米大卒、通訳・翻訳者、観光ガイド、プチ市民活動家のブログ:スポーツ
2021-08-02T13:15:36+09:00
masagata2004
私の体験記、意見、評論、人生観などについて書きます
Excite Blog
スポーツイベントなんていらない
http://masagata.exblog.jp/30612460/
2021-07-19T22:11:00+09:00
2021-08-02T13:15:36+09:00
2021-07-19T22:11:48+09:00
masagata2004
スポーツ
史上最も歓迎されないオリンピックがあと数日で開催されようとしているが、オリンピックに限らずスポーツイベントなんて、そもそもいらないものじゃないのか。スポーツイベントで稼ぐプロのスポーツ選手なんてエッセンシャルな仕事人とはいえない。
試合で感動を与えているって? ヤラセなんてよくあるし、ヤラセでなくても、そもそも勝敗が試合前から決まっているほど差の大きな者同士が対戦している場合も多々ある。わかりやすくいうと金の差だ。金があれば、それだけいいコーチからトレーニングを受けられるし、いい設備の施設でトレーニングを受けられる。
選手は試合前から勝敗を決められているヤラセショーに担ぎ込まれ、暇つぶしに興奮や感動したい輩の遊び道具にされているようなもの。
勝った、負けたなんていうのはどうでもいいと思う。スポーツなんて、健康かレジャーのためにすればいいもの。
スポーツで金を稼ぎたければ、それはスポーツのインストラクターかトレーナーにでもなればいい。
私個人としては、スポーツは実用的なものを好む。ジョギングやスキーや水泳やローラーブレードや乗馬、これらは移動の手段としての実用性が兼ね備えられている。また、柔道や空手のような格闘技は護身術としての実用性がある。そして、競技としては行わなれることはないがジムでのウェートトレーニングは体づくりとして、足腰を鍛え腰痛などの予防にもなっている。
自分自身にとって健康と実用にかなうものだけしっかりやっていけばいい。それ以外は遊び程度ですればいいことで、オリンピックなんて目指すほど真剣に取り組むものではない。
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映画「42 世界を変えた男」観てきました
http://masagata.exblog.jp/21399451/
2013-11-03T11:07:00+09:00
2013-11-03T11:14:14+09:00
2013-11-03T11:07:08+09:00
masagata2004
スポーツ
今年の4月にアメリカで公開され、ついに日本で公開されたこの映画。初日にさっそく観てきた。以前、いかに私がこの映画を観たかったかを記事にしたが、映画はまあまあの出来栄え、分かりやすい伝記ものとして仕上がっていた。アメリカではすでに語りつくされている実話なので、余計な誇張ができなかったのだろうと思う。
ちなみに、映画中のブルペン下の廊下でバットを折る行為は、ロビンソン夫人の話では、そんなことはなかったはずという。ただ、それほど彼の受けた仕打ちというのが凄まじかったということを表したのだろう。
映画の中で印象に残ったのは、以下の場面。
1.英語の同情(sympathy)は、ギリシャ語の「苦しむ」という言葉が由来だ。だから、苦しみを共有できたということだ、とブランチ・リッキーがいう場面。
2.観客席で白人の子供が、父親や周囲に乗せられ「ニガー」と叫ぶシーン。つまり、偏見は伝承されていくということを意味する。
3.ロビンソンとプレーすることを拒否したチームメートが他の選手から嘆願書を集めるが、ある選手は腕を冷やしていたためサインができないと拒否。実際には、彼はサインする気はなかった。
この映画では、ロビンソンの生い立ちについてはしっかりと語られていなかったが、彼は人種差別の激しい米南部で生まれた。母子家庭で育ったのだが、あまりにも差別がひどい環境だったので親子でカリフォルニアに移住。だけど、そこでもプールは白人のみだったりと人種差別はあった。子供のころ、隣人の白人の子供から差別的な言葉を浴びせられけんかになった時、母親が、安易にやり返すことはしてはならない、だけど、いうべき時にはきちんと言って返さなければいけない、と教えられたという。それが、後の彼を形作ったとされる。
しかしながら、この映画を人種差別克服のドラマとだけ観るべきではない。映画の中では、野球の面白さもしっかりと表している。というのは、ロビンソンが、得意とした盗塁技である。野球はやたらとヒットとホームランが醍醐味として強調されるが、それだけではないのだ。
手強い選手をフォアボールで1塁に行かせて安心してはならない。その一塁で、その選手が盗塁をしようとして投手を混乱させる。そのため、投球に集中できない。ついに2塁へと盗塁させられ、ますます投手は混乱に陥る。すると、2塁から3塁を狙う。そこで、混乱、集中して投球しようとしたが、グローブからボールを落としてしまう。これはボークである。よって相手側に一点が入ってしまう。
この映画で初めて「ボーク」なるものを知ってしまった。その意味でいい野球映画だ。
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この映画、絶対観たい!
http://masagata.exblog.jp/20351048/
2013-04-27T23:26:00+09:00
2013-11-03T12:21:22+09:00
2013-04-27T23:26:26+09:00
masagata2004
スポーツ
全米では4月に公開され、評判も売り上げも上々だとか。日本でも必ず公開されるだろう。真っ先に見に行く。彼がいなければ、95年の野茂も2001年のイチローも、最近のダルビッシュもあり得なかったのだから。
私にとっては、思い出深いものがある。というのは、1992年、アメリカの大学に留学するためカリフォルニア州のサンタ・ローザ短大に入学して、最初に英語の学習として読んだ文章が、彼の伝記だったのだ。まるで、彼が自分をアメリカに歓迎してくれているかのような出会いであった。
1947年、人種差別が当たり前だった時代、白人しか入団の許されなかった大リーグに黒人球団ニグロ・リーグから入団したジャッキー・ロビンソンだったが、当時の周囲の反応は凄まじく厳しいものだった。観客からの罵声だけでなく、チームメートからは仲間外れ、脅迫など、とてもでないがまともな選手生活を送れる環境ではないところに放り込まれた。ところが、持ち前のガッツとプレー能力で周囲を魅了し、ついには新人賞を獲得。その後、続々と黒人選手が大リーグに入団することになり、野球に革命をもたらした伝説の選手として語り継がれることになる。
新人賞は現在ではジャッキー・ロビンソン賞と呼ばれている。97年のデビュー50周年の時はクリントン大統領が記念行事で演説をして偉業を称えたほど。その年には、黒人で初のゴルフ・マスターズ優勝のタイガー・ウッズが誕生した。この物語はスポーツだけではなく、他のあらゆる分野でいえることが表されている。何か新しいことをしようとすると、既存の考え方に縛られた人々が、必ず抵抗しようとする。彼らの主張がいかに理不尽なあっても、敵対する新参者には罵声を浴びせる。
だが、後々、耐えた挑戦者とそれを支えた人達はヒーローに、かつて足を引っ張った連中は顔を上げられなくなる。
現在と比較すると分かりやすい事象がある。それは同性愛者の解放運動だ。ゲイの権利ということで、ゲイの差別撤廃、結婚などを認めようという運動が近年世界的に繰り広げられ、今年、ニュージーランドとフランスがゲイの結婚を合法化して、世界14か国でゲイの結婚が認められるようになってきたが、まだまだ世界中どこでも世間の反応は冷たい。
だが、未来、おそらく30年後か50年後、運動の足を引っ張ってきた人々が顔を上げられなくなり、運動を指揮してきた人々がヒーローとして語り継がれるようになるのではないか。
人種差別が当たり前だった時代から60年が経ったアメリカでは、黒人が大統領になった。それが世の中の変化というもの。
身近にいる、既定のルールに従って大威張りの連中に、この映画を見せてやりたい。]]>
消防署で体罰?
http://masagata.exblog.jp/20033145/
2013-02-20T09:01:00+09:00
2013-02-23T21:01:21+09:00
2013-02-20T09:02:11+09:00
masagata2004
スポーツ
これでは隊員の足腰を痛める。かつてのうさぎ跳びを彷彿とさせる。
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「エースをねらえ」には体罰はなかった
http://masagata.exblog.jp/19952297/
2013-02-05T23:17:00+09:00
2013-02-05T23:22:59+09:00
2013-02-05T23:17:42+09:00
masagata2004
スポーツ
「エースをねらえ」は70年代の少女漫画に連載されたテニス少女の葛藤を描いた作品。テニスの名門校に入った岡ひろみという少女が、部のコーチに見初められ、プロ級の選手へと成長していく物語だ。
彼女を育て上げていくコーチは宗方仁という選手として再起不能になった経緯のある寡黙でありながら、時に気の利くアドバイスを与える人。
厳しい練習を課す鬼コーチでありながら、体罰は一切しない。よくよく読むと、ほとんど選手の自主性に任せている。与える言葉は、頭ごなしに、あれしろ、これしろというのではなく、選手本人が自ら考えさせるという観点でのアドバイスだ。
例えば、岡ひろみがテニス部をやめると言った時、宗方は「好きにしろ」と言い捨て、引き留めようとしない。だが、後にひろみは、コートに戻ってくる。すると、そこに宗方がいた。そして、彼女がやる気を出していることを理解し特訓を課す。
また、岡ひろみに嫉妬心を抱く先輩の竜崎麗香が、ダブルスを組むことを命じたのを拒否した時は「お前なら岡を理解できる。岡ならお前に応えられる」と言い、ついには竜崎麗香が自らの気高さから、ひろみをパートナーとして受け入れるようになるのを見届ける。
ひろみが藤堂という先輩の男子選手に恋い焦がれ、練習がおろそかになった時は「恋に燃えても、溺れるな」と言い、藤堂に対しては「男なら女の成長を妨げるような愛し方をするな」という言葉で彼らに何を為すべきかを理解させる。
もちろん、漫画だから、実際はこんな風にうまくはいかない、選手にやる気を与えるためにも、強くさせるためにも、殴り飛ばす必要はあるのだと言ってしまう人もいようが、そんな時、手を振り上げず、選手に自分で考えさせるヒントとなる言葉を与えられるかが、コーチとしての技量となる。
単に筋肉だけでスポーツは出来ない。コーチは指導において運動の理論を理解し、幅広い教養が必要になる。そして、結局のところ、選手が選手自身で自らを鍛え上げられるようにならなければならない。コーチは、選手がそうなっていくようになるためのアドバイスを与えることが主たる役割なのである。
私が出会った先生の中に、こんな言葉を言っていた人がいた。「馬を井戸まで連れて行かせても、その馬に水を飲ませることは出来ない」。つまりは本人次第ということ。そういうことの理解できるコーチは、体罰などしない。
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ポジティブ・コーチングを考える小説 最終章
http://masagata.exblog.jp/18960333/
2012-09-09T22:09:00+09:00
2013-02-17T22:22:33+09:00
2012-09-09T22:08:37+09:00
masagata2004
スポーツ
まずは第1章から第8章をお読み下さい。
山賀は、二階の部屋で寝ている。俊秀は、詳しい事情を聞きたかった。階段をのぼり、娘のエミリーの部屋へ入った。山賀は、ベッドの中に潜り込んで寝ていた。そばの床に着ていたジャケットとシャツを放り投げている。
「山賀、おまえに聞きたいことがある。さっき警察が来たんだ。おまえを探しているらしい。おまえが日本から指名手配を受けていると言っていた。いったいどういうことなんだ?」
がばっと、毛布が払い除けられ山賀が、姿を現した。俊秀は、その姿にぎょっとした。山賀は、銃を手に持ち自分に向けて銃口を狙いつけている。そして、シャツを脱ぎ上半身裸の姿、両肩から胸元にかけて唐獅子紋様の刺青が、これは背中まで続いているもの。ふとよく見ると、銃を持つ手の一つ、左手の小指がない。日本の典型的なヤクザの姿だ。
「中田、おまえまで俺を売る気なのか?」
「いったい、どういうことなんだ。おまえ、どうなっちまったんだ!」
俊秀は、自分の目と耳を疑った。俊秀の知っていた山賀とは別人の山賀がそこにいる。かつての面影をわずかに残す顔立ちと小柄な体格。あの純真な山賀が、極道の泥にまみれてしまったような姿だ。
「この三十年の間におまえに何があったんだ。教えてくれ」
「おまえに何が分かるというんだ!」
山賀は、まるで戦場で敵を見るように鋭く俊秀をにらむ。
バシン、バカーン、と何かが砕け、吹き飛ばされるような音がした。
『警察だ。ここにヤマガがいることは分かっている。おとなしく二人とも出てこい。逃げると容赦なく撃つぞ』
ハート警部と二人の部下たちは、ドアを蹴破り、俊秀の家に入り込んできた。怒鳴り声が、家中に響いた。
「中田、逃げるぞ。おまえ、俺を助けろ。でなければここで撃つぞ」
「分かった。来い」
俊秀は、恐かった。これほどまで恐い気持ちにさせられたのは、生まれて初めてだろう。俊秀は、銃を突きつけられながらガレージに抜ける裏口へ出た。ガレージには、フォード・ムスタングが置いてあった。警部たちが気付き追ってくる。
「乗って運転しろ!」
山賀が、叫んだ。
俊秀が運転席に乗り、山賀が助手席にさっと乗り込む。俊秀は、ポケットからキーを差し込み回す。エンジンがかかった!
『警察だ。動くな!』
ハート警部が、銃を向け叫んだ。俊秀は、アクセルをぐっと踏んだ。ガレージのシャッターは開き放しだった。車は、道路に出た。
俊秀は、ギアを入れ替え、住宅地の道を猛スピードで走った。後ろから、パトカーが、サイレンを鳴らしながら追いかけてくる。ハート警部たちが乗っている。
俊秀は、言った。
「どうして、おまえこんなふうになっちまったんだ。俺の知っているおまえは、こんな風じゃなかったはずだ」
「今まで、おまえに言われたとおり辛抱してきたからさ。辛抱すれば報われると信じてきたからさ」
「おまえ、何、言ってんだ?」
ガタン、ゴトン、ガタン、とエンジンから歯の噛み合わなくなるような雑音が響いた。見ると、煙が立ち篭めている。そして、車は急にスピードを落とし、ゆっくりと静止した。「何しやがったんだ。車を動かせ」
と山賀が怒鳴る。
「悪いが、この車は動かない。故障しているんだ」
「何だと!」
サイレンを鳴らす警察の車が近づいてくる。
「降りろ」
と山賀が銃を突き付け命令した。
降りたところは、森の広がる一帯だ。
「走れ。逃げるぞ」
俊秀と山賀は、森の中に入り走った。サイレンカーが止まり、中から三人の大男が、追っ手となって後についてくる。彼らは、銃を持っている。ハート警部は、威嚇のため空に向け一発発射した。
俊秀は、数十メートル後ろから聞こえたその発砲音にびくっとした。そして、とっさに考えが浮かんだ。走るのをさっと止め、後ろを向き山賀目がけて蹴をいれた。山賀の腹に命中、山賀は膝を地面に落とした。そして、俊秀は、山賀に覆いかぶさった。すると、今度は山賀に両足で腹に蹴をいれられた。俊秀は地面に倒された。立ち上がろうとすると、
「動くんじゃねえ。おまえまでが、俺をはめようと・・」
銃口を俊秀の額に突きつけて山賀が言った。目には涙を流している。
「俺を殺す気か?」
俊秀は、言った。山賀は、殺さんとばかりに俊秀をにらみつけると、銃を大きく振りかざし、俊秀の後頭部目がけて叩きつけた。
ガツン!! 俊秀は、あまりの衝撃で、その場で気を失った。
山賀真太郎は、走った。もう後には引けない。突き進むだけだ。誰が何といおうと、自分の生き方を貫くだけである。十五年前、真太郎は、人を殺した。勤めていた料亭の店主を刺身包丁で刺殺した。あっけなく人を殺し、その結果、逮捕され、少年刑務所送りとなった。四年の刑期を終えた後、刑務所で知り合った仲間から暴力団で働くことを勧められた。シャバに出ていっても帰る場所のない真太郎は、極道の世界に身を寄せるしか生きて行く道はなかった。その世界でさまざまなことを覚えた。組に忠義を尽くすこと、人を脅すこと、騙すこと、傷つけること、法を犯すこと、警察の目を逃れること、それらすべてを学習し実行した。
組に忠義を尽くすため、刺青を入れた。組の仕事で、多くの人々を脅した。詐欺も働いた。目的を遂げるためには、手段を選ばなかった。弱く恐がる人々を見ては、叫び声を上げ、詰め寄り相手を降伏させた。自分は人殺しさえもできた男だという強みがあった。
辛抱強く生きていこうと自分に誓った。実際、ヤクザという稼業は楽な稼業ではない。組同士の抗争に巻き込まれ、大怪我を負ったときもあった。へまをして、詫びのため左手の小指を詰めたこともある。だが、大きな目標が真太郎にはあった。いつか必ずこの世界で一番の極道になってやると。本当は、組の仕事のためとはいえ、人を傷つけたり、苦しめたりすることは嫌だったが、それも辛抱だと信じていたのである。
ようやく一人で独立した組を築き、子分を数人抱えるまでになった。だが、信頼していたダチが組長である自分を裏切った。覚醒剤の密売をしているところを逮捕され、組のしていたことをべらべらと喋ってしまった。警察に寝返りを打つことは、この世界では絶対あってはならないことだ。たとえ、自分が捕まっても、忠義を尽くした組はどんなことをしてでも守ることが極道の掟だ。いとも簡単にそんな掟は破られ、真太郎は、警察に追われる羽目となった。二度と刑務所へは戻りたくない。全国に指名手配され、海外へ高飛びするしか逃げ道はなかった。
あてもなくアメリカをさまよった。たまたま手にした野球の雑誌のページをめくると、なつかしい顔を見つけた。英語で書かれた記事の内容はよく分からなかったが、日本人のメジャーリーグのトレーニングコーチの紹介であることが何となく分かった。英字で書かれた名前にも覚えがあった。コウジ・ナカタ、かつての大親友だった。英語の分かる日本人に頼み、金を渡し雑誌社に問い合わせなんとか住所を探し当てた。追い詰められた真太郎は、どうしてもあの男に会いたかった。かつて自分に辛抱することを教えたその男に。その男に、もう一度救いを求めたかった。その男に会って、自分の今までの生きてきた道が間違っていなかったかを問いただしたかった。
今までの自分の生き方が間違っていたなどとは思わない。辛抱に辛抱を重ねて生きてきたのだから。真太郎は、そう信じている。
真太郎は、立ち止まった。後ろを振り向いた。大男たちが、数メートル後ろまで近づいている。持っていた銃を発射した。と同時に向こうからも銃が発射された。
パン、パン、パーン
真太郎の撃った弾は、相手側には当たらなかった。代わりに真太郎が、雨のように銃弾を受けた。真太郎の体は、穴だらけとなった。刺青の唐獅子紋様も見分けがつかなくなるほどに形が崩れ、血に染まった。
真太郎は、息絶えながら心の中で叫んだ。
(真太郎のシンは、辛抱のシン!)
ホテルの教会からレセプション・ホールに移ったマック・エンドーには、気がかりなことがあった。無二の親友、中田俊秀が、まだ姿を現してないのだ。結婚式には、結局姿を現さなかった。レセプションが始まるというのに、まだ現われてこない。いったいどうしたというのか。中田の妻ジュディーは来ている。彼女にきくと、コウジはこっちに向かっているはずだと言うが、携帯に電話をしてみても、つながらなかった。途中で事故にでもあったのではと、ジュディー共々俊秀のことが心配になった。何といっても、今回のレセプションで俊秀には、親友代表として大事なスピーチをしてもらう予定となっていたからだ。
レセプションは、始まった。ブッフェ用のテーブルによりどりみどりのおいしい料理が出され、招待客が好きなだけ皿に盛る。皆、会話に花を咲かせ、会場は和やかな雰囲気だ。こんなにも盛り上がっているレセプションなのに、遠藤は気がかりが消えずにいる。俊秀はどうしたというのか。とりあえず、客には笑顔を振り撒いだが、心の中では俊秀のことが気がかりでいてもたってもいられなくなった。
『ねえ、マック、あなた憂欝そうね。そんなにコウジのことが心配?』
新婦である妻のジョアンナは、遠藤の心中を察していた。
『いや、そんなことないさ。多分、渋滞にでも引っかかったのだろう。そうだ。代わりに僕がスピーチをしよう。博士号を取った大学教授のスピーチを聞けるのだから、みんな喜ぶぞ』
遠藤は、新しき妻の前では陽気に振る舞おうと考えていた。このレセプションは、自分と彼女のためにあるのだから。遠藤は、マイクを手にした。
『皆さん、これから、新郎である私が、スピーチを行ないます。いつも大学の演壇では、難しい国際政治論ばかりを語っているのですが、ここでは、お堅い話はよしましょう。私の今日迄における人生についてのお話をしたいのです。私が、なぜかつての祖国日本を離れ、アメリカ人となり、今日のような日々があるのかということをです。これには、私の無二の親友、コウジが関わってきます。
残念ながら、今日は事情があり、このレセプションに出席できずにいます。実は、私は彼と共に三十年前、このアメリカの地に足をつけました。それは、まだティーン・エージャーだった私には人生の転機となる大きな挑戦でした。日本の高校を辞め、親友コウジと共に新たな希望に燃え羽撃くときでした。コウジは、アメリカで何をしたいか目標をきちんと持っていました。彼は、部類の野球好きで、日本でも野球をしていました。目指すはプロの選手でした。
残念ながら、その夢は叶わなかったのですが、代わりに選手を育てるコーチになるという道を見いだしました。私といえば、来たときは何の目標も持っていませんでした。ただがむしゃらに勉強に励み、日々打ち込むだけだったのです。大学に入って、国際関係学という学問に出会いました。私は、この学問が好きになり、専攻として取ることにしました。そして、ついには、この道で博士号を取得して教える立場とまでなったのです。
なぜ、こんなにまで国際関係論に興味を持ってしまったかというと、私がアメリカにくるときに日本に残した蟠りのせいだと思うのです。国際関係学は、さまざまな国の政治や経済システムの違いと共に、文化や価値観の違いを理解する学問です。ここで日本とアメリカの大きな価値観の違いをお話しましょう。日本人は、何事においても辛抱することを美徳とします。アメリカ人は、辛抱はすべき時にするものだと考えます。そして、辛抱をした分人生を楽しもうと考えます。私は、そんなアメリカ人の考え方に共感しました。
日本でまだ高校生だったとき、「おしん」というテレビ番組が大人気でした。この番組は、二十世紀初頭から八十年代に至るまでの波乱の人生を生きぬいたおしんという名の女性が主人公の話です。彼女の辛抱強くどんな苦境にも絶え抜いて生きていく姿が人気の元でした。そして、巷には「若者よ、おしんを見習って辛抱強くなれ」という言葉が飛び交いました。日本人が揃って辛抱はすばらしいと唄い上げたのです。それはまるで、「おしん」という番組にちなみ「オシンドローム」とでも名付けたくなるような社会現象でした。
私は、その現象を白けて見ていました。私が当時いた高校では、アメリカでは考えられない髪型や服装や生活習慣に関する細かい規則がありました。日本の生徒たちは、そんな規則にがんじがらめになって学校生活を過ごしていたのです。つまり、辛抱を強いられてきていたのです。こんなに辛抱している自分たちが、これ以上辛抱する必要があるのかと疑問に思っていたのです。その疑問を解いてくれたのが、コウジでした。ある日、私が規則違反の長髪スタイルをしているからと私が嫌がるのにバリカンで無理矢理、髪を刈り取ろうとした教師がいました。コウジが、その教師を殴って止め私を救ってくれたのです。
その時に思いました。理不尽な辛抱はすべきでないと。間違った辛抱はすべきでないと。この世の中には、していい辛抱と、してはならない辛抱があるのだと。確かに、何か大事なことを成し遂げるためには辛抱が必要です。ですが、同時にマフィアのボスのような悪人になるためにも辛抱は必要になってくるのです。辛抱するなら、よい結果に結びつく納得のいく辛抱だけすべきです。私とコウジは、そういう信念のうえで生きてきました。だからこそ、今のような幸せな日々が実現したと考えるのです。辛抱はできればしたくないのです。せっかくの人生ですから楽しみたいですよね。
今、人生で最も楽しい一時を味わっている私から皆様に贈る言葉でした』
終わり
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柔道は、礼に始まりレイプに終わった
http://masagata.exblog.jp/17285154/
2011-12-12T00:00:43+09:00
2012-09-15T17:18:01+09:00
2011-12-11T23:49:07+09:00
masagata2004
スポーツ
この事件で、高校時代、習った柔道の授業で指導教官が言っていた「柔道は礼に始まり礼に終わる」という言葉が虚構であったということが証明された。つまりは、柔道も、ボクシングやプロレスと変わりない本能むき出し、やりたいがままに勝負をするという野蛮なスポーツであるということだ。武士道やマナーとかは二の次ということだ。
そんなことはないと、柔道家の方々は言いたいのだろうが、現実に、一介の指導者ではなく、オリンピックで金メダルを獲ったほどの経歴の持ち主が、超愚劣な行為を働いたのだから、そう思われても仕方ない。いわば、そんな人物でさえオリンピックに出場でき、優勝できたということ。彼の人格的な欠陥は黙殺されてきたと考えていい。言い方を変えれば、それは柔道界の体質だったといっていいのだろう。
この事件は、原発に続いて日本社会に新たなメルトダウン現象を与えたといっていいのだろう。今まで信じられてきたものが、実は虚構でしかなかったと伝えている。
このままでは、柔道には未来などない。誰も、恥ずかしく、怖くて柔道なんて習えない。特に女子は、そうだろう。
ま、考えてみれば、同じくスキャンダルまみれの相撲もそうだったが、格闘技をやっている者共なんて、所詮はごろつきだよな。言い方を変えると、それ以外に取り柄がないような連中の溜まり場。それは他のスポーツにもいえることだ。粗野で単純明快。頭より筋肉。だけど、そういうタイプのやつらは、国家や企業にとっては操りやすい。何も考えずに付き従うから。しかし、手柄をとってちやほやされれば、すぐに勘違いを起こす。
その勘違いが、こんな結果に。
この内柴さん、今後どうなるんだろう。英雄から一挙に面汚しに。刑務所に入って出てきた後は何をする。間違ってもプロレスとかに転向なんてやめて欲しいな。一番いいのは、出家して寺にこもって反省の日々を過ごすことかな。それが、被害女性にとっても、社会全体にとってもいいことだ。]]>
漫画・ドラマ「エースをねらえ」 脇役が実をいうと主役
http://masagata.exblog.jp/14294229/
2010-10-27T16:06:00+09:00
2016-04-08T21:30:27+09:00
2010-10-27T16:04:13+09:00
masagata2004
スポーツ
これは1970年代に漫画雑誌で連載され、その後、何度かアニメになり、2004年にテレビドラマ化されたもの。ストーリーは、漫画だけあって、非現実的な設定に強引な展開、だが、それでも多くの読者と視聴者をひきつける。
これは主人公を通して脇役のキャラを際だたせ、むしろ脇役を売り物にするストーリーの典型である。その意味でいえば児童文学の「小公女」と手法が似ている。
その主役たる脇役というのは、ひろみの憧れの先輩で後にライバルとなるお蝶夫人こと、竜崎麗香だ。大金持ちのお嬢様で、子供の頃からテニスの英才教育を受けたひろみにとっては雲の上の存在。当初、ひろみには優しく接するが、ひろみがめきめき成長して自分に追いつこうとしてくると脅威に感じ、冷たく当たようになるが、同時に誇り高き女性として彼女のよきライバルとなる。真の高潔さとは何かを問うている。素晴らしい言葉をひろみに与える。「負けることを恐れるのをやめなさい。それよりも全力を出し切れずに終わることを恐れなさい」
名前からして現実にはありえん人物。漫画でも、これが女子高生かと思えない老成ぶり、それはテレビドラマでも同じだったが、そんな視聴者の期待に応えた配役(松本莉緒)だったので思わず見入った。でも、現実にいたら、怖い。漫画だったから許容できたキャラだ。
もう一人、大事な脇役は、ひろみをしごく鬼コーチ、宗方仁だ。これは現実にいそうだが、しかし、ちとストーカー的で、あれほどのことをしたら、現実には大問題だろうと思えるほど、危うい男。しかし、よくよく見ると指導者としての資質はある。それは、ひろみを無理矢理抜擢し、周囲からの反発を受けても、それを貫き、そして、ひろみの心理とひろみのライバルたちの心理をしっかり見抜いて、彼女を着実に立派な選手に育て上げるからだ。
スポーツは力や技だけでなく、精神で勝負するものであるということを思い知らされる。
てなわけで、非現実ストーリーを大いに楽しめるのだが、テレビドラマ版では、実写ならではの醍醐味が味わえた。
それは、お蝶夫人と対する加賀のお蘭(酒井彩名)など、美女たちのセクシーテニスシーンがあったからだ。テニスはいい。特に女子テニスは観るのがいい。水着みたいに露出の広いテニスウエアはもっといい。サーブの時に叫び声を上げるとさらにいい。
時には、エースをねらってみるか!]]>
オリンピックは参加することに意義がある
http://masagata.exblog.jp/12864687/
2010-02-18T23:39:00+09:00
2012-09-15T17:18:01+09:00
2010-02-18T23:39:42+09:00
masagata2004
スポーツ
と近代オリンピックの創設者、クーベンタール男爵がおっしゃっていたそうな。その意味でいえば、服装騒動は問題あったといえるし、それと同時に、メダルを逃してしまったことが赤っ恥になったともいえない。
たまたま、国母選手の予選通過を朝テレビで観て、それから、スキーにくり出したので、その時は、彼が予選2組で高得点をとった瞬間は気分を高揚させた。
決勝では、残念な結果になったが、このパイプは、どうも失敗するのが常のような競技のようだ。他の選手も失敗しまくっている。そもそも、私はスノボが嫌いだし、スケボーをまねたハーフパイプなんて、愚の骨頂に思えてくる。
ま、8位入賞で十分じゃない。
そもそも、オリンピック自体、私は批判的。どうせ、これは資本の祭典。金のある先進国の選手が勝つに決まっている。そういう設備、いいコーチをあてがわれられるんだから。ましてや冬季五輪なんて、雪の降る北半球先進国が有利に決まっている。
スポーツなんて所詮はレジャー。レジャーとしてどのように充実できるかが重要だと思う。
そんなわけで、私は長野県は鹿島槍というスキー場で、レジャーを楽しみました。2度目の訪問。
リフトからカモシカ2頭が林の中を歩く姿を目にしました。かわいかった。ラッキーな光景でした。最近、スキーではラッキーなことが続いているような気がする。
今月初旬は、有名なスキー映画のスキーシーンを演じたプロスキーヤーと交流して、その後、年に数回しか晴れ間に観られないという蔵王の樹氷を見て、しっかり撮影に収めた。
以下の動画は、その旅行の模様。こちらが関連記事。
いいことがこれから起こる予感なのか、それとも、いい運を使い切ってしまったのか。
ま、いずれにせよ、遊んでばかりはいられない。仕事をすることに専念するぞ!!]]>
ポジティブ・コーチングを考える小説 第5章
http://masagata.exblog.jp/9428275/
2008-09-03T23:49:00+09:00
2013-02-17T22:21:23+09:00
2008-09-03T23:43:02+09:00
masagata2004
スポーツ
まずは第1章と第4章をお読み下さい。
数日後
中田俊秀と遠藤誠は、学校近くの裏山にある一本杉の真下で対話をしていた。俊秀は地面に座って幹に背中をもたれかけ、誠は幹に肩を寄せ立った格好だ。
「俺は、おまえのためにしたんじゃないぞ。あのガマタに無性に腹が立っていたんだ。あいつは、おまえ以上に俺をバカにしてやがる。成績で特別扱いはしないから勉強を頑張れと言いに来た。今更、俺が勉強したってついていけるはずがない。卒業なんかできっこない。俺から野球を取ったら何もないことは分かっている。つまり、学校を辞めろと言ってきたようなものなんだ」
「ひどい話だな。さんざん君を利用して学校の名を上げようとしたあげく、用がなくなるとポイ捨てか。とにかく、この前のことは感謝する。でもって今まで僕が君をバカにすることを言ってきたのは謝る」
遠藤は真剣な面持ちで言った。
「さっきも言っただろう。おまえのためにやったんじゃねえって」
俊秀は、学校から無期停学の処分を受けた。ほとんど退学のようなものだ。もっとも蒲田も、生徒の髪の毛を無理矢理バリカンで刈ろうとしたことで、やり過ぎと非難され厳重注意を受けた。
「中田くん、僕は学校を辞めることにしたよ」
遠藤はさらりと言った。
「え、何でおまえが? おまえは何もしちゃいないだろう。このままこの学校で勉強して医学部行って親父の病院継げよ。俺のために責任感じて辞めるんだったら迷惑だぜ」
「そんなんじゃないさ。あんな学校いたくないんだ。生徒だと思ったら、先生が何をしてもいいと思っている。それに飽き飽きする受験勉強。今回のことでやっと思い切った決心ができた。アメリカに行くんだ。アメリカの高校に転校するんだ。そして、アメリカの大学に行く。自分にとってためになる勉強をしたいんだ。そうすべきだと悟ったんだ」
俊秀は驚いていた。遠藤はただ者じゃないと感じた。医者の息子であることや優等生であることを鼻にかけた虫の好かない奴だとずっと思っていたが、それなりに自分の信念というものを持っている。
「俺には、よく分かんないけど、頑張れよ」
俊秀はそっけなく言った。
「なあ、中田くん。君も来ないか?」
「え? 何言ってやがる! 俺がアメリカに?とんでもねえ。何しにいくってんだ。英語も全然喋れねえし。くだんねえこというな。俺をまたからかってんのか?」
俊秀は遠藤の言葉に混乱していた。
「お前の好きな野球の本場に行ってみたら、何かが変わるんじゃないのかな?」
遠藤整形外科医院に俊秀は来ていた。誠の父、遠藤守医師の診断を受けていた。十分ほど対話をして後、レントゲン写真を撮った。
蛍光板に写真をのせ、遠藤医師は写真をじっくりと眺めた。
「典型的な椎間板ヘルニアだな。だけど、かなり回復している」
遠藤医師は眼鏡をかけた知的な感じのする人だった。
「ですが、俺、いや、僕は、まだ痛むんで。この状態じゃ・・・」
「そうだね。君は、夢を諦めなければいけないのは確かだ。こんな風に腰を壊してしまうと、プロ選手として活動することは不可能だ」
遠藤医師は、苦々しい表情で説明した。
「先生、俺、ききたいことがあって。腰を駄目にしたのは俺のせいですか。俺がきちんと自分の体を管理してなかったからこんなことが起きたんすか?」
すると、遠藤医師は真剣な眼差しを俊秀に送って言った。
「自分を責めるのはよしなさい。君のせいでこんなことになったとは私は思えないな。スポーツ選手が無理をしすぎて、体に損傷を与えることはよくあることだ。だが、そうだな。はっきり言おう。君が受けてきた理不尽なトレーニングに問題があったんだと考えるよ。強くなるためにしてきたことがとんでもない間違いだったんだ。スポーツのトレーニングについて間違った認識を持たされしまったことが問題だったんだ」
第6章へつづく。
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ドイツ料理店で応援した日本チームが金をゲット!
http://masagata.exblog.jp/9340127/
2008-08-21T22:19:00+09:00
2010-12-13T12:25:38+09:00
2008-08-21T22:20:03+09:00
masagata2004
スポーツ
実をいうと、昨日の対オーストラリア戦で日本のソフトボールチームの活躍を初めて知った。
昨夜、仕事仲間と新宿御苑近くのドイツ料理店で、日本人の奥様と息子と一緒に店をまかなうドイツ人シェフとこの女子ソフトの試合をテレビで見ていた。ご存知の通り、延長戦で勝利。ピッチャーの上野凄かった。お昼のアメリカ戦と合わせて、その日300投球以上もしていたのだから、ただものじゃない。その上、翌日の今日、最強のアメリカを下したのだ。
ドイツ料理のフルコースをビールを飲みながら応援。シェフのドイツ人は、数々の賞やメダルを獲得した腕前のご馳走だが、その日は、体の調子が悪いということもあって、客に食事を運ぶ役。だが、ソフトの試合がテレビで流れ、客の私たちと夢中になって応援に参加。オーストラリアに点を取られるとへました選手に「はらたつのり」とだじゃれ。
コースが終わると、サービスでお酒をもてなし、試合が終わるまで観戦させてくれた。実に楽しかった。
こんなお店もあるものだなと感心した。ダンケ・シュン!
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ジムが終わった後に観た蘭映画「レスキューチーム 第40部隊」
http://masagata.exblog.jp/9310196/
2008-08-17T16:00:00+09:00
2009-01-12T19:47:17+09:00
2008-08-17T16:00:42+09:00
masagata2004
スポーツ
疲れてほてった体で映画を観る。ストーリーは、リックという青年レスキュー隊員が、潜水士として海難救助の第40部隊に配属となる。彼には親友を再起不能にさせた辛い過去がある。そこで、女性衛生兵のアレックスと出会う。当初、二人は対立していたが、様々な出来事を通して打ち解け合い恋仲となるのだが、貨物船火災の救助でリックは無理な救助を強行し、その後、行方不明となる。
ははあ、どこかで観たような。そう、ケビン・コスナー主演でアメリカの沿岸警備隊スイマーの活躍を描いた「守護神」。そして、その映画の元となったのではないかと思われる日本の「海猿」の第2弾「LIMIT OF LOVE」。主人公の俳優の体格と顔はアシュトン・クッチャーと伊藤英明によく似ていた。両方のいいところをブレンド、おいしく味付けしたようなドラマだ。ヨーロッピアン・バージョンというべきか。
空軍が撮影に協力しただけあり、日米作品と同様にスケールの大きなシーンが次々と展開され、お決まりの設定と筋書きながら、実に楽しめ、心打たれた。ジムのロッカールームと映画の中のロッカー室シーンが何となく重なった。まさに体育会系が喜びそうな内容が盛りだくさん。筋肉むきむきになり、大海原に挑む勇者達とジムで観た筋肉どものイメージが重なった。
うわああ、かっこよすぎる世界。ださくてひねくれものの私には、幻想世界に映った。ついでもって、海に行きたいけど、めんどくさがり屋の身にとってはちょっとした海水浴気分も味わえる。
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私の「NOMO」さんとの思い出
http://masagata.exblog.jp/9096376/
2008-07-19T20:04:00+09:00
2009-01-12T19:47:17+09:00
2008-07-19T19:54:31+09:00
masagata2004
スポーツ
そう、未だにはっきりと覚えている。彼が大リーグデビューした1995年、私はサンフランシスコの大学生だった。野茂のデビュー、そして活躍は、大きな話題になっていた。
野茂の試合も見に行った。地元ジャイアンツ対ロサンゼルス・ドジャースの対戦で、球場に行くと、アジア系の女の子達がプラカードを持って、球場でウォームアップしている野茂を見つけ、「オー・マイ・ガッシュ、イツ・ノモ」と感激で叫んでいた。
西海岸に多く住むアジア系アメリカ人にとっては、「野茂」はスポーツは不得意というアジア系のステレオタイプをうち破る格好のヒーローだった。
大学の中国系アメリカ人の講師も、野茂をよく知っていて、誇りに思ってくれた。それが、とても嬉しかった。
また、アメリカ人の友人と雪合戦をした時、私がトルネードのフォームをして雪玉投げようとすると野茂だとすぐに気付いてくれて、そこで親睦を深められた。野球の話題となれば、すぐに打ち解けられたのだ。
とくかく、野茂さん、お疲れさまです。いい思い出ありがとう。]]>
ポジティブ・コーチングを考える小説 第3章
http://masagata.exblog.jp/8937794/
2008-07-01T23:54:00+09:00
2013-02-17T22:24:05+09:00
2008-07-01T23:54:41+09:00
masagata2004
スポーツ
まずは第1章と第2章をお読み下さい。
夏の甲子園大会の予選が始まった。
K高校野球部は、順調に勝ち進んでいった。俊秀は、エースの先発ピッチャーとして相変わらず学校の期待を一身に浴びていた。
俊秀にとって、この時期は勉強そっちのけで野球に明け暮れた日々の成果を披露する時であり、学校に貢献する時だ。
俊秀が優等生揃いのK高校の授業についていけるはずがなかった。中間、期末はいつも欠点ばかり。しかし、お咎めは受けない。追試もなく、成績は常に修正されている。俊秀が名投手である限り、落第は免れるのだ。
だが、いいのだ。その埋合わせをするように、野球でいい成績を上げている。今期は、俊秀のおかげで今までにない勢いを野球部は見せている。失点も少なく俊秀の防御率は、県の予選大会参加投手の中でトップである。仲間の援護もかなりいい。ヒットやホームランを次々と出している。試合は常に相手と二点以上の差をつけ快勝だ。向かうところ敵なしというところだ。去年、俊秀が一年のとき、俊秀は、リリーフ投手としてベンチに座っていた。そして、K高校野球部は、準決勝で敗れた。
今年は、ついに決勝まで来た。決勝まで勝ち進んだのは、五年ぶりである。今年こそ、県大会予選に優勝し、甲子園に進むのだ。それこそが、部のため高校のため、ひいては自分のためである。栄誉は、必ずつかんでみせる、と俊秀は心に決めていた。
決勝の相手は、手強かった。相手は、毎年県代表として甲子園に出場する野球の名門T学園だ。去年の準決勝でK高校が対戦した相手であり、その時は〇対五という惨敗を喫した。
敵は恐ろしいまでに強い。しかし、今年は違う。K高校には俊秀という先発投手がいる。地元新聞のスポーツ欄でも今年こそは、K高校という新しい代表校が決まるのではと、騒ぎ立てられているほどだ。
予選決勝の試合会場には、K高校校長、教頭、担任の蒲田を含めた教員全員、そして、全校生徒の半分以上が応援に駆けつけていた。学乱に鉢巻きをつけた応援団員が、バックネット近くで大声を張り上げ、そのかけ声に合わせてK高校生たちが応援ぜりふを叫ぶ。
「かっ飛ばせ、K高! T学園を倒せ!」
普段は勉強にしか能のない青白い顔の優等生たちが、この時ばかりは威勢のいい若者らしさをあらわにする。俊秀には、そんな姿が嬉しく、また滑稽に見えた。
期待に応えるべく勝利を手にしたいと思うが、T学園は、これまでの相手とは、感触が全然違う。さすが甲子園の常連校だ。
八回の裏、T学園の攻撃、今までのところ両校ともヒットが数本あったが無失点無得点、形勢は、どちらにも大きな違いはなく互角に戦っているといえる。K高校は、昨年までT学園相手では、五点もの差をつけられ負けていたのだから、この引き分け状態は大きな進歩を意味する。それだけ俊秀のチームは強くなったのである。チームの気分は高揚していた。
T学園にとっては、快勝できると思っていた相手に一点も得点を上げられない引き分け状態だ。だから、T学園の連中は焦っている。その意味で、この試合はK高校にとって有利な運びになっているかもしれない。
「ストライク、バッターアウト!」
審判の声とともに、一人のバッターがホームベースを立ち去った。これでツーアウトだ。
新たにバッターがホームベースに立ち、八回裏T学園攻撃、最後の打席となった。こいつにストライクを喰わせれば、この回は終わる。監督は、俊秀にこの回が終われば、後はリリーフを使うと言っている。この相手で最後の投球になる。
俊秀は、バッターを激しくにらんだ。バッターもにらみ返す。俊秀には、最後の投球に際して悔やむことがあった。それは、投球の速度である。自分の投球速度が去年の夏頃から全然伸びていない。
今の速度でも決して問題はなかった。というのも俊秀には、得意のカーブボールという必殺業があるのだ。これは、不意をついてバッターを撹乱させるために投げるものだ。この予選大会からしばしば使うようになった技だ。そのおかげもあって失点が少なくなったといっていいのだが、バッターもバカばかりではなかった。相手が自分の動きを読み取り、カーブ球を打ち飛ばすこともしばしばあった。それが何度かの失点の要因になっていた。
俊秀が感じるかぎり、T学園の選手はすでに自分の動きを読んでいる。得点にはつながらなかったものの、この試合ですでに何度かカーブ球が打たれヒットを奪われている。
もうカーブは投げられない。このバッターも自分の動きを読み取っているはずだ。それならば直球だ。俊秀は、渾身の力を込め、真直ぐキャッチャーに向かって球を投げた。
バッターがバットを振った。
「ストライク!」
審判がそう叫んだ。空振りに終わったのだ。俊秀はキャッチャーからボールを受け取ると再び投げた。
「ストライク!」
やったぞ! あと一球投げて、バッター三振。これで自分の役目は終わる。俊秀は思った。今までにない速球を投げてやろう。自己最速の投球速度を記録できるようなものを。
俊秀は気合いを入れ、余力を全て吐き出すつもりで肩に力を入れた。片足を上げ、ボールを手にした腕を大きく回した。
その時、ガンっという感触が、俊秀の腰を突いた。腰に何か重いものを打ち付けられたような感覚がよぎると凄まじい痛みが下半身に広がった。
痛え! と心の中で叫んだ。そんな感覚とともに俊秀の体全体の力が抜けた。そして、ボールが手から離れた。俊秀は体のバランスを崩し、マウンドに倒れこんだ。
カキーン、という音が響いた。バットがボールに当たった音だ。実に響きのいい音だった。まさにボールが進んでバットにぶつかってきたような音である。
ボールは、空高く飛んだ。球場に大きな歓声が起こった。ボールは、地面に平伏す俊秀の真上をすっと駆け抜けた。
場外ホームランだった。
俊秀は、マウンドから立ち上がれず、担架に乗せられグランドから運ばれた。腰に激痛が走る。体は一センチたりとも動かせず、さすがの俊秀も担架の上で「痛え、痛え!」とわめき散らす始末だった。痛いのは、腰だけではなかった。肩にも、痛みがこみ上げてきた。
すぐに救急車が来て、俊秀は病院へと運ばれた。
第4章へつづく。
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ポジティブ・コーチングを考える小説 第2章
http://masagata.exblog.jp/8855961/
2008-06-22T14:32:00+09:00
2013-02-17T22:23:24+09:00
2008-06-22T14:33:04+09:00
masagata2004
スポーツ
まずは第1章からお読み下さい。
部活が終わったのは、夜の十時ごろだった。まあ、いつものことだが、最近は練習量が増えてきたような気がする。もっとも無理もない、夏の甲子園大会の予選が迫っているからだ。そのせいか、いつもなら部活が終わったあと、疲れは残っていても、すきっとした気分で家路に着くのだが、今夜は、体がふらふらとする。心なしか腰の辺りにじわりと痛みを感じる。
ちょっと座って休もうかと思い、公園のベンチに腰掛けた。夜空の星を眺めた。なんと美しい星空だろう。自分もいつかは、あんな星空のように輝く野球界のスターになるのだ。そのためには、つらい練習にも辛抱だと思った。
「やあ、中田。久しぶりだな」
はっと声をかけられ、振り向く傍に山賀真一郎がいた。まさしく久しぶりの出会いだった。
「よう、山賀、何してるんだ。元気していたか?」
山賀は、中学時代親しかった友人だ。親友ともいえる男だ。山賀は今、料亭で板前の住み込み修業をしている。山賀は中学卒業後、高校進学をせず、板前になる道を選んだ。料理に興味があったのが主な理由だったが、実際、山賀の家は貧しく、そのうえ、唯一の身内であった母親が亡くなり、そうせざる得なくなった事情もあった。そのことを知った俊秀は、とても心配になった。山賀は、小柄で気が弱く、よく周りからいじめられていたのを俊秀が助けていた程だ。一人ぼっちになって働かなければならないとはあまりにも苛酷な運命だと思った。
だが、山賀は中学の卒業式の日に俊秀に言い切った。
「いつか、必ず、日本一の板前になって、プロ野球選手になったおまえに日本一の料理をご馳走してやる」
俊秀は、その言葉を聞いて安心したのを覚えていた。その言葉を聞いてもう心配がないと確信したのだった。それ以来、お互い顔を合わしていないが、ずっと大好きな料理の道一筋に頑張っているのだろうと思っていた。
しかし、今夜の山賀の表情を見ると心配でならない。昔のように、いじめられていじけていたときのように、うつろな表情をしている。
「おい、山賀、どうしたんだ。元気がないようじゃないか?」
「いやさ、修業で厳しくってさ。おれ、辞めちゃおうかと思って」
「何言ってるんだ! 卒業式のときの言葉を忘れたのか。日本一の板前になるって、そして、プロ野球選手になる俺に日本一の料理を作るんだって。頑張れよ」
俊秀は、立ち上がり山賀の肩をゆすりながら言った。
「しかしさ、あまりにつらくって、俺、耐えきれねえよ」
泣き出しそうな表情をして言った。
「バカいえ! 俺だって、部活でつらくてたまらねえことばかりなんだ。だが、辛抱している。おまえだってできるさ。テレビで言ってるだろう。おしんの「しん」は辛抱の辛とかって! おまえも真太郎っていう名前があるだろう。真太郎のしんは、辛抱のしんだぜ」
俊秀は、真剣な眼差しを向け、山賀に言った。山賀にどうしても元気を取り戻して欲しかった。
「そうだな。その通りだよな。辛抱して頑張るよ」
山賀は苦笑いをすると、「じゃあ、おれ帰らなきゃ」と言い、そそくさとその場を去った。俊秀も家に帰ることにした。
山賀は、その日一日中、久しぶりの暇を貰った。暇を貰ったといっても、身寄りのない真太郎にとっては、外をぶらつくことぐらいしかできなかった。とにかく、片時であってさえ、料亭にはいたくなかった。
料亭に着いた。真太郎は、ふと腕時計を見た。もう十時半だ。門限を過ぎている。今までふらふらしていたうえに、久しぶりに中田に会って、門限の十時を過ぎてしまっていたのを忘れていた。
山賀は、料亭の勝手口を音をたてず、こっそりと入った。誰にも自分が帰ってきたことを気付かれないようにするためだ。
「おい、おまえ、逃げられると思うな。待ってたんだぜ」
と背後に先輩の声が聞こえた。先輩は、山賀を料亭の休憩所に引っ張り込んだ。
山賀は、休憩所の畳の上で数人の先輩を前に正座をさせられた。ただの正座ではない。太ももとふくらはぎの間に木の棒を入れた非常に痛みの伴う正座だ。門限に遅れた罰としてやらされている。痛くてたまらず、泣き出しそうだった。
だが、こんなことは、今に始まったことじゃなかったのだ。見習いとして、この料亭に入ったときからだ。毎日朝早くから夜遅くまで働かされる。することといったら皿洗いか、掃除ばかりの雑用だ。見習いだから仕方ないとしても、入ってから一年以上ずっとそれだけだ。何一つ進歩がない。何か板前らしきことをしたいと文句を言えば、「十年早い」と言い返される。
そのうえ、新入りである自分を標的としたいじめが日常茶飯事である。殴る蹴る、ゴミを吹っかけられる。外に追い出され野宿させられる。中学時代からいじめというものは受けてきて、ある程度は慣れていた。しかし、あの時は、中田という自分を助けてくれる友人がいた。だが、今、自分は一人きりだ。誰も助けてくれない。料亭の主人の大将だって見て見ぬ振りだ。
これも修業のうちなのだろうか。一人前の板前になるため耐えなければいけないことなのだろうか、真太郎は悩みながら涙をこらえた。
「おい、辛抱しろよ。真太郎のしんも、辛抱の「しん」だって言うだろう、へへ」
先輩たちは、タバコを吹かしながら笑って言った。
第3章へ続く。月1、2回ぐらいの割合で更新の予定。事情により増減あり。
尚、この小説の著作権はこのブログの管理者マサガタこと「海形将志」に帰属するものとする。
盗作や転載は許可しません。リンクなどでの紹介は歓迎。
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