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自作小説「白虹、日を貫けり」 第33章 南京大虐殺

テーマは、ジャーナリズム、民主主義、愛国心。大正時代から終戦までの激動の時代を振り返りながら考える。

まずは、まえがきから第32章までをお読みください。


「やめてください。食料はありません」
 銭が、日本語で叫ぶ声だ。地下室から聞こえる。地下室へいくと、床にうずくまり怯える銭一家の前に二人の日本兵が立っていた。一人は二十ぐらいの若者で片手に拳銃を持ち、もう一人は三十半ばぐらいの男で片手にサーベルを持っている。
「おい、大丈夫か」
 龍一は、中国語で銭たちに話しかけた。
「おお、もう一人のシナ人がいたのか」
 日本兵の一人が彼に対して言う。
「私は日本人だ。いったいどういうことだ。ずけずけと入り込んで」
 とっさに若い兵士が龍一の顔を殴る。龍一は、転びそうになったが、平静をとり、
「食料が欲しければここにある。さっさと取れ」と言い、水と芋の入った食料を差し出した。
「おい、貴様、これ軍からの支給品じゃねえのか」
ともう一人の兵士が言った。袋に「陸軍配送」というスタンプが記されている。龍一は、しまったと思った。従軍記者だからこそ、支給されたのを分けてもらった品物だ。
「盗んだんじゃない。軍から食料を分けてもらったんだ」
 中年兵士は、袋と水を龍一からさっと奪う。「シナ人に、どうして軍が食料を支給するんだ」とうつろな目を向けて龍一に言う。
「さっきから言っているだろう。私は日本人だ」
「最近のシナ人は日本人よりもうまい日本語話すんでな。何か証明するものがあるのか」「パスポートがある」
と龍一は言い、背広の内ポケットに手を差し出し取り出そうとする。はっとした。ポケットにない。車の中でうずくまっていた時、落としたことに気付いた。
「すまない。どうやら落としてしまったらしい。どこにあるのかは分かっている」
「へ、シナ人のいうことは嘘だらけだ。もしかしてお前ら便衣兵(*)じゃなかろうな」
(*)平服を着たゲリラ兵
「違う」
と龍一は言った。
 若い兵士が、銭を見ながら言った。
「中尉、こいつ兵士ですよ。頭にヘルメットをつけていた跡があります」
「これは帽子の跡です」
と銭は言い返す。すると若い兵士は、銭の腕をいきなり引っ張り、
「川岸に連れて行きましょう」
と言った。
「待ってくれ。彼は兵士ではない。私とずっと一緒にいた。民間人だ」
と龍一は、兵士達に言った。
「ということは、あんたも便衣兵と言うことか。お前も来るんだな」
 中年兵士が龍一の腕を取る。銭も、さっと引っ張られるが、銭は、その手から逃れ、床にうずくまる妻に抱きついた。
「貴様、とっととついてくるんだ」
 若い兵士は大声で叫ぶ。
「私は兵士ではない。嫌です」
 若い兵士は、銃を突きつける。
「彼は兵士ではないと言っているだろう。私は日本人だ。彼とずっとこの家に一緒にいた」
 中年兵士が、思いっきり龍一の頬を殴った。龍一は床に転んだ。兵士達の凶暴さが、突如、増した。これは、とんでもないことになると龍一は思った。殴られた衝撃でやや意識がもうろうとしてきた。
 銃を突きつけている兵士は、銭に「立て、立て」と迫る。だが、銭は麗華を守るように覆い被さり立ち上がろうとしない。
「おお、そのつもりか」
 パンと激しい銃声が地下室を吹っ飛ばすように響いた。同時に血があたりに散らばった。
 撃たれたのは、四歳の美麗だった。
「うわああ」
と銭の叫び声が聞こえる。美麗は、心臓を撃たれてぐったりとしている。
「いやああ、何てことをするの」
と麗華が叫ぶ。
 龍一も立ち上がり、何かを叫ぼうとしたが、体がふらふらとして、上体を起こすのがやっとでなかなか立ち上がれない。声が出せない。
 中年兵士が麗華の肩を掴み黙らせようとする。だが、甲高い叫び声がやまない。銭は涙を流しながら美麗に覆い被さる。
 美麗は中国語で「この鬼、許せない」と何度も叫んでいる。中年兵士が口を塞ごうとすると、唾を吹きかけた。
 兵士は、突然、麗華の服を引き裂いた。そして、麗華の顔を殴る。麗華はそれでも叫び続ける。兵士は麗華に覆い被さり、強姦しようとした。
 すると、麗華は両足で兵士を蹴りあげた。兵士は、飛び上がるように体を浮き上がらせると、銃剣を持ち上げ麗華の身籠もった腹に突きつけた。
 ばしっと腹の引き裂かれる音がして、血がどんどん裂け目から出てくる。腹の裂け目から、胎児の血みどろの頭が姿を出す。
 龍一は、呆然とその光景を見ていた。為すすべがなかった。銭は、目の前で悲惨な姿となった妻子を目にして、これも呆然として戦う気力を完全に失っている様子だ。
 兵士達は、銭と龍一を無理矢理立ち上がらせ、地下室から外に出した。銃と剣を背中に突きつけられながら、抵抗のすべもない。何よりも目の前で見せられた光景の恐怖により何も考えられなくなっていた。銭は、廃人になったような姿だ。衝撃も怒りも感じる機能を失って無表情だ。
 しばらく、道を歩かされると、目の前に軍用トラックが立ちはだかった。荷台に数人ほどの後ろ手を縛られた中国人らしい男達が座っていた。
 突然、龍一と銭の後ろ手が紐で縛られた。
そして、二人は荷台へと乗せられた。
 トラックは発進する。

 数十分後、龍一は荷台の上で正気を取り戻しつつあった。ずっと覚醒状態にいたが、周囲に十数人の人々が座って乗っていることが確認できた。皆、後ろ手を縛られている。誰もが脅え無表情だ。そして、すぐ隣に誰よりも無表情な銭がいた。無表情というより血の気が引いて死人の顔に近かった。
「銭、大丈夫か」
と龍一は小声で話しかける。トラックのエンジン音で聞こえないのか、それとも、ショックで自意識を失っているのか。おそらく後者であろうと思った。
 このまま、我々はどこへ連れて行かれるのだろうかと、龍一は不安に思った。おそらく捕虜として収容されるのだろう。収容地に着いたら、勘違いであることを説明して、解放されるようにしよう。解放されたら、このことを告発しなければならない。軍部の暴走をやめさせるのだ。
 ふと、目の前に大きな城門がたちはだかった。トラックは城門をくぐっていく。中世、明の時代に建てられた市中を取り囲む城壁だ。城門は日本軍の進軍が迫ってくることが分かりどこも閉鎖されたが、進撃により開かれ首都陥落を象徴しているかのようだ。
 ここは揚子江沿岸に近い下関と呼ばれるところだ。うっとひどい匂いが立ちこめる。ああ、死体の匂いだ。ここには数多くの死体があることが、それだけで分かる。
 突然、トラックが停まった。荷台にいた兵士が、銃剣を振り皆を外へ誘導する。どんどん人々は降りていく。だが、龍一の隣の銭はなかなか立ち上がらない。
 兵士が近付いてくる。龍一は緊張した。すると、さっと銭が立ち上がった。ゆっくりと歩き始める。龍一は、歩調を合わせるように並んで歩き、荷台に一緒に降りた。
 荷台に降りた瞬間、龍一は、はっとする感覚を足下から受けた。降りたところは地面ではない。柔らかい人間の体だ。下を見ると死体が横たわって自分がそれを踏んづけていることに気付いた。前を進んだが、それでも死体を踏み続ける状態だ。
 そこら中が死体だ。地面が死体で覆いつくされている。ここはどうなっているのだ。ここではまだ戦闘が行われているのか。
 パーン、パーンと銃声が響き渡っている。また、手榴弾の爆発音も聞こえる。しかし、戦闘にしては立て続けに、まるで規則的に銃声が鳴り響く。もしかして、捕虜を無差別に射殺しているのか。何てことだ。捕虜はハーグ条約で捕獲後、保護しなければならないことになっている。それに捕虜かどうかも疑わしい状態の者も多くいるはずだ。
 銃剣を構えた兵士に突っつかれるように、龍一達は死体の上を後ろ手に縛られながら行進していく。気持ち悪くて、下を見ることができず、ただひたすら不自由な状態ながら歩かされる。龍一は恐怖で張りつまれながら、また、正気を失いそうになった。だが、黙々と歩く銭を見ながら、正気を何とか保とうとした。何とか、銭だけでも救わないとと考えた。
 百メートルほどを歩いたところで戦慄の光景が目の当たりに迫った。そこは、処刑場だった。激しい機関銃の音、並べられた人々が次々と射殺されていっている。機関銃の音と悲鳴が聞こえる。撃ち殺された死体が幾重にも積まれている。ここは揚子江の川岸だった。死体は岸へと流されていっている。
 龍一は、沿岸から揚子江全体を眺めた。海とも思えるほどの大河だ。普段見るとやや赤茶けているのが印象的だが、今は真っ赤に染まっている。そして、その赤さは、明らかに川を埋め尽くしている死体から流れている血であることがはっきりしている。まるだ死体をゴミのように捨てる溝川のような様相を呈している。
 龍一は、突然吐き気がしてきたが、吐こうにもここ数日何も食べてないせいか、何もはけない。ひたすら吐き気が襲う。銭は、相変わらず呆然とした状態だ。
「行け」
と兵士が後ろ手に縛られた人々を引っ張り連れて行く。列の一番後ろにいた龍一と銭は、機関銃による処刑の列が一杯になったためか、列から離れさせられ、別のところへと引っ張られた。
 数人の兵士が、刀を持っている。刀は血で真っ赤に染まっている。この兵士達は、刀で殺戮をしているのだ。ふと地面を見ると切られた首が転がっている。
「よし、こいつの首を切るんだ」
と兵士の一人が言う。この兵士達の中で年配の男のようだ。そして、驚くことに龍一は、この男に見覚えがあった。どこだったか思い出せないが。すると、
「おお、あんたは朝夕新聞のもんじゃないのか」
 その声を聞いてすっかり思い出した。相手もよく知っている様子だ。
「大阪で会ったのは六年ぶりかな」
 大阪の飲み屋「酒池肉林」で六年前の夏、満州事変が起こる前に出会った。この男と仲間の隊員の勘定を肩代わりしたのだ。名は、西村慎吾で、関東軍に属する部隊の隊長と言っていたのを覚えている。
「あんたとこんなところで会うとは奇遇だな。一体どういうことなのかな」
と男は言う。
「全ては間違いだ。私は日本人だし、この男は私と一緒に仕事をしてきた部下だ。私たちを離してくれ!」
 龍一は、思わぬ救い主だと思い、必死になって言った。
「ああ、あんたが日本人で朝夕新聞の記者であることは分かっている。我々を応援している新聞だ。こんなところにいる必要はない」
と西村は薄ら笑いを浮かべ言った。龍一が、もう朝夕の記者でないこと、朝夕新聞の編集方針が変わり辞めたことなどは、西村は当然知る由もない。
「だが、こいつはシナ人だ。だから殺さなければならない」
 西村は、銭を見つめながら言った。
「待ってくれ。彼は中国軍の兵士ではない。私の部下だ。彼は君たちの敵ではない」
「いや、敵さ。シナ人は皆、俺たちの敵なんだ。兵士であろうがなかろうが、兵士でない奴らもいつでも戦闘員となり得る。さっさと処罰しなければならん。ここまで来るのに俺たちの戦友がどれだけ犠牲になったか」
「何を言っているんだ。その敵討ちを戦闘に参加してないものにまでするのか」
「シナ人は出来るだけ殺さねばならん」
 龍一は言い返す言葉がなかった。こんな状況で、こんな男と何ができるというのだ。
「こいつを膝まづかせろ」
 西村の部下が銭をどんと地面に座らせた。銭は相変わらず無表情で呆然としている。妻子を失ったショックが強過ぎて自分がおかれている状況を認識してないかのようだ。
「やめてくれ。お願いだから、逃がしてくれ」
 龍一は叫んだ。西村は、すでに刀をあげ、銭のすぐ傍らに立っている。
「もうこれ以上、罪を犯すな」 
 龍一は、目から涙を流し叫んだ。
 ブスン、と鋭い音がした。一斉に血のしぶきが龍一の顔面に吹きかかってきた。
 龍一は目を見開いた。目の前に銭が、銭の胴体と首が引きちぎられた姿が、だが、首は地面に落ちてない。皮膚でつながって肩からぶら下がった状態だ。
「さあ、この男をさっさと市内に連れ戻せ」
と西村が龍一を見ながら言った。西村の顔や衣服にも銭の血が吹きついていたが、すでにかなりの血を浴びた後なのか、それが特に目立つような姿ではなかった。西村の表情も平然としていた。この男には人間性が全く消えている。周りの兵士達も平然として見ている。龍一は、突然、頭から血が上った。
「おい、お前ら、私も斬れ」
 龍一は、突然、自らの体を地面にひざまづかせた。
「お前ら、それでも帝国軍人か。お前達と同じ日本人であると思うと生きていく気がしない。このまま私も殺せ。そうしてくれれば、すっきりする。やれ!」
 龍一は、正気となって言った。
「ほう、そうか。シナ人と一緒だったため、魂までシナ人になりきってしまったのか。お望みなら、さっさとこのシナ人の後を追わせてやるよ」
 西村は、そう言うと、部下の一人を見つめ言った。
「おい、お前、こいつの首を斬れ。俺の刀はかなり斬り落として使い物にならん」
 部下の隊員、若い兵士が龍一に近付く。何だかびくついているようだ。他の兵士が血で染まった刀を持っているが、この兵士は腰に鞘に入れたままの状態でかけたままだ。すっっと刀を鞘から取り出す。まだ一度も使ってはないようだ。
「銃しか使えないようでは兵士ではないぞ」 若い兵士は刀を振りかざす。しっかりと龍一に狙いをつけているようだ。「やれ!」と龍一は心の中で叫んだ。
 だが、刃身が、寸前で止まった。
「何をやっているんだ。貴様は刀は全然使えんな。俺が代わりにやる」
と西村が、その刀を取る。
 西村が、龍一を睨みつける。龍一も睨み返す。西村が、刀を大きく振りかざす。「やれ」と龍一は再度、心の中で叫んだ。
 はっと、と刃身が龍一の首の後ろに触れたかと感じた瞬間、龍一は自分の首が地面に落ちていくのを感じた。ああ、首が落ちていくのか。だが、痛みは感じていない。
 顔の頬が地面の土に触れた。だが、同時に胸と腹も地面に触れている。気が付くと、背中を何かに踏んづけられている。靴のようだ。
「へ、刀を磨り減らすのはもったいない」
と西村の声が聞こえてきたが、龍一は自らの意識が遠のいていくのを感じていた。それは、死んでいっているということなのか、龍一には全く分からなかった。

自作小説「白虹、日を貫けり」 第33章 南京大虐殺_b0017892_20245629.jpg


 気が付くと、そこは建物の中だった。どこだろうかと、龍一は思った。自分がベッドの上に横たわっているのに気が付いた。
「ああ、気付きましたね」
と白髪で眼鏡をかけた初老の男が目の前に現れた。男はドイツ語で話しかけた。
「よかったですね。あなたは気を失っていたところを日本軍の方に助けてもらったのですよ」
 龍一は、初老の男を見つめると、ドイツ語で「あなたは?」と話しかけた。
「私は、ジョン・ラーベといいます。ドイツのもので、この国際難民保護委員会の委員長をしています」
 龍一は、ほっと一息ついた。意識がどんどん戻ってきている。生き延びたのだ。あの時の死ぬ覚悟は何だったのか。生き延びたことが嬉しくてたまらない。


第34章へつづく。
by masagata2004 | 2006-08-07 20:23 | 自作小説 | Trackback | Comments(0)


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