カテゴリ:映画ドラマ評論( 194 )

米映画「トッツィー」 すでにフェミニズムの時代は終わっているが

ダスティン・ホフマン主演の売れない役者が、高額のギャラを取ろうと、女装して昼メロのキャリア・ウーマンの役をゲットする。

この映画を高校時代、社会の教師に授業の一貫として見せられたことを覚えている。何でも、ジェンダーについて考えようというのがテーマだったが、生徒からはオカマが引き起こす騒動コメディとしてしか捉えられていなかった。

制作者にそんな狙いがあったとは、なかなか思えない作品である。結局はただのコメディではなかったのか。

ただ、当時、フェミニズムに、それなりに関心のあった私は、真剣にそのテーマに挑むべく観賞した。でも、今、見返してみると、単なるコメディに過ぎないのではないかと思える。

同じようなストーリー展開で、黒人に化けて奨学金を得てハーバード大学に入学する白人青年を主人公とした映画「ソウル・マン」ならば、コメディながらも、テーマ性がしっかりしていたように思える。違う立場の人間になることで、思わぬ気づきをするというネタ。

どちらの映画も、最後には、主人公の正体がばれるのだが、変身していた自分を本物と思っていた人と新たな付き合いを始め、それによって、性とか人種などの垣根を超えて人と人は理解し合えるものだというメッセージを伝えたかったように思える。

「トッツィー」では、フェミニズムがテーマだったとして、フェミニストが好むキャリアウーマンとしての強い女を演じる男から、男でも女の立場や気持ちは理解できるのだと訴えたかったのだろう。

だけど、もうフェミニズムなんて関心のない今日この頃。いくつか理由を挙げると、

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by masagata2004 | 2010-07-25 17:56 | 映画ドラマ評論

ドイツ映画「ベルリン陥落 1945」 ソ連軍による性暴力

ナチスや戦争関連のドイツ映画を、また観てしまった。数年前から、そのジャンルの映画が公開されると必ず映画館に行くなり、レンタルで観ることにしている。例をあげれば、ヒトラーが誕生から独裁体制を築くまでを描いた「ヒットラー」、そのヒットラーが戦争末期、自殺するまでの日々を描いた「ヒトラー 最期の12日間」、ナチス時代に抵抗運動をしたため処刑された若い女性の物語「白バラの祈り」、ナチスの独裁を高校の授業で実験する「ザ・ウェーブ」などなど。詳しくは、このブログのタグ「ドイツ」で評論を読んでいただきたい。

実際にその影響で2年前にベルリンとアウシュビッツを訪問して、その歴史の足跡を追ったこともある。
以下は、その旅の総集ビデオ映像




だが、そのドイツも被害者の面が大いにある。そのことを描いたのが、映画「ベルリン陥落 1945」である。

つづき・・・
by masagata2004 | 2010-07-19 00:22 | 映画ドラマ評論

翻訳者小説「風と共に去らないでくれ」 第3章 女性の視点

映画で国家の危機を救えるか。

まずは、第1章第2章をお読み下さい。

字幕翻訳作業をする上で、達朗には助手がいた。名は律子といい、二十歳を過ぎたばかりの女性だ。器量は、とても上品である。それもそのはず、彼女は良家の子女だったからだ。しかし、訳があり一家とは絶縁状態にある。そして、達朗は、その律子と婚約している。

律子は、達朗が、字幕の仕事をする前から、字幕制作の助手として働いていた。彼女は女学校で英語を学んでおり、ある程度の英語力があり、字幕制作をする意味では助けになった。フィルムを観ながら、会話の一区切りがついたところで、台本のスクリプトと照らし合わせながら、訳を作り内容を確認する。時に台本がない時もあるし、台本と映画での俳優の会話が違っていることも多々ある。その度に、フィルムを巻き戻し確認しないといけない。実に面倒な作業だ。だからこそ、訳者は、さっとその場で思いついた訳文を読み上げ、それを助手にノートに書き取って貰うのだ。自分が読み上げた訳が、不自然だと助言をもらうこともある。速攻なので、きれいな訳にはならないので、その点を正して貰うのだ。

また、字幕には、尺合わせのルールを採り入れている。1秒あたり4文字程度で、画面上で多くても1行16文字、2行以内。句読点は入れない。字幕をフィルムにプリントする前に、その尺に合わせた台詞に直す。その作業も助手の律子がして、最終の確認を達朗が行うことにしている。実際のところ、会話の言葉をかなり削ったり変えたりすることになっていく。動く画像の中で、文字を読むことを観客に強いるので、それはやむ得ないことなのだ。

翻訳を行う前に、映画を全編通して一緒に観賞した。そうでないと、一コマ一コマの会話もつながりのあるものに仕上がれない。ただ、律子は、どの会話も理解できるほどの英語力は持っていない。早口なところはそうだが、この映画の英語は南部訛りが主流だ。なので、聞き取りが難しい。なので、達朗が、ところところで、分からないところをフォローするという形で観賞を続けた。また、事前に翻訳版の原作小説も読んでもらった。なので、見終わった後には、映画のだいたいの内容とイメージは、つかめた状態だ。その後で一つ一つの会話を訳していく作業に入る。

最初に時代背景の解説文がロールとして流れる。観客にストーリーの前提となる南北戦争の時代がどんなものであったかを伝える。1分間ほど解説テキストが上に巻き上がっていくのが、農場で奴隷が働く姿の映像を背景に流れる。これは文字だけを訳す翻訳なので、さっと仕上がった。

舞台となるアメリカ南部だが、原語ではthe Confederacy となっているのを、単に「南部」とした。忠実に訳すと「連合体」という意味だ。それは、南部の奴隷州の連合体という意味である。つまりのところ、南北戦争というのは、その南部の州連合がアメリカ合衆国から離脱したことがきっかけで始まり、それに対し、リンカーン大統領を筆頭とする合衆国政府が「奴隷解放宣言」をして、その離脱を認めないことから火蓋が切られたのだ。南北戦争という呼び方も作られた言葉だ。原語では「the Civil War」と称されている。Civilとは市民だから、市民戦争。つまり、北部と南部の市民間の戦争ということだ。

さてスカーレットが、客人の双子兄弟と会話する場面から物語は始まる。
スカーレットが最初に発する言葉「Fiddle-dee-dee」だが、これは、女性、それも南部地方の女性が、発する感嘆詞である。意味としては「ばかばかしい」という感覚だ。映画の中でスカーレットが何度か言う言葉だ。英語には、男言葉や女言葉は、そんなにないのだが、この感嘆詞に関しては、女性しか使われないものだ。

スカーレットは社交的な女性で多くの男を一目惚れにする魅力を持つ。だが、彼女には、すでに心を寄せる男性がいた。同じく農場主一家で、跡取り息子であるアシュレーだ。そのアシュレーが、従妹のメラニーと婚約したという知らせを双子の兄弟から聞き、激しいショックを受ける。そして、スカーレットは決心する。ならば、自ら彼に自分の気持ちを告白して、婚約を撤回させ、アシュレーと結婚するのだ。
スカーレットは二人きりになるチャンスをアシュレーの邸宅で開かれる園遊会の日につかもうとする。そのチャンスは、当時のレディ達のたしなみとされたお昼寝の時間に訪れた。
スカーレットは「お昼寝をどうしてしなければいけないのか、私は疲れてなんかいない」という。活発な彼女にとってお昼寝は、退屈な行為でしかない。なので、お昼寝部屋を抜けだし、アシュレーを図書室に誘い込み、「I love you. I love you, I do.」という激しく迫る愛の告白をする。
「さすが、婦人参政権の認められた国、アメリカね。これほど積極的に振る舞う女性を映画の主人公にそえるなんて」
と律子が感激しながら言った。
律子は、保守的な家庭に育ったのだが、そのせいもあってか、婦人運動に関心があり、女学校にいた時は、婦人参政権運動の団体の活動に加わったため、そのことで卒業間近に退学処分を受けた苦い体験がある。なので、婦人参政権が認められているアメリカの女性達には強い憧れがあるのだ。
このスカーレットは、男性に大モテだが、およそレディというタイプの女性ではない。日本で言う「大和撫子」とは正反対だ。

しかし、スカーレットが告白して迫ったもののアシュレーはメラニーと結婚する意志を変えるつもりがない。ふられたことで、アシュレーを罵り、アシュレーが図書室を出ていった後に、むしゃくしゃした気分を晴らそうとスカーレットは花瓶を暖炉に向かって投げつけた。すると、暖炉のそばのソファから男が現れた。社交界で悪評高い男、レット・バトラーだ。
驚いたスカーレットはこう言う。
「You shall have made your presence known.」
こんな台詞が翻訳者を悩ます。直訳すると 「あなたの存在を知らしめておくべきだったはず」だが、そんな言葉では、日本語の会話では不自然だ。
すると、律子は「いながらなぜ黙ってらしたの」という台詞に変えた。
正確ではないが、いわんとすることは同じだ。これが映画の翻訳では必要となる技術だ。紙の文書の翻訳と違い、ストーリーの流れと登場人物が伝えようとするメッセージを限られた時間の尺の中で提供しなければいけない。

さて、後半に移る。

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by masagata2004 | 2010-07-11 17:49 | 映画ドラマ評論

韓国映画「ゲエムル 漢江の怪物」 韓国の基地問題

ソウルの大河、漢江に魚が奇形して巨大化した怪物が現れる。人々を食い殺していく中、ある露店の娘が怪物に拉致され、その父親を含む家族が決死の救出をこころみる。でもって、ジャンルはB級ホラー。だから、怖いようで、安心して観られる。

さて、この怪物はどうやって現れたか、映画の冒頭で米軍基地の施設で大量のホルムアヒドを流しに捨てるシーンがあり、それが原因だったといわんばかりで、その後、随所に米軍に対する韓国民の不信感が表されている。でもって、この有毒物質の下水への投棄は実際にあったことを元にしている。

日本と同様、韓国にも米軍基地があり、首都ソウルには、ど真ん中に大きな基地が存在するというから、驚き、もっとも、日本も横田基地があるし、そのうえ、その基地は首都の制空権を握っているんだから同じことだよね。

そんなわけで、米軍に対する反感が、映画には分かりやすく表れ、日本と同様に、自国政府はアメリカの言うことに追従するばかりという情けなさも描写されている。

ただ、韓国は陸続きで北朝鮮と対峙しているから、日本よりは米軍を必要としている面があり、その点、割り切れないところがあると思う。日本の場合、ソ連のあった冷戦時代から情報と頭が切り替わっていないノー天気な右翼がよいしょして、大半の国民は防衛に無関心というから、役にも立たない米軍に多額の税金をつぎ込み続け、環境まで破壊されているという情けない事態に陥っている。ちなみに、韓国の米軍基地は、近々、縮小、将来的には全軍撤去の予定。それが、普通の主権国家だよね。

アメリカは、傍若無人であるということなんだけど、特に軍事に関してはそうなんだろうね。はっきりいえば、それしか自国のまともな産業がない。そして、経済を維持するためのドルの価値を維持するためにも世界中で軍事力を誇示していく必要に迫られ、それが、更なる負担を生むという矛盾にさいなまれている。

でも、そんなことして大丈夫なんですかね。戦争に負け続け、その戦争を後押しした石油産業との癒着で、最近の油田爆発事故は起こったという説が流れているくらいだもんね。なんだか因果応報というか、しかし、矛を収めるにも収められない、軍事力なきアメリカは、泡のないビールみたいになってしまうんだろうから。

ま、どうでもいいか。というか、日本人はアメリカ人に対する見方をきちんと変えないと。

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by masagata2004 | 2010-06-30 22:47 | 映画ドラマ評論

映画「クヒオ大佐」と普天間移設問題

Excite エキサイト : 政治ニュース

実在した詐欺師と騙される女たちを日米関係に例えてコミカルに描いた作品。映画は湾岸戦争時を舞台にしているが、現在進行中の普天埋移設問題とも絡む。

米空軍所属のクヒオ大佐と名乗る男が、生真面目な女性たちを手玉にかけ、結婚や慈善事業への寄付を口実に金を巻き上げる。折しも、その時代は湾岸戦争で、日本が軍隊を派遣できない代わりに、アメリカに膨大な資金を払いながらも、誰にも感謝されなかったということがあったため、そのこととの対比になっている。

伏線、構成、俳優の演技など、なかなか出来のいい作品といえるが、日米という国同士の関係を男女の関係にあてはめるのは、そもそもげせないとこるがある。国際関係学をアメリカの大学で専攻していた者からいえば、国同士の関係は、実にドライで、情や正義などは、口実程度であり、根底にあるのは損得勘定なのだから、騙す方も騙す方なら、騙される方も騙される方、互いにメリットを享受しているようになってなければいけないのだ。

湾岸戦争で軍隊を出さない代わりに金を出して感謝されなかったというけれど、そもそも金を出す必要もなかったんじゃないと思う。すでに米軍に基地を無償で貸し、思いやり予算なる駐留費も、当時から払っていた。それこそ、我々に大金を払わせるくらいなら、日本から出ていって貰っていいよと言えたはず。

ただ、確かにあの時代、そう言えたことが変わったことがある。それは、冷戦の終結だ。それ以前は、日本にとって米軍を置くということは、自らを利する行為であった。防衛とか抑止といういうのではなく、日本がアメリカの戦略に寄与している代わりに、アメリカから経済援助を引き出したり、車や電気製品を輸出してドルを稼がせたりすることを要求できたからだ。従属する代わりに、大いなる見返りを期待できということ。

だからこそ、冷戦後、さっとポリシーを変え、米軍にはとっとと出ていって貰えればよかったのに、日本には教条的な憲法9条がある。そもそも、占領米軍が日本に再軍備をさせないため押しつけた条項でしかないのに、真に受けて、あり得もしない絶対平和主義に陶酔した結果、アメリカなしでは我々の安全は保障されないという洗脳を受けてしまう。この辺、冷戦後、日本の経済力を脅威とみたアメリカが洗脳工作を仕掛けたといわれている。

まさに、クヒオのような詐欺の甘い言葉や嘘の演技に騙される女性たちと共通している。ま、騙す方も悪いが、騙される方も騙される方だ。

昨今の普天間移設問題もそうだ。

続き
by masagata2004 | 2010-05-16 12:07 | 映画ドラマ評論

映画「スラムドッグ・ミリオネア」 これが世界の現実

インドを舞台にしたスラム育ちの青年がクイズ番組で大金を獲得できた理由を、彼のこれまでの生き様を通して描く。

この映画は、スラムの子供を映画に使って、また、インドの恥部をいたずらにさらけ出しているということから、批判を受けた作品だが、観てみると作品としては実に出来がいい。現実味のある出来事と共に見事な娯楽作品に仕上がっている。

クイズ番組で正解を答えられたことが映画の主題ではない。むしろ、スラムで育つという過酷さをまざまざと描き出していることが主題なのだろう。

以前、世界を100人の村にしたらという話しが流行したが、世界の大半は貧困に喘ぎ、半分は飢えているという現実が知らされている。

映画の中では、スラムの子供を捕まえ、乞食にして金を集め、ひどいのは子供を失明させ、できるだけ同情を引かせ金を集めさせようというマフィアが出てくる。これは、よく聞く話しで、知っている人でパキスタンに行ったことがある人が、路上で手足を切られ物乞いをしている人を見たという。

彼らのおかれた貧困とは絶対貧困といわれるレベルで、そうしないと食い物さえ手に入らないという段階にまで追い込まれているのだ。

しかし、なぜ、そんなことが起こるのかというと、実をいうと食料も富も世界のほぼ全ての人を満たす分だけあるのに、極少数の人が独占しているという状態が、膨大な貧困層を産み出しているといわれる。

全世界の人口20%が、世界の富の80%を牛耳っているとされる。また、発展途上国では、国内における富の偏在が極端である。それによりエリート階級に富を牛耳られ、国民の多数が貧困状態に追いやられている。そして、貧困に陥ると、まず、教育が受けられない。したがって、彼らは、高等な知識を必要とする高収入の仕事に就けないから、貧困のまま、その子供も同様の運命を辿る。そこから抜け出させるのは極僅か。

根本的な問題解決法としては、富の偏在が起こるシステムを変えること。だが、システムを変えるには、政治を変えなければいけないが、その政治の中枢はエリート階級の支配下にある。彼らは、政治の他、メディアを含めたあらゆる権力を握っていて、ものごとの本質を分からないようにしている。実に巧みに。

したがって、この問題が解決される見込みは絶望に等しい。すぐにはね。

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by masagata2004 | 2010-05-01 21:03 | 映画ドラマ評論

映画「時をかける少女」 最後になってようやく感動できる

ある女子高生が、事故で頭を打った母親に1970年代にタイムトラベルして、ある人物に大事なことを伝えるよう言づかり、彼女は、その時代に行くが、その指定した人物となかなか会えない。

そんな複雑怪奇な映画。言い方を代えれば制作者が伝えたいこと、この映画の訴えたいことは、最後になってやっと分かるということ。でもって、その意味で作り方が下手。ドラマのリズムが悪く、時代考証が、主役の演技と共にわざとらし過ぎる。それに、これは83年の原田知世主演のオリジナルを観た人でないと、内容が理解できないかもしれない。説明が不足気味。観終わった後の消化不良が否めない。

ネタバレになるので、観てない人は以下を読まないで欲しいが、テーマは、人の記憶は消せても、その時の想いは消せないということ。誰にでもこころ当たりがあるのではないか。理由もないのに、あるものに感動してしまう。自分とどんな関連性があるのか分からないのに、異常なまでに関心を抱くということ。

それは忘れ去られた過去の記憶と関連して、その出来事の記憶は忘れたのだけど、その時の想いや感動は心のどこか奥深くに眠っていて、それが、その記憶の元となる事象にぶつかったとき、心の底からこみ上がってくる不思議な体験。

最近、私自身も似たような体験があったりする。もしかしてだが、それが最近、このブログ上で連載を開始した小説の元となっているのかもしれないと思った。同じくタイムトラベルもの。

もしかしたら、こんなところからタイムトラベルしちゃったのかも、そして、数奇な体験をしてしまい、記憶は消されたのだが、その時の想いが残り、その後の自分を大きく変えたのかも。



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by masagata2004 | 2010-03-27 21:35 | 映画ドラマ評論

映画「時代屋の女房」 理想の夫婦関係

「時代屋」という名の骨とう屋に猫を連れた美しい女性が訪れ、店主の男と恋仲になり、その後、いつくようになるが、素性の知れない彼女は、よく姿を消して店主をやきもきさせる。

在りし日の夏目雅子が美しく輝いていた。ただ、映画は何がいいたいのかつかみ所がなく、ストーリーは順序立てて作られていないところがあり分かりづらかった。

だが、素性の知れない女性と同居して、その女性が好きなときに来たり出ていったりというのはユニークだと思った。互いのことを何もかも知らなくてもいいじゃないか、そうやって割り切って付き合えるたら面白いかも。ただ、互いに共通の趣味があれば、その時だけ楽しめば。お互い縛られず、自由気ままに。

映画の中で、盛岡に旅に出る場面があったが、その時に出た岩手山は、先月スキーに行った場所の近く。とっても美しい山だった。
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下町や旅先の人情、雰囲気を楽しめっと言った感じかな。

でもって最近もスキーをしに旅に出た。日帰りで3回も訪ねたところなんだけど。


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by masagata2004 | 2010-03-07 01:35 | 映画ドラマ評論

翻訳者小説「風と共に去らないでくれ」 第1章 上海で見つけた映画

私、翻訳の仕事をしている者です。実をいうと、これからその経験と培った素養をベースとした物語を軽小説スタイルで書いていきたいと思います。翻訳とは、ご存知のこと、ある言語から、言葉の意味を変えず別の言語に置き換えることです。とても裏方的な仕事のようですが、皆様の常に身近に存在して重要な役割を担っています。

これから物語にするのは、英語から日本語、日本語から英語という我々にとって最も身近な翻訳の他、ドイツ語、フランス語、中国語の翻訳をテーマにしたものです。主人公は、皆、私と同じような翻訳者です。日本人もいれば、外国人もいます。

では、まずは、英語から日本語、それも、翻訳といえば誰でも最も馴染みの深い映画の字幕翻訳をテーマにした物語をお届けいたします。

時は、1941年10月 舞台は、まず上海から始まります。
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達朗(28)は、年に数回の商用による上海訪問の用件をひとまず終え、翌日、帰途につく手はずになっていた。もう夕刻、そして、明日の朝は早い。じゃあ、ホテルに帰りさっさと寝てしまおうと思ったが、久しぶりの上海。数日前、到着してからずっと働きづめで、上海の観光を楽しむ時間など全くなかった。

だからせめて、今夜は、と思った。上海の夜の観光といえばジャズなどを奏でるナイトクラブだが、しかし、それは高過ぎると思った。ならば、映画館でもと思った。映画なんて、帰国して東京の浅草や銀座などで好きなだけ観られるものだが、上海の租界、西欧の国々が管轄するこの都市だからこそ観られる映画がある。日本では決して上映されない洋画だ。上映されても検閲で、かなり場面がカットされたり、内容が歪曲されたりするのだが、ここなら、当地で上映されているそのものが観られる。

達朗は映画、とりわけ洋画には常に関心があった。というのは、それを副業としてやっているからだ。本業は貿易の仕事だが、仕事の合間や休日を使い、洋画の字幕翻訳の仕事をしている。というのも、達朗は英語が達者。アメリカに留学経験がある。3年前までアメリカの大学生だった。父親が実業家で、商業を学ぶため渡米するように言い渡されたのだ。アメリカは西海岸、サンフランシスコの大学に通った。だが、卒業する前に父が他界、父の事業は借財を抱えていたため倒産したので学業を続けられず帰国。独り身となったが、自ら小さいながら貿易の事業を立ち上げた。しかし、儲けのある時もあれば、ないときもある。貿易業では生活はぎりぎりで苦しかった。そのうえ、所帯を持つようになり、お金がますます必要になった。

そんな時、自らの英語力と留学経験を活かさないかという仕事の誘いが、洋画を中心に上映する映画配給会社からあった。アメリカにいたときは、毎週のように映画を観に行っていた。西部劇やラブロマンスが大好きであった。帰国後も映画には、暇があれば通う。

趣味も活かせると思い、副業という形で引き受けることにしたのだ。映画も、無声で弁士がいて解説するような形から、音声がつくトーキーが主流になっている時代だ。洋画には、必ず画面上に会話の訳語を入れる字幕が必要になる。外国語を理解するだけでなく、その言葉の話されている国の文化や生活習慣などを理解しないといけない。それが、映画の字幕翻訳士に必要とされる技能だ。当時としては大変珍しい留学経験者だからこそ活かせる技能だ。

洋画といっても、最も多いのはアメリカからの映画だ。つまりはハリウッド映画だ。そんなアメリカに3年ほど過ごしていた達朗には、アメリカは外国とは思えない程、親しみを感じている。そして、そんな親しみを感じているほどアメリカを知っているからこそ心配なことが最近ある。それは、日本とアメリカが、近々、戦争するかもしれないということだ。

続き
by masagata2004 | 2010-03-04 02:13 | 映画ドラマ評論

映画「人間失格」 原作を読んで観たからこそ

この作品が楽しめたと思う。

内容は、女にもてて仕方のない青年が、気の弱さから自らを追い詰めていく人生を辿るというもの。

何でも太宰治の自伝に近い内容らしい。映画の中で女性と心中して死のうとするシーンがあったが、太宰も、結局それによって命を落とした。

原作を読んだ上で観たので、小説の文章のイメージとの比較にこだわってしまった。だが、よかったのは小説では分からなかった主人公の故郷である津軽の景色が画面に映し出されたことだ。特にすばらしかったのは岩木山の風景。先日、スキー旅行に行った岩手県の岩手山(以下)とよく似ていた。
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東北の郷愁が映像化されて、そこに不思議な安堵感を覚えた。先月は、山形と岩手という東北の郷愁をスキーと温泉を楽しみながら味わったので、なおさら臨場感を感じる。

原作と違う点といえば、時代設定が少し後年にずれているところと、詩人、中原中也を登場させたことだ。時代は映画としての面白味を出すため、分かりやすいベルリン五輪(1936)の前畑秀子と日中戦争(1937~)と真珠湾攻撃(1941)を背景にしたのだろう。原作は、それより5年ほど前の時代を舞台にしている。

また、原作を読んでないと分かりづらかっただろうと思う点があった。それは、主人公が所帯を持つ女性が他の男にレイプされるところ。映画を観るとレイプされたのか、不倫だったのかが、はっきりと分からない。もっと説明となる場面を加えるべきだったのではと思った。ま、あの当時はレイプされた女性は、レイプ犯と無理矢理結婚された時代だったから大した違いはないのか。

最後には、自らの手記を通い詰めたカフェで綴ったノートを太宰が目にして、それを小説にする。

女中役の三田佳子の津軽弁の演技が、劇中でもっともさえていた。さすが名女優だ。この映画で小説の舞台であり、太宰の故郷でもある津軽に行ってみたくなったほどだ。

この作品を含め、戦前の日本を舞台にした名作家の作品を読むと意外に思うことがある。それは、日本社会は、実をいうと、性に関しては解放的だったのではないかということ。この作品では、女たらしの主人公の性の遍歴が描き出されているが、夏目漱石の「こころ」では同性愛が描かれている。

だから、日本って、実をいうと大らかな社会だったのじゃないかなという錯覚を覚えたりする。

そんなわけで、小説の原作を読んで、その世界を映像化したものを見られるのは実に嬉しい。願わくば、私の書いた作品も、そうなってくれると嬉しい。このブログ上で発表している自作小説が認められ出版され、映画化なんてされるといいな。

そうそう、今、連載中なのは、軽小説では、反原発をテーマにした「原発ターミネーター」、それと、小説では、やっとあらすじがかたまった「ヨーソロ、三笠」だ。どちらも映像化するとダイナミックでとても楽しめると思う。もちろん、すでに書き上げた他の作品も。詳しくは、タグの欄のノベルズにて。

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by masagata2004 | 2010-03-02 13:44 | 映画ドラマ評論


人生は常に進歩していかなければならない


by マサガタ

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