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旅小説「私を沖縄に連れてって」 第11章 妨害開始



 七月
漁港に変化が訪れた。というのは、ちょくちょく防衛局の人員が訪れ、船に乗り滑走路建設予定地の沖合まで出ていく姿がしばしば見られた。それは環境アセスメントという名の元の建設着工の準備作業といえるものだ。
 そして、その船出には辺奈古の漁民の船が駆り出されている。最近、漁に姿を見せなくなった海人の下地が、防衛局の調査員を乗せているので、安次富が調査の船出から戻ってきた下地に詰め寄った。
「おまえ、どうしてこんな奴らと一緒に海に出る。ウミンチュウとして恥ずかしくないのか」
「安次富さん、知っているだろう。俺は、去年、お袋が重い病にかかって、娘は来年、高校卒業で、できれば大学に行かしてやりたいし、漁業だけじゃ十分な稼ぎができねえんだ。この人たちを沖合に出すだけで一回に四万円ぐらい払って貰えるから・」
「だからって言って、俺たちの漁場を壊すことに協力するのか」
と安次富、憤りを隠さない。下地は何も言わずに、防衛局の者共と一緒に去っていく。
 よくあるパターンだ。敵は、そういうところに付け込んでくる。船のチャーター代を弾み、滑走路ができて漁業ができなくなったら補償金を払ってやると持ちかけてくるのだ。考えてみれば、こんな稼ぎの少ない重労働より安易に入る高額の現金収入を求めるのは無理もないことであろう。
 海を守りたい、戦争の基地をつくらせたくないというのは、単なるセンチメンタリズムに過ぎないと思える。
 だが、安次富や龍司のように海人として生き続けたい者にとっては生計の場を奪われるのだから許せることではない。また、一般の沖縄の人々にとっては、政府が普天間の基地の負担を取り除くといいながら、基地を県内にたらい回しにする今度の移設案は納得いくものではない。規模を半分にして移設すると言いながら普天間にない軍港まで備えた新基地を建設するのだから、かえって負担が増加しかねない。移設するのなら、なぜ県外ではないのか。そもそも、普天間飛行場は米軍の基地なんだからアメリカに持っていけばいいのではないのか。
 テント村の活動家たちは、調査船の漁港出入りが頻繁になったことを受け、さっそく公道を開始することにした。彼らの信条は非暴力直接行動だ。
 漁港の船を係留している場所の前に百人以上の人々が集まった。そして、朝早くから座り込んだのだ。防衛局の調査員は船に乗せないように腕を組み合って人間の鎖を作り船に乗るのを妨害した。
 互いに怒号で罵り合いを続けた挙げ句、防衛局員の船出は、ことごとく阻止された。
 しかし、防衛局は、それならばと遠い埠頭から船をチャーターして辺奈古沖にくり出し、調査を続ける。
 それに対抗するため、活動家たちは、カヌーやゴムボートをくり出し、調査船が航行する進路に入り込み海上での妨害活動に乗り出す。最初、防衛局側は、何隻ものカヌーやゴムボートを相手に引いてしまい、作業を中止せざる得なくなったが、そんな日が数日続いた後、防衛局は調査船に海上保安庁の巡視船が同行することになった。巡視船から、活動家たちのよりもモーターの馬力が格段に優れサイズも大型のゴムボートが数隻、海に出された。妨害をするカヌーやゴムボートを相手に拡声器で警告を発し調査船に近付かせないようにガードを張った。
 これには活動家のカヌーやゴムボートでは全然相手にならない。海上保安庁といえば、こういうのに対抗するプロだ。
 安次富と龍司と仲間の海人たちは、その様子を漁をしながら遠巻きに眺めていた。とりあえずは活動家たちに任せておこうと思ったのだ。自分たちは自分たちで生活のための漁をしなければならない。また、彼らの活動に積極的に関わってくると、市場で競りを行うなど漁協組合員としての営業活動にも影響が出てくる。公権力がどのように介入してくるか予想がつかないのだ。
 安次富の長男である洋一が筆頭ということもあり活動家たちも、漁民のその辺の事情はよく理解しており、妨害活動に誘ったりすることはしなかった。海人としては、影で見守り応援するという形での支援しかできないのだ。
 しかし、そんな悠長な態度では、ままならない事態が訪れた。敵が本格的に建設の準備作業に乗り出したという情報が入った。それはボーリング調査を行うというものだ。ボーリング調査は、海底を掘削しての地質調査だ。当然のことながら珊瑚の破壊も伴う。そして、掘削作業をするための足場を確保するための櫓を海上に建てるという。調査の後は、その櫓を足がかりとして埋め立て作業を行うのだろう。
 これは徹底的に阻止しないといけない。

八月
 早朝、辺奈古の海人たちは、船を二隻、沖に出した。その内の一隻は龍司と安次富が乗るアシトミ丸だ。テント村の活動家たちのカヌーやゴムボートと行動を共にするつもりだ。



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 今までの調査といえば、船で各地点の地形を音波計などを使い測定したり、人を潜らせて地形を調べる程度のものだったが、今回のを見過ごすと、恐ろしいのは、気が付かない内に埋め立て作業が進行しかねないのだ。
 これから建てる櫓は、間違いなく作業用の基地となる。パイプや板を積んだ作業船が三隻近付いてくるのが見えた。海上保安庁の船が護衛についている。作業船の周りには妨害を阻止するための大型ゴムボートが二台ほど随行している。
 龍司は腹が煮えくりかえる想いだった。せっかくのイノーが埋め立て壊される。いくら金を貰っても譲れるものではない。それが漁業で得られるより高い報酬であっても、そんなことプライドが許さないのだ。人の弱みに付け込んでコントロールできると思ってやがる。そして、最後には力でねじ伏せられると思い込んでいる。それが許せないのだ。
 それにこの海は、この沖縄の人々、日本人全体、いや世界中の人類全体にとっての共有財産だ。それを失ってなるものか。この美しい海を壊すことは人類子孫に対する冒涜にもなる。自分には、それを守る義務があると感じている。海人としてでだけでなく、一人の人間としてなさねばならぬ使命と考える。
 実際のところ、妨害行動といっても何をしていいのか分からない。洋一や活動家たちのいうところによると、とにかく、進路を塞ぎ、また、工事に着手しだしたら、海面に立ちはだかったり、海中での作業に対しては潜って工事地点に寝そべるなりして、妨害をしろということだ。海上や海中での行動に関しては不法侵入は法的には適用されにくい。
 ただ、くれぐれも暴行を加えることはするなということだ。直接行動といっても、座り込んだり立ちはだかったりすることに限定する。相手が暴行を加えてくるかもしれないので、それから自らの身を守る程度のことはしてもいいが、それ以外は犯罪行為とみなされ、そうなると、相手にさらなる弾圧をさせる口実を提供することになる。
 ついに活動家のカヌーやゴムボートと海人の船は、作業船と海上保安庁の船とゴムボートと真っ正面から対峙する位置まで来た。イノーから離れた沖合で、ここはおそらく滑走路の先端部分に当たるところだ。
「ただちにこの場から立ち去りなさい。今から、ここに単菅足場を建てます。パイプや杭を打ち込む作業の妨害をしてはいけません。妨害行為は威力業務妨害での検挙の対象となります」
と海上保安庁の巡視船の甲板にメガホンを持った男が言った。巡視船は作業船とは距離を置いているが、作業船の周りの大型ゴムボートにはヘルメットと救命胴衣とウェットスーツを着たかなり逞しい体格の男たちがぞろりと乗っている。
 カヌーが近付けば、乗っている奴らにボートが近付きパドルを奪ったり、カヌーから落としたり転覆させたりするのだ。これまでそういう光景を何度と見た。そんなやり取りが何時間も続くのだ。
 作業船が動く、クレーンを上げ、海面に作業地点を示すブイを置こうとする。さっそく、カヌーがその場所にすっと流れ込んできた。クレーンは止まる。
 すると、大型ボートがカヌーに近寄って乗っている男を落とそうとする。
「よし、いくぞ」と安次富が言うと、龍司は操縦桿を動かし、大型ボートにアシトミ丸を接近させた。ボートは急ブレーキをかけたのか、大きくうねって横転、中にいた者が数人、海中に投げ出された。
 龍司は、やった、絶妙の操縦テクニックと自分を褒めた。
 すると、ボートは一旦離れたものの、仕返しをするかのようにアシトミ丸に向かって来た。よし、それならばと、龍司は船をぎりぎりのところで、よけてボートを交わした。するとボートは作業船にぶつかり、作業船からパイプや杭が何本か海面に投げ出された。
 活動家たちは、その光景を見て大笑いした。実に優れた味方を得たものだと皆、大喜びだ。
 もう一隻の船も作業船や大型ゴムボートとの対戦で海人の操縦テクニックを活かし、快勝という具合で妨害を続けていた。何しろ、沖合は浅瀬と比べると格段に波が高くなるので、その高い波に乗りながら操縦するのには特別なテクニックが必要になる。それは海人ならではのテクニックだとしかいいようがない。
 だが、作業船は三台あったため、三台目にはカヌーとゴムボートのみによる対戦なので、思ったほどうまくいっていないようだ。カヌーやゴムボートはどんどん転覆させられ、活動家たちは海面に落とされ、何度も泳ぎへとへとになる者が続出した。
 その内に、海中に杭が打ち込まれ、パイプによる櫓の組立が進んでいく様子だ。
 龍司は見ていられず、安次富に船を任せ、海に飛び込み、櫓の組立が行われている海中まで潜った。
 ダイバーたちがパイプをつなぎ合わせている。龍司が、その作業をしているダイバーの前に立ちはだかる。すると、後ろから別のダイバーが龍司の首をつかみ、その場から離そうとする。龍司は、ダイバーの腕をつかみ力一杯引っ張り上げはねのけると、得意のパンチをダイバーに加えた。ダイバーはレギュレーターが口から離れ混乱状態だ。すぐに浮上した。
 龍司も息切れしてきたので浮上した。活動家のゴムボートが来たので、すぐにそこに乗り上げた。
「大丈夫?」
と言う洋一が手を差し出し、引っ張り上げた。
「ここはやられそうだ。このままだと櫓が立ってしまう」
と悔しそうな表情で見る。他の二台は、作業が全然進んでいない分、この櫓は組み立て作業を進めている。カヌーやゴムボートでは、強力な大型ゴムボート相手には歯が立たない状態だ。
 その日の夕刻近く、単菅櫓が一台出来上がってしまった。三台の作業船で三台作ろうという計画だったのだろうが、できたのは一台だけだったので、妨害の成果はあったのだろうが、しかし、この一台だけでも掘削作業は開始できる。何とか阻止しないとならない。
 よし、明日からは、あの櫓に座り込みをするぞ、と活動家と海人は決意した。
by masagata2004 | 2010-10-01 10:17 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

旅小説「私を沖縄に連れてって」 第10章 普天間基地

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い

まずは第1章から第9章までお読み下さい。

 六月二十三日
 この日は、沖縄中がしんみりとした雰囲気となる。それは、沖縄にとっての終戦記念日ともいえる米軍の沖縄本島上陸作戦攻撃の戦闘終結日である。
 沖縄各地で慰霊祭が執り行われ、20万人以上もの犠牲者を追悼する。沖縄は太平洋戦争において、空襲だけでなく敵軍に上陸され、陸上での戦闘を体験した島である。
 本土のために犠牲を強いられているという意味では現在も変わりはない。
 辺奈古の基地計画もその一環なのかもしれない。辺奈古に移される予定の普天間海兵隊飛行場とはどんなところなのか、内地から来た活動家の人々が見学をしたいと申し出たので、車数台でツアーを組むことになった。ガイド役は洋一をはじめとするウチナンチュウたちである。
 龍司も、この日は漁を休み、セーラと洋一の乗る車で普天間飛行場基地まで行くことにした。龍司は、沖縄に来てから一度も普天間基地に行っていないのでいい機会だと思った。
 この日のツアーは、普天間を見た後に、首里城と南端にある平和記念公園を見学する行程となっている。
 辺奈古から車で一時間、着いたのが普天間飛行場を一望できる嘉数展望台だ。ここは、基地の南側に位置して、階段を上った展望台から基地の滑走路と建物や敷地、そして、周辺の市街地や住宅地、海岸が見渡せる。
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 基地はまさに市街地のど真ん中にあった。見るからに危なっかしい。
 一機の輸送機らしき飛行機が滑走路に着陸しようと近付いてきた。大きな騒音が辺りに響いた。この基地の周辺には九万人もの人々が住んでいる。これはうるさくてたまらないだろう。騒音がひどく、家の中で話しもできないという。
 騒音被害以上に問題なのは事故の危険性だ。実際に基地近くの大学の建物に海兵隊のヘリコプターが墜落した事故が数年前に起こっている。その時は大学に人がいなかったため、建物の破損だけで済んだが、一つ間違えば大惨事になっていた可能性がある。
 事故が起きた時、事故現場は米軍により立ち入り禁止となり、沖縄の警察は現場検証ができなかった。米軍が立ち去った後は、事故機の残骸や残骸は撤去された後であった。事故の証拠を残さないようにしたのだ。そのうえ、残骸が落ちた場所の土壌まで持って行かれた。後に、その場所では沖縄県の調査で高濃度の放射性物質が検出された。米軍は、そのことを追究されるまで、そんな物質を使用していたことを一切発表しなかった。
 しかし、そのようなことは日米地位協定で合法とされており、米軍はやりたい放題なのである。
「信じられないわ。こんな町中に基地があるなんて。アメリカでは絶対に許されないことよ」
とセーラは驚きを隠せない表情で基地と周辺の街並みを見渡した。アメリカ人としては気まずい思いをしているのが見てとれる。
 龍司は、ふと思った。しかし、なぜこんなに危なっかしいと分かるのに基地の周辺は、こうも密集しているのか。そもそも本土復帰前から、この基地は存在する。危険だというのなら、周辺が密集しないように行政でするようにできなかったのか。こんなに危ないのに近くに住みたいと思う人達も変だと。龍司は、それとなく洋一に、その疑問を訊いてみた。洋一は、
「ああ、基地周辺に住む人々は、そもそもは基地の中に住んでいた人々なんだ。米軍が入り込んできて銃剣とブルドーザーで土地を奪われたので、周辺に住むようになったのさ」
と答えた。そして、普天間がこのようになるまでの経緯を解説した。
 第二次大戦後、沖縄は米軍により占領された。旧日本軍の基地は、米軍により接収され米軍が使うようになったが、この普天間に関しては、元々は民有地だったのを米軍が奪い、居住者を強引に追い出し、そこに滑走路を建造して基地になったという歴史的経緯がある。国際条約でも占領軍による民間の財産没収は禁じられている。いわば不法占拠状態なのだ。普天間基地は、そのためもあってか法的に軍事航空基地としての扱いを受けていない。だからこそ、住宅地などを、かなり接近したところに建てることが認められている。
 なるほど、この密集具合はウチナンチュウの米軍に対するレジスタンスの意味が込められているのか。
 また、沖縄の本土復帰前、本土内にあった海兵隊の基地が反対運動で居場所がなくなったために普天間に移設させられ、復帰と共に返還させられることも可能だったのにも関わらず、継続して使用されることになったという。当初は、落下傘部隊などで騒音がひどいヘリコプターなどは飛んでいなかったが、本土からの部隊の移転で騒音や事故の被害が増すようになったという。
 しかしだ、この問題は複雑だ。戦争を始めたのは日本だし、それで負けて米軍に占領された。戦後、独立した後は、代わりにアメリカと日米安全保障条約という形で防衛の肩代わりを願い出た。普天間飛行場の海兵隊の駐留は、その一環でもある。日本を守って貰っている以上、仕方ない面もあり、それは日本国政府の責任である。
「あなたたちは、私の国の軍事戦略で悩まされているのね」
とセーラが突如に言った。龍司は、その言葉に驚いた。アメリカ人からは、そう見えるのか。

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by masagata2004 | 2010-09-30 23:43 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

旅小説「私を沖縄に連れてって」 第9章 島人ぬ宝

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い

まずは第1章から第8章までお読み下さい。

 生物多様性という言葉が、ずっと印象に残っている。東京から沖縄に来て、一番気付いたのは沖縄の自然の豊かさである。よく珍しい生物を数多く目にする。例えば、浜辺を歩いていると、ごろごろとヤドカリが現れる。お握りを浜辺で食べているとサザエのような大きなヤドカリが、忽然と姿を表し手からこぼれたお握りの米粒を食べに来る。
 湿地に行けば、片方の足だけがやけに長い蟹が現れ、その何か特定の機能性が形になった思われる生物の姿に感嘆した。何だか、不思議の国に舞い込んだ気分にさせられる。

 そんな自然環境を守ることと、基地のない平和な沖縄を実現する願いを込めて、洋一をはじめとするテント村の活動家たちは、辺奈古の浜辺でのコンサートを企画し実施することとした。活動の宣伝や資金集めとしてのイベントでもある。
 基地との境界である有刺鉄線フェンス近くのテントを設置しているところに代わりに舞台を設置して地元の歌手による民謡や楽曲を演奏するのだ。浜辺に座って聴く観客は数百人程度。「ヘナコ・ピース・コンサート」と銘打った。 沖縄に住む人や内地の人々、メディアの人々などを招待しての反基地PRキャンペーンの一環とした。
 セーラも招待された。龍司も基地建設の被害を被る地元漁民ということで招待された。舞台が設営され、夕日が浜辺を照らす頃、コンサートは始まった。
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 最初は沖縄の民謡、島唄から始まった。民族衣装を身につけた老人の男性が沖縄の民族楽器である三線を奏で、夕焼けの浜辺にその音色と共に張りのある歌声を響かせた。セーラは感激した様子で観ている。
「はるばる数千マイルを飛んで来た甲斐があったわ。まさに異文化に触れたというような感覚ね」
と島唄を聴きながら言った。夕焼けに照らされるセーラの風になびく金髪と微笑む表情を見る。龍司には、それが、この上ない感動だった。
 島唄は夕陽に合うしんみりとしたものから、祭り的な陽気な曲調のものが演奏された。ウチナンチュウの観客は、自然に楽しんでいる感じだったが、龍司は楽しみながらも、聞き慣れない響きにやや退屈さを感じていた。
 だが、突然、観客席にわっと歓声が沸いた。

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by masagata2004 | 2010-09-29 01:21 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

旅小説「私を沖縄に連れてって」 第8章 生物多様性とは

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い

まずは第1章から第7章までお読み下さい。

六月
 早朝、龍司は浜辺で煙草を吸いながら、キャンプ・ヘナコを眺めていた。丁度、軍用ヘリコプターの滑走路建設予定地となる浜辺と海だ。
 浜辺の基地との境界を区切るリボンと横断幕で覆われた有刺鉄線フェンスの前で立っていた。
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まだ座り込みテント村には誰もいないたった一人の静かな時間だ。
 すると、背中にライフル銃を抱えた兵士がフェンス越しの龍司に近付いてきた。
 若くて小柄な青年だ。年齢は二十は超えていないだろう。見るからにあどけない。人種は白人かと思ったが、近付くにつれ黒人であるということが分かる褐色の肌と顔付きであった。白人と黒人の混血かと思われる。
 怒ったような顔付きで
「おい、近付くな」
と龍司に向かって言った。龍司はむかっとして
「ここは自由の国だ。俺がどこで何をしていようと勝手だろう」
と言い返した。龍司が、英語で言い返したのに相手は驚いた様子だが、すぐに
「ここは俺たちのビーチだ。お前は入ってくるな」
と突っかかる。その反応に龍司は仰天した。
「誰がお前らにあげたと言った。ここは日本国の領土だ」
「違う。日本政府がくれた土地だ」
 龍司は堪忍袋の緒が切れた状態になった。
「誰がくれたと言った? お前らにただで貸しているだけだよ。身の程知らずもいい加減にしろ。そんなにお前ら偉いのかよ。周囲に住んでいる人間に迷惑かけることばかりしてよ。おまけに思いやり予算とかいって、金まで貰っている。少しは礼儀正しくしたらどうなのか」
 怒鳴り声で英語をまくしたてた。怒った時ほど英語は話しやすいと龍司は思った。
 兵士は、龍司をにらみつけるような目つきで見る。何を言い返していいのか分からない。
 龍司は追撃するように、
「おい、腹が立つなら、俺にその銃を撃ってみろ。やれるものならやってみろ。それで新聞の見出しを飾れ」
と言い吸っていた煙草を投げつけた。
 兵士は何も言わず、その場を立ち去った。何だか悔しそうに後ろ姿を見せて去っていく。
 畜生、アメリカ人め。やな野郎だ。東京で働いていた時のアメリカ人上司のことを思い出した。ビジネスマンらしく外面はよかったが傲慢な奴だった。それにあの曹長もだ。アメリカ人とは、みんなあんな感じなのか。きっとそうに違いない。アメリカ人と付き合うのなら、今後注意しないとならない。できれば付き合いたくない奴らだ。
 早朝の体験でむしゃくちゃした気分で、いつものように漁に出て昼飯を食べようと浜辺の方に行った。テント村では、漁師や訪問客にボランティアが資金集めのため自分たちで作った弁当を販売するサービスを始めたそうだ。折角だから買ってやろうと思った。
すると、テントに金髪の女性が立っていて洋一たちに声をかけていた。英語で声をかけているのだが、やり取りは片言でしかできていない。どうしたんだろうと思って近付くと、その女性は目の覚めるような美人であった。

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by masagata2004 | 2010-09-23 21:24 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

旅小説「私を沖縄に連れてって」 第7章 海上滑走路建設計画



 四月

 モズクの収穫が無事終わりほっとした日々を過ごしている龍司らウミンチュウにとんでもない知らせがまた、飛び込んできた。
 それは、早朝、龍司が辺奈古の浜辺を歩いていた時である。
 何人かの人間が集まってテントを設置している。金属のポールを四本立てて、その上にシートの屋根をつけるという本格的な野外設営テントだ。一体、何者だ。誰の許可を取ってそんなことをしている。とはっとして彼らに近付いた。
「お前ら、ここで何をしている?」
と怒鳴り声で言った。
 その中で一番年上らしく、リーダーらしき男が龍司の前に立ちはだかり、
「これから、この海を守るためのテント村を設営するんだ。誰にも止められない」
と怒りを前面に出すような表情で答えた。
「え、おい、海を守るって、いったいどういうことだ。それにお前らは、一体全体、何者なんだ?」
と龍司は、この男のふてぶてしい態度に唖然して言った。
「洋一、お前、ここで何しとる?」
と背後から安次富の声。すると、男は、
「親父」
と言った。龍司は、その言葉にぎょっとした。「親父」親子なのか。よく見ると、この男は確かに安次富と顔がそっくりだ。安次富が三十年ほど若ければ、こんな顔だったかと思わせる顔と体格だ。
「お前、いつの間に帰ってきて、こんなところで何しとる」
と安次富が洋一に近付き、怪訝な表情で言う。なるほど、例の漁師を嫌がって内地に行ってしまった長男とは、この洋一という男のことか。
「親父、この海を守りに来たんだ。この海が破壊されようとしている。だから、急遽、帰ってきたんだ」
と洋一。
「何が海を守るだと、ウミンチュウになんかなるの嫌だって内地になんか飛んでいったものが今更何をぬかすか」
と安次富、呆れ顔に変わって言う。
「この海が米軍のために壊されるのを止めたいんだ。知らないのかい? 今度、この海に海兵隊基地の滑走路が埋め立てられて建設されるって」
と洋一の言葉に龍司も安次富も耳を疑った。そんなの初耳だぞ。
「これを読んでよ」
と洋一は、新聞紙を差し出した。地元紙「琉球タイムズ」の一面トップの見出しに「普天間基地代替地として辺奈古沖に滑走路建設が閣議決定」とあった。
 安次富は、眼を凝らして記事を読んでいる。続いて龍司も読んだ。内容はこうだった。
 十年以上も前に、沖縄本島中部宜野湾市の普天間基地の海兵隊員による少女暴行事件で大抗議集会が開かれ米軍に対する反発が広がったのを受け、、日米両政府の合意により沖縄の負担軽減を目的とした普天間基地返還が決定した。但し、返還には条件がついた。普天間基地の返還は、同基地の海兵隊機能の半分を移設するための代替施設を沖縄県内に建設するということだ。海兵隊司令部を含めた他の半分はグアムに移設することになる。代替施設にはヘリ部隊が常駐することになる。兵員1万六千人の半分に当たる八千人も移ってくることになる。
 その移設先として決まったのが、北部東海岸に面するキャンプ・ヘナコなのであった。そこで、当初、キャンプ内の山間部に一キロほどの長さのヘリコプター滑走路を一本建設する案が浮上したが、キャンプ周辺に住む住民を含めた名古市の住民が反対運動を起こしたため頓挫。代替施設建設が決まらず、当然のこと、普天間基地の返還も保留のままになった。普天間基地は市街地に隣接しているため世界で最も危険な飛行場とされている。なので、一刻も早い撤去が求められているため、今度は山間部より離れ海上を埋め立て滑走路を造る案が浮上したのだ。これなら、陸上は通らず、海上が飛行経路になるので安全なはずであると防衛省は述べ、名古市市役所側も住民の反発を避けることが出来ると自信を持っているという。新しい滑走路案は千八百メートルの長さで二本でき、また、大型軍艦が停泊できる軍港を兼ねる機能も持つという。
「とんでもない話しだ」
と安次富が叫んだ。龍司も愕然とした。普天間の飛行場機能が軍港機能と一緒に、この海岸に移ってくるとなると今よりはるかに頻繁にヘリコプターや水陸両用戦車、軍艦などが行き来することになる。そうなれば、漁業どころではない。漁場は、間違いなく潰される。
 テント村に集まったのは、洋一を筆頭とする「辺奈古新基地建設反対連盟」と銘打った平和団体のメンバーだ。主に活動家風の若者たちだ。これから、全国の様々な平和団体や環境保護団体を集め、建設阻止行動を展開すると息巻いている。
 ウミンチュウたちも新基地建設にどう対処すべきか話し合いが行われた。そして、近く住民に対し、海上滑走路建設の詳細な内容を市が説明するための説明会を辺奈古公民館で開くというので、それに参加することにした。
 龍司は混乱した。一体全体どうなっているのか。折角、この地になつき、漁師にもなろうとしたのに、ここに来て状況が一変してしまう。どうしたらいいのか。
 
 数日後の午後、説明会が開催されている辺奈古公民館を龍司と安次富、その長男の洋一らは訪ねた。会場には周辺の集落に住む老若男女が集まりごった返していた。
 数日前から安次富の家に長男の洋一が入り込むことになった。洋一は内地でサラリーマンをしていたが、滑走路建設のニュースを聞き、会社を辞めて運動を起こすため帰郷する決心をしたという。洋一が元いた部屋に戻ったため龍司が洋一の妹が使っていた部屋を使うことになった。これから基地建設阻止のための長丁場が始まることになるので、ずっとこの親子と付き合うことになりそうだ。
 沖縄には伝統的な慣習としての長男が家を継ぐ門中というものがある。安次富は、それに従わず内地に渡った洋一のことを龍司に対して何かと愚痴っていたが、いざ戻ってきて、ふる里の海を守るため立ち上がったことに感銘を受け、親子水入らずの間柄になっていた。龍司としては、それは別に構わないと思った。自分は他人だし、いずれ出ていくしかないと思っている。だが、ウミンチュウとして、飯の種である海が壊されることに強い危機感を抱くという点では共通している。
 説明会では、参加者に紙数枚の資料が提供され始まったが、説明者である名古市助役は、黒眼鏡をかけた中高年男性というお役人の典型のような容貌で挨拶がやたらと長く肝心の説明は実に抽象的なものであった。
「普天間基地の危険性を考慮に入れ、この決定を受け入れるしかなかったのでございます。海上に滑走路ができるのですから、陸上部よりはるかに安全であります。環境にも配慮した構造を目指しております。また、漁業関係者の方々には、それ相応の補償措置を検討いたしております。また、この新基地受け入れにより当市は、振興策として多大な補助金を受け取ることになっています。また、基地建設も当市の業者に優先して入札が出来るように取り計らっていますし、地域経済にとっても・・・」
 説明は二十分足らずで終わり、質疑応答はなし。時折、参加者から罵声が飛んだが、説明会が終わるとほとんどはそそくさと会場を去って静まった。公民館を出た時、洋一は龍司に対してこう言った。
「こんなこと沖縄ではよくあることさ。どうせ政府が決定したことだから覆されないだろうと諦めているし、ならば条件闘争に持ち込もうとね。できるだけ、高い見返りが貰えるように取り計ろうとするんだ。何よりも、この名古では人口六万人に対し五十もの土建屋がある。市長も、そんな土建屋連中の支援を受けて当選したようなもんだから、むしろ歓迎しているぐらいなんだ」
 はあ、なるほど、日本のどの地方でもある公共事業で地域経済が成り立っている現状。それにより雇用が産み出される利点があるので、地元も一枚岩ではないということか。
 


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 龍司は考えた。これから、自分はどうしたらいいのか。どうせ、この海に滑走路が建設されるのは間違いない。政府が決めたことで地元でも受け入れの方向だ。覆せるはずがない。自分は、そもそもウチナンチュウではない。所詮はよそものだ。確かに八ヶ月も住み続けて愛着が沸いているが、でも、ここで生まれ育ったものに比べれば大したものではない。漁師になるのが目的で来て、漁師になれなくなってもここに住み続けられるのか。
 それは疑問だ。それならば東京に帰ろうか。ここに居続けても仕方ない。いずれ居場所がなくなり追い出されるのだから。基地建設阻止運動とか、いざこざにこれ以上巻き込まれるのはたくさんだ。
 そうしようと決心が固まってきたある日、龍司は浜辺の反基地テント村に立ち寄った。
 新基地建設決定のニュースは県内はもちろんのこと、全国中に知れ渡り、様々な人々が訪れるようになっていた。午前八時から午後の日没ぐらいまでの間にテントは運動家の人々が座り込み、訪問者に対応、そして、海上の様子を見張ることになっている。
 反対の意志を示す象徴として、浜辺のフェンスの有刺鉄線には反戦・平和、環境保護を訴えるメッセージを書いたリボンや横断幕を巻き付け、日に日に有刺鉄線は、そのリボンと横断幕で埋め尽くされるようになっていった。これを米兵たちに見せてやろうという気なのか。
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 龍司は元来、このような活動には関心があるほうではない。そもそも、政治問題には関心が薄く選挙にも行かない男だ。デモや座り込みなど、やっても無駄なことと常日頃から思っていて、そんな運動の誘いを受けても、無視するようにしている。なので、見ていてバカバカしくなってきた。
 テント村に立ち寄って、洋一らと挨拶して、その後、安次富に自分がここを出て東京に戻るつもりの旨を告げることにした。
 だが、洋一はおらず、代わりに近くの集落に住む長老が数人ほど座り込んでいた。皆から「おじい」「おばあ」と呼ばれて親しまれている長老たちだ。
 おじいとおばあに挨拶をしようかと思ったら、おじいとおばあは、土建服を着た龍司と同じ年頃の男性と話しをしていた。
 土建の男性は、おじいとおばあに、基地建設の説明をしているようだ。とても堅い表情をしている。しばらくして、長老の中で最も年をとっていると思われるおばあが土建の男に向かって優しく問いかけるように言った。
「あなたは、この海で育ったんでしょう。この海があるからこそ今があるのでしょう。自分の子供にも残したいと思わないの。私はその一心でここに座り込んでいるのよ」
 すると、男の表情は突然緩み、顔を真っ赤にして涙を流し始めた。こいつもウチナンチュウということか。
 龍司は、即座に眼を背けてしまった。こんな光景見たくない。何だか胸に突き刺さる。とりあえず、今日は何も考えず魚でも獲っていくか。

 その日の漁と出荷が終わった後、龍司は安次富の家で夕飯を食べて、夕暮れ時を基地寄りに面する通りの飲屋街に行った。飲屋街といっても2、3軒ほど店が並んでいるだけのひっそりとしたところだ。地元の人以外に米兵も時折立ち寄るという。
 その中の一軒「バー アップル」に入った。ビールでも飲もうと思った。安次富の家には泡盛しかなく飲み飽きていた。
 するとバーのカウンターに見覚えのある男が座っている。ヘインズ曹長だ。
 龍司はカウンターに近付き、バーのマスターに対し「このマッチョの方にビールを、俺の驕りで」と言った。
 マスターはビール瓶をヘインズに差し出す。ヘインズは龍司を見て言った。
「よう、嬉しいが、私は謙虚な男だから、金は払うよ」
 ヘインズは、にったりと笑みを浮かべる。
「折角だから、いろいろとチャット(お喋り)なんてできないかな。また出会えたのも奇遇だし」
と龍司が言うと、
「OK」と返す。
「演習のコース変更の件はありがとう。実に感謝している。だけどさ、新しい問題がまた起きたんだよな。多分、あんたも知っているだろうけど」
「滑走路のことか」
「ああ」
「いっとくが私は一兵員に過ぎない。命令でここに配属されたに過ぎない。はっきり言って私の知ったことじゃないとしか言えないな」
 実に素っ気ない反応で、表情がやや不機嫌になった。
「ビーチで反対運動している奴らをどう思う。フェンスにリボンなんか巻き付けているけど」
「ふん、それも知ったことじゃないね。勝手にやらせとけっと言ったところか」
「ここに来てどのくらいになるんだ」
「今年で三年目かな」
「沖縄では歓迎されていると感じるかい?」
「さあな、歓迎されていようがなかろうが、私や他の隊員にとってはどうでもいいことだ。それに沖縄に来る前に言われていたんだ。沖縄には基地の中に町があって、そこに人が住んでいるとな。この島が基地のようなもんだ。みんなそう思っている。じゃあな、マイ・フレンド」
と曹長はビール瓶をさっと飲み干し、カウンターに置いた。その側には、すでに飲んだウイスキーのボトルとグラスが置いてあった。。
 そして、カウンターに金を置き、巨体を立ち上げ、そそくさとバーから出ていった。

 龍司は思った。こん畜生。絶対に滑走路なんて造らせないぞ!
by masagata2004 | 2010-09-22 10:10 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

旅小説「私を沖縄に連れてって」 第6章 ヘインズ曹長

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い

まずは第1章から第5章までお読み下さい。

三月
 モズクとは、沖縄名産の海藻類として知られているもので、健康にもいいと定評の産物だ。そもそもは浅瀬の岩場に生えていたりするものだが市場に出されるのは、養殖によって生育したものである。
 養殖の方法は、最初に地上で海水タンクを使い、種を育て、次に浅瀬の海底に網を張り芽が出てある程度成長するまで置いておく。三センチほど芽が出て苗ができたところで、次にそれを海中に浮かせる形で網を張り、その後、三ヶ月ほど生育させ、収穫期を迎えるのである。
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 いわば、漁業というより水中農業といったかんじだ。
 龍司も種付けから、海中に潜っての網張りを手伝った。日々、生育状況をみるため潜り、藻がすくすくと成長していく姿を眺めるのは実に心が潤う気分だった。
 見習いから始めて半年以上が過ぎた。すでに見習いという立場を超え、一通り漁業を覚えたウミンチュウと仲間から認められるようになった。
 安次富も、しっかりとやっていけると念を押し、いずれは自分の分を引き継いでもらいたいと言った。というのは、安次富は、自分の引退後は長男に継がせたかったが、長男は漁師になることを嫌がり、沖縄を出て内地に移住して以来、めったに帰ってこないというのだ。どうせなら、他人でありヤマトンチュウであっても、意欲も能力もしっかりとある龍司の方が跡取りにふさわしいと言った。
 そのこともあり、龍司は、見習い期間が終わると安次富の家に引っ越し、長男が使っていた部屋に住むこととなり、また、船や車、漁業用具をそのまま共有することとなった。漁獲の収入も山分けという形に切り替えてくれた。
 龍司も龍司で、そんな申し入れを快く受け、また、漁師になるために必須となる船舶免許と無線免許を取得した。
 一人前になるには、まだまだ修業が必要だが、一応は自立した形が整ったかんじだ。
 そんな時、龍司とウミンチュウ仲間を困惑させるとんでもない知らせが飛び込んできた。
 その日の正午、昼食の後だった。下地が沖縄防衛局の知人から聞いた話しだという。
「なあ、来週、海兵隊の水陸両用車の演習があると通告を受けただろう」
と下地が詰め所に集まったウミンチュウに言い放った。
「ああ、もう通告は受けとるよ。いつものことだ」と安次富。
「それがさ、今度のは、いつもより規模が大きくなるようで、戦車の数も増え、演習範囲も広がるそうなのさ」
「それはどういうことなんだ?」と龍司。
 ウミンチュウ一同、はっとした面持ちになった。
「おそらく、今、モズクの網を張っている場所も通過することになるだろうってことさ」
「何!」
 皆、大騒ぎになった。とんでもない。龍司も、辺奈古に来て何度か水陸両用戦車が海中から浜辺の方へ通過していくのを見たことがあるが、それはまさに海を泳ぐ戦車であり、幅も高さも並みでなく。中に二十人ほど人が入れるぐらいの図体である。
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軍の揚陸作戦に使われる戦車だ。演習の後に水中に潜った時に車輪のキャタビラによって、海底に幅の広いキャタピラ痕がくっきり残っているのを眼にする。
 もっとも、水陸両用戦車が通過する経路は決まっており、その場所にモズクの網を張ることはしない。ところが、どうも今回はめったにない大規模演習になるということなのだ。台数も増え、そのため通過コースも広げるというのだ。モズク網など簡単に引きちぎられ、モズクは収穫前というのに全滅となり、大損となってしまうのは目に見えている。辺奈古漁協共同の運営であり、多額の資金を投じて種付けから丁寧にしてきた。それが、まさに海の藻屑となってしまうのか。
 何とか、モズク網がある場所は通過しないようにするか、その大規模演習を収穫後まで延期して貰うしかない。
 ならば、交渉だと、皆、息巻いた。過去にも海兵隊と交渉をしたことがあったという。それも水陸両用戦車が、故障して海底に放置されオイルが漏れ始めた時だ。
 沖縄防衛局を通して、基地に対して、戦車を引き揚げるように要望を出したが、実際に引き上げが始まったのは苦情を出してから一ヶ月も後だったという。
 困ったことは、どんなに漁民側が被害を受けようと、米軍には損害を補償する義務は全くない。それは日米地位協定に規定されていることだからだ。
 なので、急いで強い態度で交渉に望まなければならない。それも直接交渉でないと時間がかかる。
 安次富を代表として数人ほどが束になって殴り込みに行く気分で向かうことになった。もちろんのこと、龍司も加わった。ウミンチュウの中で英語ができるのは龍司だけだ。基地の方には通訳がいるものの、英語ができる者がいると心強いだろうと思うからだ。
 龍司は、自分の使命を自覚した。

 基地のゲートまで行き、ゲートにいた日本人の警備員に事情を話し、渉外課との交渉を申し出た。実に切迫している。交渉に応じるまでここで座り込みをすると伝えた。
警備員が電話で内部に連絡をしてから、待つこと二時間後、ゲート通過の許可が降りた。とりあえず、先方は話しだけは聞いてもいいということだ。

 そこはとても殺風景な部屋だった。壁が冷たい灰色のせいか面談室というよりは取調室なのかと思うほど殺風景であった。
 ウミンチュウら五人が椅子に座って待つこと一時間後、二人の人物がドアを開け入ってきた。
 一人は通訳らしき日本人の中年男性。もう一人は二メートル近い背をして体付きがいかにも軍人らしい金髪の大男だった。二人は、五人のウミンチュウと対面するように座った。
 年齢は四十近くに見える。筋肉ムキムキで、半袖でカーキ色のシャツを着ていたが、そのシャツから膨れあがった筋肉の血管がくっきりと見てとれるほどのごっつさだ。顔も同様に強面で、一目見れば気の弱い者なら、その場で遠ざかりたくなるほどの外見だ。さすが、これがアメリカ軍人、その中で最も獰猛だといわれる海兵隊員ならではである。名は、チャールズ・ヘインズ曹長といい、来週の水陸両用戦車の演習を担当する教官だという。
 待たされること三時間、話しを聞くだけなので、せいぜい十分程度しかここにいられないという。なので、互いに挨拶は省く形で進めた。

続き
by masagata2004 | 2010-09-21 18:42 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

旅小説「私を沖縄に連れてって」 第5章 ウミンチュウになる

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い。

まずは第1章から第4章までお読み下さい。

 辺奈古漁港は、本島の東海岸に位置する。目前に広がる海は太平洋だ。快晴で爽快な海だ。
 安次富の小型漁船「ヘナコ丸」に一緒に乗り込んだ。安次富は「ほら、用意しといたよ」と言って荷物箱を開き、龍司にウエットスーツとサングラス、水中メガネを差し出した。船はエメラルドグリーンの海原へと発進した。
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 船を出してどこまで行くのかと思いきや、数分ほどで止まった。停まったところで船の操縦櫓の屋根に旗を立てた。
「この旗は、今、漁師が舟の下で潜水をしているということを示すものだ。ここはイノーというところだ。つまり浅瀬、俺たちの漁場は主にここになる。今から、潜ってティラジャーを獲るから見ていろ」
と言って水中メガネとウェットスーツを身につけ、手に網袋を持った安次富は海へ飛び込んだ。
 しばらくして、安次富が浮上してきた。網袋一杯に巻き貝を入れいている。船に上がり、袋からそれを四角い箱に落とす。
「さあ、今度は一緒に潜ろう」
と安次富。ウェットスーツに着替えいていた龍司はサングラスを水中メガネに替え、一緒に水中へダイブした。
 透き通った海で、深さは三メートルもない。そして、底の砂場に寝ころんでいる巻き貝を拾い上げ網袋に入れていく。安次富が実演をすると龍司は袋を渡され同じことをした。
 同じことをするのは実に簡単なことだった。特に龍司は、潜水が得意だ。五分ぐらいは潜っていられる。ここに来て水泳部と水球部で活動していた経験が活かせる時が来た。
 安次富が浮上している間も、どんどん貝を袋に入れていった。そして、浮上する。
「さすがだな」
と船上の安次富が言った。龍司は網袋から貝をごろごろと落とし入れた。安次富の取った分を含め箱一杯になっていた。
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「これは、この後、陸に揚げ殻を剥き、排泄物を取って競りに出す。この量と質だと、ざっと三千円くらいといったところかな」
 龍司は、箱の中を見つめ殻に入った状態で身がうごめくこま貝の姿に不思議な感動を覚えた。こうやって、貝が海から取り上げられ市場に運ばれ、ついには食卓へ並べられるのか。その最初の地点に自分がいる。
 工業化された現代から狩猟採集の原始時代に戻されたような気分だ。もっとも、原始時代から現代までずっとこの仕事は続いていたが、ただ気にかけることが少なかっただけなのかもしれない。
「さあ、今日はこれでお開きだ」と安次富。
「え、帰るのですか? もっと獲ればいいのに」
「これから、名古に行って、競りに出しに行く。一通り漁業というのを覚えてもらいたいからさ」
と安次富が言うと、船は漁港へと戻った。
 戻ると、すぐに貝がどっぷり入った箱を軽トラックに積み、運転して沖縄本島西海岸側にある名古漁港の水産市場へ向かう。車で一五分ほどで着いた。漁港の近くは辺奈古とは違い商店街や市役所、市民会館の並ぶ市街地だ。辺奈古地区は、本島北部の西海岸から東海岸に連なる名古市の中にあり、名古市の中心部は名古漁港の周辺地区である。
 そこで、まず殻向きと洗浄作業が行われる。女性ばかりのその場所に龍司は加わった。どのような手順を踏むのか知っておくためだ。
 そして、巻き貝たちは身だけになって競りに出される。地元の料理屋や魚屋の人々が来ていた。ほぼ三千円で売れた。昼食を近くの食堂で食べ、その日は、それで仕事が終わった。
 辺奈古に戻った後、詰め所に置かれた用具類の整備や洗浄、掃除をするように言われた。たいていは分担してするのだが、龍司は見習いということなので見習い期間中は一手に担うように命じられた。ま、当然のことだろう。
 一人で作業が終わった後は、夕暮れになっていた。安次富が来て、夕飯に誘った。安次富の家だ。門につがいのシーサーのある鉄筋二階建てだ。食事は安次富が作り、龍司と、その他、数人の漁師仲間が来ていた。晴れた日なので、庭にテーブルを置き、それを囲んで夕飯を取ろうということだ。
 安次富は、十年ほど前に妻が亡くなり、夫婦の二人の子供たちは、長男と長女共に内地の方へ大人になると移住してしまったという。
「この新入りの仕事第一日目に乾杯」
と泡盛を今日獲れたばかりの魚や貝の刺身、島らっきょう、ゴーヤなどの沖縄野菜を並べたテーブルの前で飲んだ。こういう仲間が集まって、のんびりとお喋りすることを「ゆんたく」というのだそうだ。夕焼けと涼しい潮風に吹かれ、早朝の衝撃的な体験はすっかり記憶から消されていた。
 

続き
by masagata2004 | 2010-09-19 19:51 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

旅小説「私を沖縄に連れてって」 第4章 キャンプ・ヘナコ

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い。

まずは第1章から第3章までお読み下さい。

 自分は何と危険なところで海水浴をしていたのか。今いる浜辺から、数百メートル先には、さっき海中で出くわした黒いウェットスーツを身につけ、ライフル銃を抱えた兵士らしき人物が複数、上陸している。
 ヘリコプターの轟音も鳴り響く。また、さらに、そのヘリからロープにぶら下がりながら、人間が海中に落ちていく。これが海兵隊の訓練というものなのか。
 そして、リゾートホテルかと思っていた建物は海兵隊基地の施設ということか。
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そして、よく見ると、その施設の建物から続く浜辺から、この漁港近くの浜辺の間に金網のフェンスが設置されているのが見える。龍司と安次富のいるところから五十メートル程先のところだ。
 こんなこと知らされてなかったぞ。龍司の仰天した表情を見た安次富は、
「心配することはない。月に何回かある程度の訓練で、たいてい規模の大きいものは通告がある。奴らともめったに会うこともない」
と言った。やや申し訳なさそうな表情をしている。昨晩話していた「通告」とはこのことか。龍司は、どう反応していいのか分からなかった。ヘリの轟音が鳴り響く中、二人の間にしばらく沈黙が続いた。すると、安次富は、
「そもそも、海水パンツ一丁で泳ぐのはいけんぞ。まあ、内地の者ならみんなそうするのだろうが、ここでは海に入る時は、上に必ず何かを着る。そうしないと、体が焼けただれて大変なことになるからさ。漁に出る時もそうだぞ」
と叱りつけるように声を立てた。
 納得である、と龍司は思った。真夏の八月だから日本中どこでも日差しは強いのだが、ここは、明らかに東京より日差しが強い。太陽がより高い角度で光を差しているのが分かる。緯度の低い南方にいるということだ。朝早いというのに、東京にいる時の真昼のような日差しの照り方だ。これで正午となると、眼も開けてられない。海上ならば尚のこと。サングラスを持ってこなかったことを後悔した。すぐにでも買おう。そうしないとこの日差しにはかないそうにない。
 とりあえず、詰め所の建物に戻った。すでに昨晩会った漁師たちが何人か来ていた。訓練が終わり次第、漁に出るつもりだと。通告はあるが、実施日だけなので、いつ始まるか終わるか正確な時間は知らされない。その日一日中、終わるまで待つか、漁は中止するかしないといけないという。

 一時間ほどして海兵隊の訓練は終わったのか、辺りは一気に静まった。龍司は、この辺奈古の町を回ってみることにした。
 何と言っても、興味があるのは、そのキャンプ・ヘナコといわれる訓練基地だ。海浜からではなく、陸上の入り口から見たいと思った。
 日本で米軍の海兵隊の基地があるのは沖縄だけだと聞く。そして、沖縄には数多くの米軍基地があると聞く。時にテレビや新聞のニュースになることがあるので、誰でも知っていることだ。日本国内にある米軍基地の七十五%が沖縄に集中していると。国土面積の一パーセントに満たない県なのに、どうしてかと沖縄県民からの不満の声が流れたりする。
 もっとも、龍司は、そんなニュースには今まで一度も関心を払ったことはなかった。だが、間近に米兵が訓練して自分自身にあんなにも迫って来た体験をしてしまうと無関心ではいられない。その上、これからずっとその近所で生活することになるのだ。

続き
by masagata2004 | 2010-09-11 21:03 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

反対派の人々に言いたいこと

沖縄で普天間の移設先候補の辺野古浜で座り込みをしている人々と出会い、ほぼ1ヶ月を共に過ごしたが、彼らと目標とするところは同じでも、どうしても異議を申し立てたいところがあった。

それは、基地反対運動が教条的な平和思想と連動している点だ。

私は、辺野古に出来る基地が自衛隊ではなく米軍基地であること、それに仮に自衛隊であれ、民間の旅客機の飛行場であれ、その場所が貴重な自然資源のある場所だから、反対という立場だった。

だが、辺野古の人々は、米軍だけでなく、自衛隊にも反対。それは、基地ができることが反対ではなく、軍隊そのものに反対という考え方からだ。いわゆる反戦「左翼」というべきものか。

それだとまずいのは、そういう運動している人達は、理想主義をほざいているだけの連中だとレッテルを貼られ、戦争は人類が存続する限りなくならないぞ、と現実主義者にたしなめられることになり、結果、彼らが勝ってしまうことになりかねないからだ。

また、よく持ち出される普天間基地の危険性についてだが、これも話しを訳のわかんないものにしている感じがする。考えてみれば、本土復帰の時から、普天間の危険性は分かっていたのだから、どうして、今の今までこんなに基地周辺が密集して、公共施設などが建っているのかと疑問に思っていたが、いろいろと話しをきくと、つまりのところ、普天間基地周辺の密集性は、沖縄人の米軍に対するレジスタンスだということだ。
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しかし、このことに対しては、以下の点で異議を申し立てたい。

19世紀の琉球処分以降、沖縄は日本の一部となり、やもえずもウチナンチュウはそれによって日本国民になったわけだが、それならば日本が開戦して敗戦した結果を受け入れなければいけない立場にある。

基地返還は、それでも訴え続けるべきだが、危険性を盾にとるのは、その意味で無理がある。

むしろだ、独立国家であり、冷戦が終わり、米軍基地の必要性はもうない、特に海兵隊は、という点で、本土にもある他の米軍基地の返還運動と連動して返還要求すべきではないかと思う。

これは、以前、関わった横須賀の原子力空母配備でも同じことがいえた。原子力の危険性はもっともだが、それよりも前に、母港として提供していることを問題視すべきなのではないか。つまりは主権の問題だろうって。

そのことを反対運動をしている人達に問うと「もっともだ」と答える人がいた。

次期、県知事選に立候補を表明している伊波宜野湾市長は、公約に「海兵隊撤退」を掲げるようだ。普天間返還よりも、政治的な意義を明らかにすることを狙っていると考えられる。アメリカ以外で海兵隊の基地があるのは日本ぐらいのもの。そういうことに自覚が必要だろう。

それから、戦争は悪なるものと反戦スローガンを掲げるのはご立派だが、でも、いざとなったらどうするの、ということを議論しない。つまりは感傷的になっているだけで、現実を見据えた上で、真の平和を実現するための解決策を提示することはない。ただ、仲良くしましょう、理解し合いましょうとか、いうだけ。

そういうことが、彼らの運動に限界を作っているように思う。

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by masagata2004 | 2010-09-07 19:42 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)

沖縄と東京の違い

沖縄から東京に戻って早、一週間が経とうか。

さて、沖縄での生活で気付いた東京との違い。もちろん、たくさんあります。

意外なことに、沖縄の方が涼しくて過ごしやすかった。もちろん、今年は記録的な猛暑で東京では連日35度以上だったけど、沖縄では平年並みというか30度前後。それに、沖縄は海に囲まれ、森林も多いので、ひんやりとした空気が取り混ざり、また、海風が体を涼ませてくれる。

何と言っても、自然が豊かで、美しい風景が盛りだくさん。定番は、エメラルド・グリーンの海。
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さて、いざ生活するとなると思うのだが、沖縄は物価が東京に比べて安い。お昼や晩に食べる定食は、400円とか500円など。お弁当も300円なんかだった。だけど、給料は新聞広告を見る限り、月給12万円ぐらいがざら。それに比例して物価が安いとはいえない。だから、生活は東京に比べ相対的に苦しいんじゃないかと思える。ただ、その分、東京ほど娯楽がないから消費が抑えられる面も。漁師や百姓やっていたら、ほぼ自給自足だしね。

沖縄には独自の文化があるところも東京を含め、本土との違いを感じさせる。言葉が方言の域を超えて外国語みたいで、食堂に入って地元の人の会話を聞くと何を喋っているのか分からないほど。

街では必ず、シーサーをみかける。個人の家、商店の入り口、警察署、はたまた大手スーパーの入り口にも。
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また、ドライブしていてところどころで見かけたのは、一族用の墓。これは本土のどこに行っても見かけないものでしょう。
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何だか、沖縄の人々の結束を感じるような物体だった。

沖縄っていいよなって、失われた何かが、あるような気がしてならない。そんな世界だ。
by masagata2004 | 2010-09-05 17:21 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)


人生は常に進歩していかなければならない


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