カテゴリ:演劇評論( 9 )

演劇評論「新・こころ」 我々の知っている伝統とは?

夏目漱石原作の「こころ」を現代の視点で解釈して演劇にした作品。新宿3丁目でflying Stageという男性のみの役者により上演。以前、紀伊国屋でも同じ作品の劇を見たことがある。あくまで原作を忠実に劇にした作品でそれをきっかけに原作の本を買い読みもした。それについては、この記事を読んでいただきたい。

誰もが感じたのは、この小説は明治時代のゲイ文学ではないかということ。劇でも触れていたが、文中には「同性愛」ということが堂々と書かれている。現に、明治時代までの日本では同性愛は異端なものではなかったのだ。当時は、男色と呼ばれていた。それは、現代のゲイというのと違い、食べ物の好みといった程度で、性的指向がアイデンティティとなっていたものではない。

劇中では、明治初期に出版された男色文学について語る場面があり、異性愛と同様に一種のロマンスとして捉えられている。男色は硬派。女性としか付き合わないのは軟派といわれていた。

しかし、それも日本の近代化の中で廃れていってしまう。「こころ」は、それを憂いた作品ではないかと思わせてくれる。

この劇で重要なメッセージは、同性愛を含め、現代の日本人が伝統として考えている「伝統」は実をいうと、近代化を始めた時代に西洋から受け継がれた部分が案外多いということだ。


続き
by masagata2004 | 2016-04-04 10:01 | 演劇評論

安倍ちゃん靖国参拝と演劇「つれがウヨになりまして」 つまりウヨは右翼ではない

共同通信社が28、29両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、安倍晋三首相による靖国神社参拝に関連して、外交関係に「配慮する必要がある」との回答が69・8%と、「配慮する必要はない」の25・...
安倍晋三総理大臣が、26日靖国神社に参拝をした。いわずと知れた右翼の聖地のような場所。さっそく、中国、韓国から批判を浴びたが、今回は小泉首相の時と違い、アメリカが「失望」を表明。その他、欧州からも批判の声明が出された。

こんな反応がきて外交が難しくなると分かっているのに彼はなぜ参拝なんてしたのか。その理由を考えると、先日、ある小さな劇場で観た「つれがウヨになりまして」という舞台劇を想い起こす。特別な大道具もない俳優たちが語り合うことで場面が変わりストーリーが進行する劇である。

失業中の青年がネットで右翼思想にかぶれ、右翼団体の活動に参加する。それを案じる同棲中の彼女。その二人を中心に周囲の人々が繰り広げるドタバタ喜劇だ。

彼が右翼思想にかぶれたのは、自らに自信を失い、その自信喪失の穴を埋めるがためであったという結論。また、右翼と自称しながら本人は、保守思想に対して、それほど詳しくはなく、ネットで知りえたいい加減な情報を右翼的と勘違いしていたという落ちも含む。

ちと、単純化しすぎてやしないかと思ったが、そんなギャグなストーリーが安倍晋三にはぴったり当てはまりそうで、実に恐ろしくなる。

何となく右翼、実をいうと、それは「ウヨ」でしかないレベルの思想で、実に薄っぺらく、情動的で自己満足的。建設的な結果は決してもたらさない。

来年は、そんなウヨ総理がもたらす実害に直面しそうな年になるかも。
by masagata2004 | 2013-12-31 15:47 | 演劇評論

太鼓持ち(幇間)の演芸観てきました

神楽坂のうなぎ屋で、今では希少な存在となった太鼓持ち、または幇間と呼ばれるお座敷芸人の演芸を見に行った。うなぎ屋なので、うなぎの食事つきの昼食会を兼ねた演芸会。

この太鼓持ち(幇間)に関心を持ったのは、最初はNHKのドラマ「坂の上の雲」で登場したから、何だろうと思ったこと。そして、最近、そんな太鼓持ち(幇間)の人の自伝「幇間の遺言」を読んだからだ。

その演芸会に登場した太鼓持ちは、「坂の上の雲」に出演したうえ、自伝本の著者である悠玄亭玉介の弟子であった悠玄亭玉八氏である。
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玉八氏は、まず自己紹介をして、太鼓持ちという職業について語った。そもそも演芸の舞台に立つような仕事ではなく、芸者と同じように、お座敷でお客様をおもてなしするのがメインで、客と一緒に酒を飲み、芸者と客の仲介みたいなことをして、余興の芸を見せるのが仕事。舞台芸人とは本来一線を画すのだ。

そして、その太鼓持ちも、20世紀中頃には全国に400人以上いたのが、今では数人ほどになっているのだと。理由は、同氏の演芸をみて分かった。というのは、立派な芸をしているのだが、今では、古臭く笑ったり打ち込んで楽しむにはしんどい。歌舞伎の役者のモノマネなどしても、そんなものを知っている人は少ない。つまりのところ、娯楽が多様化してしまい、座敷で太鼓持ちと遊ぶことだけが楽しみではなくなったというのだ。それを聞くと何となく寂しい。

かつてはお座敷に御呼ばれして、VIP相手におしゃべりの相手や余興をしてみせたというもの。それについては前述の著書が詳しい。もてなしのプロとして、お客さんと話す話題はトピックを慎重に選ばなければならない。政治や宗教の話題はタブーだとのこと。

昔は粋な客がいて、太鼓持ちに着物のまま池を泳がせ、着物を台無しにさせたが、そのあと、そのまま同じ着物をくれたりと実に豪勢。だが、つらい面もあり、そんな客の無理難題につき合わされ、石原慎太郎の小説をまねた障子破りをさせられたり、愛人にふられて不機嫌になった客に八つ当たりされ、殴られたりしたという。今では、そんなことは起こらない。

そんなわけで、玉八さんの芸はどんなものかというと、ものまねやダジャレのトーク、三味線を弾きながらの都都逸、屏風を使った屏風に誰かが潜んでいるように見せる屏風芸、最後はかっぽれ踊り。b0017892_22335430.jpg
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私にはいまいちだったが、ただ、どこかで余興をする時の参考にさせてもらいたいと思った。
by masagata2004 | 2013-06-28 22:38 | 演劇評論

演劇「細雪」 上流階級の関西弁

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10月8日、帝国劇場で演劇「細雪」を観賞した。高橋恵子、賀来千香子、水野真紀など、豪華キャストによる舞台劇である。

谷崎潤一郎原作の小説を基にした1930年代大阪の老舗商店一家の4姉妹の物語。古い風習にこだわる長女と、それに振り回される妹たちとのエピソードが主体となっている。

この劇をみたくなったきっかけは、以前、和歌山県出身の人から、関西弁にはいろいろなバージョンがあり、中には上流階級の関西弁があり、細雪はその典型だということを聞いたことからだ。

なるほど、劇を見ていて、そんな感じがした。もっとも、関西弁自体、よく理解できないけど。

ストーリーとしては、ある種のテーマ性があるように思える。それは、伝統とかこだわりは絶対的なものではないということ。それを他人に押しつけていいことではないということ。ただ、どうしてもこだわりを持つというのではあれば、劇の中の台詞にあったように「自分の心の引き出しにしまい、好きな時に出し入れして見ていればいいのである」と。

世ははかないか。でもまあ、この劇中で披露された着物の数々は、しっかりと残していくべき伝統ではないかなと思った。劇を見終わった後、銀座の男用の着物店に言った。縮緬という種類の着物があることを生まれた初めて知った。紋付きの次にランクの高い着物で、紬より上だとか。劇の中でも来ている男たちがいた。

そして、その店には、日本人と外国人(白人)のカップルが来ていて、セクシーな女性の外人の旦那さんが、反物をつけて寸法計りをして貰っていた。婚約したてのようで、ウェディングドレスを着る日本人新婦に対し、和服での新郎服を仕立てていた。外人だけど、お似合いのようであった。
by masagata2004 | 2011-10-10 11:45 | 演劇評論

シェークスピア作「ベニスの商人」から学べ

政治 - エキサイトニュース

昨今の屈辱的な日米合意だけど、それをうまく打破する方法を思いついた。良識のある民主党の方々は使って欲しい。

名付けて「ベニスの商人」作戦。いわずと知れたイギリスの名劇作家ウィリアム・シェークスピアが書いた作品だが、物語は、金貸し、シャイロックに借金をして、返済ができないならば、胸の肉を金貸しに差し上げると書かれた契約書に署名をしてしまった男の妻が、その借金返済を求める裁判の裁判官になりすまし、夫の苦境を救うというもの。

裁判官に化けた妻はこう言う。
「まて、シャイロック、肉はとってもいいと言ったが、血は流していいとは言ってはおらぬぞ」

さてさて、これはどういう意味か。早い話、契約は有効だが、だけど、書かれてないことまで勝手にはできないよということ。なんくせつけて、合意を無効にしちゃえばいいだろう。

だから、大筋合意で辺野古の海に滑走路建てるといっても、いくらでも条件を出してハゴにできるというもの。例えば、滑走路はいいけど、埋め立ては駄目よ、とかね。

埋め立て駄目なら、桟橋方式、それは米軍もお断り、それに環境アセスが遅れるし。

だから、こう言えばいい。
「だから、埋め立てでなく、環境アセスを著しく遅らせない方式を話し合って思いつけば?」
建設費用は日本の税金で出し、日本の海で造るんだから、そういうこちらの要望をきくのは当たり前でしょう。こんな海を埋め立てるのは自然への冒涜だよね。
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もうアメリカの気を使う必要ないだろうに、日本を守っていないし、経済的に疲弊して、日本にとっては利用価値がかなり下がっている奴らだし。そのくらいの知恵を出して、はぐらかせば。

そういえば、菅さんは就任後、民間人を中国大使に任命するなど、中国寄りをアピールしていたな、アメリカに対する警告かな。また、恫喝したり威張ったりすると、中国によっちゃうぞって。そしたら、両国で米国債売ってドルを基軸通貨から蹴落とすぞって。

外交なんて「政権代わっても国同士の合意は守れ」とかいう正義論は後付け、要は条件闘争。ブッシュだって政権交代して京都議定書離脱したし、オバマはまだ復帰していない。それでグリーン・ニューディールだなんて笑わせちゃう。

しかし、この辺の事情、アメリカも分かっているような感じがするな。菅とオバマの電話対談をホワイトハウスが伝えた時、普天間のことは出なかったっていうからな。どうとでもしてくれだろう。はっきりいって、そもそもアメリカにはどうでも良かったことだったんだから。一番、熱心だったのは外務と防衛官僚だったていう噂。

たださ、菅さんには期待しとらんよ。どうせ、官僚のいいなりになるだけでしょう。

願わくは当面、選挙前だから、言いなりになった振りして、参院選後、がらっと態度変えちゃって、官僚に対し反転構成をかけるってやり方もあるぞ。それか、あの小沢さんが出てくるか。
当初から米軍追い出せ派で、辺野古案には強く反対していた人だし。

きっとシェイクスピア顔負けの政治劇がこれから繰り広げられることに。
by masagata2004 | 2010-06-14 22:02 | 演劇評論

演劇:夏目漱石作「こころ」 これって明治版ゲイ文学?

あまりにも有名な作品だが、私は原作を読んだことはない。

でもって、新宿の紀伊国屋ホールで劇団「シェークスピアシアター」の公演で、さっそく見てみることにした。

のっけからして怪しかった。和服から当時の水着である褌姿(下にゴムパンつけていたが)になり、男二人が踊り合う。何でも、大学生の主人公が年長の男性に海岸で出会い惹かれて、その「先生」とやら呼ぶ男性について回るのである。先生には妻がいるが、お構いなし。そして、先生は「恋とは罪なものだ」と彼に告げ、自らの過去に犯した罪のため、彼の想いに応えることが出来ないと告げる。

その後、主人公の家に、先生から遺書が届き、彼にだけ自らが犯した罪深い行為の真相を告白する。

現代の基準からすると、絶対にゲイと思えるのだが、明治時代の世相では、ある程度の理解を得た男同士の情愛だったのかもしれない。森鴎外や川端康成の文学にも、この手の男色ものは登場する。そもそも江戸時代までは、公然とされていたのを西洋の影響で異端視されるようになったのが歴史の流れ。

うーん、こんな作品だったとは知らなかった。ある意味、女性向きだね。

役者の演技は揃って、すばらしかった。大がかりなセットはなく、朗読劇っぽいところがあるものの、和服姿とあの時代らしい日本語の言い回しに風情を感じた。

あんまりむつかしく考えないで、要は色恋もので、恋は人を狂わせると言いたいだけじゃないのかなと思った。
by masagata2004 | 2009-11-10 22:41 | 演劇評論

演劇「OKINAWA 1947」 鮮やかな沖縄ドラマ

沖縄カテゴリにある記事の演劇カテゴリー入りをするためのリンク用ページです。

記事本文は、こちらをクリックください。
by masagata2004 | 2009-03-21 22:00 | 演劇評論

ウルトラマンの朗読劇「恋文」 2時間に及ぶ拷問だった 

今日、たまたま、新宿歌舞伎町のゴールデン街をほっつき歩いて、ふと立ち止まった新宿ゴールデン街劇場で「恋文」という朗読劇を観賞した。

ゴールデン街の施設らしく、恐ろしく狭かった。その中に50人近い観客が入って、朗読劇を観賞していた。入場料は、3500円。

出演者は、初代ウルトラマンとして有名な黒部進と女優の速水今日子。

ストーリーは、母親の古い手紙を偶然見つけた若い女性が、その手紙の送り主の男性に母親から受け取った手紙を見せて欲しいと頼むところから始まる。その男性と母親は高校時代、先輩後輩の関係だった。手紙にはそれぞれの青春時代から、結婚に至るまでの経緯が時代の流れと共に記されていた。

ということで、内容は至って平凡、何かすごいハプニングがあったとかいうのではなく、どこにでもありそうな人生ドラマを綴った内容だ。それを2時間、それも狭い背もたれのないシートの上で観させられる。拷問だった。

劇場が小さすぎるので、舞台との距離があまりにも近すぎて稽古を見せられているような粗末さも感じた。ただ、あまり多くは期待していなかったせいか、お金が無駄になったという気はしなかった。ゴールデン街カルチャーをちょっと味わえただけでも得るものはあったと思う。

終わった後、せっかくだからとウルトラマンと写真撮影。

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ところで、この劇場のあるゴールデン街は、観光名所としても有名。特に狭苦しく幅の狭い小さなバーが軒を連ねる通りは、見てて楽しい。何とも言えない風情を醸し出す。まるで迷宮ワールドに入ったかのような感覚を覚える。特に昼間、誰もいない時に訪ねるといい。店の人が、寝込んでいたりするのを見かけたり出来る。

こういう一角があるのも、実に新宿らしい。というか日本的でもある。すぐ近くには、神社があり、それがゴールデン街を見下ろす位置に立っていて、まるでゴールデン街は八百万の神が集まってくる場所ではないかと勘違いしてしまう。ゴールデン街を歩くということは、「千と千尋の神隠し」に遭うようなものである。
by masagata2004 | 2007-10-07 19:46 | 演劇評論

演劇「ブルースストッキングの女たち」 理想主義者のなれの果て

久しぶりに演劇というものを見に行った。それも、偶然、見かけたものだった。当日券を買って思わず観劇してしまった。

新宿の紀伊国屋書店のビル内にある演劇ホールでの公演だった。

以前も行ったことがあり、その時は今は亡き岸田今日子が主演の演劇だったが、全然面白くなく、金を損したという思いが残ったのを覚えている。そのため、期待をしていなかったのだが、意外にも面白かった。3時間に及ぶ劇で、最初は大正時代、伊藤野枝という婦人運動家が上京するところから話しが始まり、野枝は東京で平塚雷鳥らと共に雑誌「青鞜」の編集に携わり自由奔放な生き方を実現しようとする。
その後、野枝は、結婚制度に反対、大杉栄という無政府主義者と愛人関係となる。だが、二人は、関東大震災直後の帝都で軍人により惨殺されるのである。

婦人活動家と無政府主義者という理想主義者たちのなれの果てとはなんとも酷いというのがテーマだった。その後、大正デモクラシーに象徴された自由な気風は軍国主義により消えていってしまうことを予感させる。

これは、どんな時代にも通ずることなのだろう。理想論はいいが、でも現実問題、食っていくためには社会に適応して生きていかなければならない。くだらないと分かっても、制度や因習に従わなければ生きていけない。そんな人間の葛藤が永遠のテーマなのかなと思った。そんな意味では、映画「ブロークバック・マウンテン」と共通するところがある。

個人的には、丁度、このブログ上で大正時代から日本が暗黒の時代へと移行していく過程を背景とした小説を連載しているので、親しみが沸いた。

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by masagata2004 | 2007-03-18 19:16 | 演劇評論


人生は常に進歩していかなければならない


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