のお偉方を出せと言っているんです」と言った。
 団体の中のリーダーらしき口と顎に濃い髭を生やした中年男が、龍一達に近付いて言った。
「あんたは、ここの記者か。わいらは在郷軍人会の者だ。大阪朝夕の満州戦線に対する報道に抗議する意を伝えるためここに来た」
 龍一は、ズボンのポケットから、さっと名刺を取り出し、男に差し出した。
「大阪朝夕の国際部部長をしている白川龍一といいます。満州に関する報道に関しては、私が一手に担当しています。どんな苦情をお持ちなのでしょうか」
 男の目が、ぎらりと輝き、龍一を睨みつける。そして、力を込めて言った。
「あんたらは、なぜ大陸まで行って戦っている兵士どもを応援する記事を書かない。あんたらの記事は子供の作文のようだ。何一つ感動がない。兵士達をどう思っているんだ」
 話し方が、いかにも元軍人だった。
「記事は満州での戦線を伝えるために書いています。応援も批判も入れないのが社の方針です。正確な情報を流すことが、新聞の最大の使命ですから」
「何だと! お前らは、これまでいつも軍隊に対して批判的だっただろう。軍が国民のためにいいことしているとなると、突然、傍観者のようになるのか」
「いいことをしているかどうかは、まだはっきりしていません。政府が不拡大方針を出しているのに進軍ばかりしている状況です」
 龍一は、少し感情を込めて言った。全く、新聞を何だと思っている。新聞は軍部のプロパガンダではない。龍一は、この男の発言に呆れていた。
「ああ、そうかい。あんたらが、そのつもりなら、こっちはこっちで対抗手段を講じさせて貰う。それを伝えるためにも、ここに来た。朝夕さんが満州での我らの仲間を称える記事を書くまでは不買運動を広げていく。どんなにご立派な記事を書こうが、誰も買ってくれなければ商売あがったりだもんな」
 髭面の男は、さっと一枚の紙切れを差し出した。そこには、「大阪朝夕新聞、不買宣言」という見出しの元、「戦時下において皇軍の功績を称えず傍観者のように振る舞い、我が軍を侮辱する態度をとり続ける売国新聞、大阪朝夕新聞の購買をしないよう広く世間に知らしめる運動を、ここに展開する」と炭筆書きの文字が書かれてあった。龍一はとりあえず紙を受け取った。すると髭面の男と団体は、そそくさと、その場を立ち去った
 龍一は、この紙に書かれている言葉の意味が今ひとつ飲み込めなかった。「売国」とは何を意味するのか。こんな運動を展開することで、何を目指したいのか。彼らは見るからに感情剥き出しだ。ただ単に、自分たちと同調しない人間が気にくわないだけなのだろう。彼らが気に食わなければ買わなくても読まなくてもいい。だが、他の者に買うなと余計なお世話を焼く必要はなかろうにと思った。
 何、ああいう連中は掛け声だけが勇ましいのに過ぎない。気にすることもないだろうと、国際部の部室に戻った。
「部長、明日の朝刊の記事の見出しは、こんな風にしましょう」
 宮台副部長が声をかけた。さっき会ったばかりの在郷軍人会の集団よりも勇ましい勢いで接してくる。龍一は、見出しと記事を眺めた。
「さあ、理想国家実現のために 陸軍さらなる兵力投入へ」
 龍一は見出しを見ただけで、紙をさっと折り曲げた。
「悪いが、君は編集方針というのをよく理解してないんじゃないかな。軍部は自衛目的だけのための戦闘をやっている段階だ。読者に誤解を与える書き方は差し控えるべきだ」
 宮台は、急にふてくされた表情になった。いつもなら、こういう時、龍一は気を遣いねぎらいの言葉を追加するのだが、何だかそんな気分にもなれなかった。
「部長、通信室に瀋陽支局から部長宛に連絡が入ったと」
 龍一は、はっと思った。敢えて自分を指名して連絡をしてくるのは中国人記者、銭健だけだ。
 急いで通信室へ龍一は行き、無線電報機の交信を始めた。
龍一「何か収穫はあったのか」
銭「はい、まず東北軍の幹部ですが、こっそりと接触できました。彼の主張では、今度の線路爆破の計画などあり得ないということです。もちろん、あちら側の主張ですから確証は得られません。ただ実を言うとこんな話を聞きました。東北軍と対立関係にある現地の有力者が関東軍から線路の爆破計画を持ちかけられたというらしいのです。何とか、確証を得るため、その人から直接話を聞いて見ようと接触を試みてみます」
龍一「それはすごい。もし、その話が事実なら事態を変えられる情報になるだろう。何とか接触を試みてくれ。大変だろうけど」
 龍一は、溜息をついて通信室を出た。何となく進展があったようだが、この類の進展は取材の過程でかなり経験するもの。必ずしも確証を得られるとは限らず、ガセネタで終わる可能性もある。しかし何か掴めればと、わずかながらの期待も持った。
 龍一は、国際部室へと戻っていくと、部室に入る扉の前に編集局長が立っていた。
「白川君、ちょっといいかな」
と編集局長は言った。
「今から緊急の編集会議を開くことになった。すぐに会議室に来てくれないか。今回は社長も出席する」
 龍一は、はっと驚きを隠せなかった。この編集会議は普通とは違う。社長が出席することと編集局長の表情が重たいことから、そのことが如実に読みとれた。

第29章へとつづく
by masagata2004 | 2006-08-06 20:15 | 自作小説 | Trackback | Comments(0)


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