カテゴリ:ライフ・スタイル( 62 )

原始、我々は性に対して奔放であった

3か月ぶりの更新。放置プレイ申し訳ない。

本日、川崎市のある神社に行った。そこで、とんでもないものを目にした。

よく、猥褻、卑猥なものとしてあげられるこれだ。
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こんなものが飾ってあり、何でも祭りのお神輿として使うのだそうだ。
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そんな、この日本において、こんなことが許されるのか? と思われるかもしれない。しかし、これはこの神社において長年にわたって続けられている行事だ。
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これはご神体である。会場には、そのご神体を象った飴も売られていた。外国人も数多く訪れていた。飴を買って喜んで舐めているのがみられた。
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若い女性たちが舐めているのをみて喜ぶオジサンどもを散見。

保守的な日本で、どうしてこんなことが許されるのか理解に苦しむかもしれないが、実をいうと、これが日本の真の姿。

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by masagata2004 | 2015-04-05 21:20 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)

子だくさんのところほど子供は大事にされない

政府の有識者委員会が日本の少子化を危惧している。しかし、モルガン銀行東京支店長などを務めてきた藤巻健史氏は、少子化は本当に経済に悪影響を与えるのだろうかと疑問を呈する。***大海のごときミシガン...
政府が少子化を深刻に受け止め、多大な予算を使って対策を練るそうな。

少子化に対して、それが特に国家の経済にとって悪いことなのかという議論がある。もし悪いなら、何を為すべきかという議論が続いて起こる。

しかしながら、ここで述べておきたいのは、日本の出生率が高かった時代、まさに「産めよ、増やせよ」などというスローガンが横行していた時代、子供が今ほど大切にされていたかということである。

かつて日本には「口減らし」という言葉が使われていた。これは、産まれた子供を海に捨てたりした習慣だ。

また、農村などで子だくさんだったのは、子供を労働力として使い、場合によっては奉公などに売り飛ばす手段としていたからである。

1983年のNHKの朝の連続テレビドラマの「おしん」は、そんな貧しい農家の娘が主人公だったが、売り飛ばす時に母親が悲しんで見送るシーンが有名になったが、意外にもあっさりと売り飛ばしたのが現実ではと思う。その時代の農村では、ごく当たり前の慣習だったからだ。

現在、放送されている連続ドラマの「花子とアン」では、「おしん」にも重なるところがある。主人公の女性は、貧しい家庭に育ちながらも、給費生として当時としては富裕層しか受けられなかった高等教育を受け、プロの翻訳家となる。だが、彼女以外の兄弟姉妹は奉公や養子に出されてしまったという。父親は彼女だけ才覚があると考え期待をかけ、他の兄弟姉妹を犠牲にしてでも、高等教育を受けさせたのだ。

海外に目を移せば、欧州のグリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」が、いわゆる口減らしで森に置き去りにされるストーリーが代表的だ。童話では継母がそうするような経緯だが、この童話の元となった現地の言い伝えでは、生活が苦しく実の母親がそうするということになっている。

最近、「家族は仲良くやっていこう。子供は宝」というスローガンを振りまく人々がいるようだが、現実論からいうと、かつて子供はそれほど大切にされてきたとは言い難いのである。

むしろ、今の方が豊かになり大切にされお金をかけるようになったから、子供は少なくなったといえる。
by masagata2004 | 2014-06-01 15:12 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)

スマホで考える文明の限界点

数か月前だが、5年以上も使い続けたコンパクト式の携帯電話をやめ、最新のスマートフォンに切り換えた。周囲では、それが主流で、若い人は全員といっていいほどスマホを使っており、携帯電話は年輩の人しか使っていない時代になってしまった。
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タッチ画面で操作するし、電池もなくなりやすいと聞いていたので、ずっと渋っていたが、携帯電話が古くなり機能が低下、買い替えするならとスマホにしたが、意外にも早く使い慣れるようになった。これまでにない機能が加わりパソコン感覚で、様々な操作ができるようになった。それはそれで大したものだが、そのことで最近、考えるようになったことがある。

それは、これ以上、こんな便利なものを求めていいのかということだ。いつまでもハイテクを崇拝し、次から次へと新しいものを買い求めていく生活をし続けていいのかということ。というよりか、そんな生活がこれ以上続くのであろうか。いずれは限界に来てしまうのではなかろうか。

3年前に起こった原発事故。その時から、そういうことを真剣に考えるようになった。電気がどこでも当たり前のように使える時代がいつまで続くのか。電力不足で町中が暗くなった時、考えるようになった。

考えてみれば、人々が電気を日常的に使うようになったのは、1世紀前ぐらいのこと。人類の歴史の中ではほんの末端でしかない。なのに、電気なしには文明社会そのものが成り立たなくなるほど依存するようになってしまっている。

だが、その電気は実をいうと、簡単につくれるものではない。ほとんどは石油、石炭、天然ガス、ウランなどの地中に埋まる限られた量の天然資源を燃やしたり、核分裂反応で起こしている。実をいうとこの先、1世紀も供給が持たない希少資源でもある。だが、その資源は燃やせば、地球温暖化による急激な気候変動、核分裂は放射能漏れによる被害と半永久的に管理しなければならない核廃棄物というとんでもない副産物を産む。

風力、太陽光は再生可能エネルギーとして新たな発電手段と目されているが、量は比較するとずっと少なく、また、これらの発電機器を製造するのに資源が必要であるので、大した足しにはならない。

結局のところ、いつか、今よりもはるかに低い消費電力で生きていかなければならない日々が来ることになるのだ。ならばどうすればいいか。

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by masagata2004 | 2014-03-25 22:45 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)

混浴について考える

先週末の青森県八甲田山への旅行では、スキー以外に、どうしても体験しておきたいことを体験してきた。それは、温泉の混浴である。
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場所は、酸ヶ湯温泉旅館である。スキー場から車で20分ほど離れたところにある雪がどっぷりと積もった場所だ。温泉は宿泊客以外の人には入浴料を払い入れるようになっている。そして、玄関には混浴のルールを書いた標示板がある。
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そこに千人風呂と呼ばれる大浴場があり、そこが混浴の場となっている。二つの大きな湯船があり、男性は左側から、女性は右側から入るのだが、湯は白濁色なので、いざ浸かってしまえば湯に入ったところは見えない。風呂場の真ん中で男女を区切るついたてがあり、一つの湯船では女性はついたてに隠れながら、湯に浸かることができる。だが、私が入った2日間では、ほとんどが男性客で、女性はずっと少なく、その多くは高齢者だった。若い女性もいたが、布を巻いていたり、または湯船に浸かるまでタオルでしっかり体を隠していたりした。

もっとも、女性の裸に興味があったわけではなく、混浴文化とはどういうものであるかを肌で感じるのが目的であった。ちなみに、私にとって、この酸ヶ湯は生まれて初めての混浴ではない。生まれて初めては、意外にもアメリカはカリフォルニア州北部にあった露店温泉風呂である。学生時代で、16年ぐらいも前のこと。大学の山間部キャンパスで植物学の講座を受講するのが目的だった。そこの近くにあった露天風呂の温泉で、それが何と混浴だったのだ。その時、アメリカ人の学生が、混浴には、保守主義からの脱却としての意義があると話していたが、それと日本の混浴文化とは意味合いが違うように思う。

日本では、古来から混浴が当たり前であった。少なくなったのは明治時代以降であり、かつてまで男女が共同浴場で全裸になることは恥ずかしいことではなかった。明治時代の筑豊炭坑の生活を描き世界記憶遺産とまでなった山本作兵衛の絵画記録では、炭坑夫たちの混浴風景も描かれている。それは、何ら特別なものとしてでなく、当たり前のことのように記録されているのだ。

温泉で混浴となると、それは限られたスペースを区切らず、老若男女を問わず、いつでも誰でも楽しめるようにすることが目的だといわれている。昔の日本人にとって、お風呂とは誰もが全裸になって浸かるものだから、風呂場でお互いの全裸を目にするのは特別なことではなかったと考えられる。

それは、現代でいえば海水浴をするために浜辺で、水着姿になるのと同じようなものだ。誰も、海水浴場での水着姿を恥ずかしがったりしない。それと同じように風呂場で全裸になるのは恥ずかしいものではないとみていたのだろう。

だが、そんな混浴の習慣は、明治時代に日本を訪ねた西洋人の目からは「非文明的」な習慣として映り、当時の日本の指導者も、そのように思うようになった。

混浴は、褌、着物と同様に、外からの影響を受け、我々が失いつつある伝統なのだろうか。
by masagata2004 | 2013-04-10 23:44 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(1)

KIMONOを着よう! 第3章 貝の口

日本の民族衣装、着物を通して学ぶ、伝統と文化の重さ。

まずは第1章第2章をお読み下さい。

さてその日の朝、その着物を着てみた。包み紙の中には、折り畳んだ羽織と羽織の左右を衿でつなぐ羽織結びと長着と帯が入っていた。
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着たのは、その中の長着だ、羽織を着なければいけないほど、まだ寒くはない。浴衣を着るのと同じように下着姿の上に長着を身につけた。さて、そうなるとベルトの役割を果たす帯を腰に巻かなければいけないのだが、それがかなり長いものであることに気付いた。旅館やホテルで着る浴衣だと短く、巻いてさっと側面で固結びをすればいいのだが、これはどうも、そんなに簡単にいかないらしい。何度もくるくると腰に巻いて、最終的に残ったところで、固結びをするようにしてみた。だが、浴衣の帯と違い、この帯は太く結びにくい。はて、どうやって結ぶのか。何度か試してみる。やっとかっとして、手を離しても腰から落ちないように巻き込めた。だが、どうも不安定な感じがする。きっと正しいやり方ではないのだろうが、とにかく結べたのだから、これで行こうということにした。
気付いたことがあった。財布や携帯電話、鍵を入れるポケットがない。だが、すぐにどこに入れればいいか気付いた。袖口だ。着物の袖の幅は広い。袖口にそっとものが入れられ、袖そのものが袋のようになっている。よく「袖の下を通す」を入れるという慣用句があるが、その由来はこういうことなのかと思った。
着物だから、履くものは靴ではなく、夏によく履くサンダルにした。たまたま持っていたサンダルが草履風だったので丁度いいと思い、素足にサンダルを履いた。

歩いて外に出てみると、実に歩きにくいことに気付いた。まるでスカートを履いているようだ。特に、階段を上がるときは、こけそうになってしまう。昔の人は、こんなものを日常的に着ていたのかと思うと信じられない気分だ。そして、電車に乗る。周囲の視線が気になる。周りの人で特に気にして見ている人はいないようだが、普段着ない服だ。どう見られているのかおのずと気になる。

約束の時間になり、柴又の駅に着いた。そこを出てから、真っ直ぐのところに柴又帝釈天がある。待ち合わせは駅前の広場だ。
すると、外国人らしき人が数人ほど待っていた。
「ハロー、皆さん、フリーウォーキングツアーに参加の方ですか。私が今日のガイドのイチローです」と声をかけると、初老の女性がにっこりとして「こんにちは。まあ、素敵なキモノね」とさっそく着物姿に反応してくれた。
「はい、是非とも、日本の伝統の衣装をお見せしたくて」と応えると、他のゲストも「ナイス・キモノ」「グッド・スーツ」「グレイト・ファッション」といういい反応が続けざまに返ってきて、皆珍しそうに見つめる。
そうか、外国の人にとっては、エキゾチックな衣装であり、また、ファッションとして受け止めるものなのかと思った。我々にとっては、どうも辛気くさく、保守的なイメージが強い。だからこそ、着る人は少ないのが現代なのだろう。
「ハロー」と声をかける女性の声が、清美さんだ。黄色いワンピースを着て、相変わらずきれいだ。
「ああ、清美さん」と一郎がにっこりとして挨拶。
「あら、着物を着てきたの」と清美が目を大きくして見る。
「はい、祖父の形見で、せっかくだから着てみようと。外国の方たちをもてなすのには丁度いいかと」と応えるが清美の反応はなぜかしっくりしない。そして、外国人の方々を見て「さあ、皆さん、これから柴又帝釈天に行きます。私は、彼と一緒にガイドを務めるキヨミです」とガイドを始めた。
駅から帝釈天までの間は、お土産屋さんが軒を並べる。この光景はとても風情がある。ところどころで立ち止まり、これは何?とか、質問をされた。単なる風車や竹とんぼなどの和細工がとても珍しがられた。
数百メートルほど歩いたところで、帝釈天の入り口に到着。
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一郎は、そこで帯が緩んでいるのに気付いた。すぐにまた固く結ぶ。そして、帝釈天の解説をした。
「ここは、17世紀の初めに建てられた仏教の寺です。タイシャクテンというのは仏教の守護神の名前です」
中に入り、本堂を案内するが、ここの醍醐味は、本堂の裏手にある彫刻ギャラリーだ。仏教の説話10話を木彫りで描いた壁面が続く。木彫りなのだが、実に細かく巧みに描かれているのに感動する。まさに芸術品だ。一郎と清美は交代で、各木彫り画の説明をした。
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次に、邃渓園というところへ向かった。
庭園を囲むように和館と屋根付きの廊下が続く。さっそく入り口に入ったところで、清美がゲストに対し、「皆さん、少しここで待っていてくださいますか。数分ほど」と声をかける。ゲストは、OKという反応だ。入り口付近からも美しい庭が眺められるので、この辺でゆっくりしていると言ってくれた。
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一郎はどうしたのだろうかと思ったが、清美が一郎の手を取り「ねえ、ちょっと来て。二人だけになれるところで」と言う。えっと思った。いったい何のつもりで。不思議とわくわくとした気持ちになった。
ついていくと、廊下の奥の人目のつかないところ。消化器などが置いてある和館の隅だ。どうして、こんなところに、それも二人だけで、おまけにこんな美人と、一郎は変な気分になった。清美は言った。
「この帯をほどいて」

続き
by masagata2004 | 2013-03-25 09:00 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)

モーニングティー

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とある高級住宅街のカフェにて。
by masagata2004 | 2012-03-25 09:23 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)

アレルギー小説「日本男児をやめられない」 最終章 海渡りと潮抜き

高温多湿の日本に来てゴム・アレルギーにかかったカナダ人が体験する日本の伝統文化とは。

まずは第1章から第5章までお読み下さい。

次の週、祭りの日が来た。神社を中心に町の人々、隣町の人々、それに今年は20年ぶりに海渡りでの褌着用が復活ということが話題になり、より遠くからも見物客がやってきた。

そして、ジャックにとっては思わぬ訪問客と対面した。それは妹のアンヌだ。驚きの知らせを受けた。アンヌは、数年前にアメリカ人と結婚してニューヨークに住んでいたのだが、夫がゲイであることが発覚。その上、最近、州で合法化された同性婚で新しいパートナーと結婚するつもりで、そのため、アンヌに離婚を申し出てきたというのだ。もちろんのこと、離婚したのだが、結果、心に深い傷を負ってしまった。何とか気分を変えようと兄のジャックがいる日本まで飛んできたというのだ。ジャックは、気分転換に祭り見物を勧めた。アンヌのため浴衣も繕った。

祭りの日、晴天で町は大盛況であった。神社から海岸までの通りはごった返した状態だ。商店街がいつになく賑わい、そして、神社は露店が軒を連ね、そこも大賑わいであった。

朝から町のどこかしこから笛太鼓が鳴る。アンヌは百合子に連れられ、いろいろなところを案内された。しかし、こんな賑わっている中でも、アンヌの表情は浮かない。必死で雰囲気に合わせて笑おうとしているのだが、それ以上に心の傷が深いようだ。

お昼が過ぎた。ついに目玉イベントの御輿担ぎと海渡りが行われる。特に海渡りは、腹巻きと褌の男衆によるものなので注目の的だ。神社で、お清めの儀式が執り行われ、御輿を担ぐ町民が一同に境内に集まり静かで厳かな儀式が執り行われた。神社の宮司が現れ、祈祷をするなどの儀式だ。ジャックは、仲間と一緒に境内に立って、その儀式をじっと見つめていた。初めて見る光景だ。その荘厳さに強い衝撃を受けた。

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清め儀式が終わった。さあ、始まる。まずは御輿担ぎだ。ジャックや男衆一同は、腹巻きと六尺褌、鉢巻き、地下足袋をした格好になっているが、海岸までは、その上に法被を着ている。なので、褌が見える状態ではない。というのは、まずは、男衆だけでなく、老若男女を交えた町民が境内から海岸近くまで御輿を交代で担ぐのだ。それは同じ法被を着ていれば、男女関係ない。お祭りの和気あいあいのイベントとして執り行うものだからだ。御輿に触ることは縁起のいいことだとされるので、誰もが飛び入りで交代で担ぐ。

その周りでは笛太鼓の音がなる。御輿を担ぐ者達は「ワッショイ、ワッショイ」と揃えて掛け声を出す。

百合子も、それに混じって1分ほど担いだ。ジャックと泰蔵は、先頭で担いだり、離れて見守り指揮を取る。御輿、英語で訳すと、portable shrineと呼ぶらしい。つまり、持ち運べる神社。それを体に接して担ぐので、神と自らを接触させる感覚を味わえる。肩にかかる重みは神からの御達しのように感じられる。

ついに、海岸近くにやってきた。御輿は一旦、用意された台に置かれる。さっそく男衆の出番だ。それまで法被を着て一緒に担いでいた者、または、離れて見守っていた者、などが、一斉に法被を脱ぎ、白の鉢巻き、腹巻き、褌、地下足袋だけの姿になる。男衆数十人が御輿のそばで生尻を見せつけずらりと並んだ。若い者から年老いた者、痩せた者、太った者と尻の形は様々だ。壮観な眺めである。ジャックと泰蔵が担ぎ棒の先頭に来た。周囲の目は、彼らに釘付けだ。カメラのシャッター音も聞こえる。

特にジャックは祭り初の外人の担ぎ手で、おまけに祭りの幹事。背が高くがっしりとした体格。胸毛もあるのでさらに注目の的。もう褌が恥ずかしいなどといっている場合ではない。

男衆には、強い日差しも照りつけ輝いている。気温は三十度を超えている。なので、海に入るのは丁度いいぐらいだ。泰蔵は、ひとまず御輿から離れた。どうやら、海へ御輿を誘導する係りを担うつもりだ。一緒に昨年の幹事役である源がいる。太めの源の褌姿は相撲取りのようであった。
源は泰蔵に言った。
「泰蔵さん、二十年ぶりだな。褌で海に入るのは。いい気分だぜ」
「おう」と元気いっぱいの泰蔵。

ジャックは先頭で、同じく先頭の太郎と一緒に御輿の担ぎ棒を肩にしょっていた。その姿を百合子が見つめている。その百合子の隣にアンヌがいる。
ジャックは、掛け声をかけた。
「いくぞ! ワッショイ」
泰蔵と源が、手振りで皆を海へと誘導する。一同は、どんどん浜辺の方へ進んでいく。そして、砂浜に。

その後、波打ち際に来る。ここからが慎重だ。数百キロの御輿を担ぎながら、波打つ水の中に入っていくのだ。浅瀬が終わる三百メートルぐらいまで。丁度、小さな岩礁が見えるところまで担いでいくのだ。

ジャックも、数日前、下見として同コースに入ってみた。一番深いところはジャックの胸元まである。他の者だと肩ぐらいまではある深さだ。水の中なので、足元もふらつきやすい、そういう中を少しずつ進んでいくのだ。そして、岩礁の辺りまできたら、くるりと回って海岸へ引き返す。

周囲で笛太鼓が鳴り、一同は「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声を上げる。地下足袋の中に水が入ってくる深さにまでなった。いよいよだ。そして、股の辺りまで。褌が、ぎりぎり見えるほどの深さになった。その深さで約百メートルだ。海岸で見物する人々が遠く小さく見えてしまう。自分たちが海の中に取り残されたような気分だ。
「よーし、深くなるぞ」と泰蔵が言う。
そして、沖の方を見ると数十メートル先に岩礁が。水がどんどん上がっていく。大事なことは御輿を海に沈ませないことだ。一同は団結した。
「ワッショイ、ワッショイ」と同時に掛け声をかけ、海岸の見物客にも聞こえるほどの大声を出した。海水に腰まで浸かる。腹巻きまでびっしょり濡れる。ジャックの胸元まで水位が上がった。一番深いところだ。岩礁が数メートル先にあるのが見えた。
「ようし、引き返すぞ」と泰蔵。泰蔵は首まで浸かっているが、足を地につけず、泳いでいる感覚だ。そして、引き返すように御輿のコース変更を誘導した。

続き
by masagata2004 | 2011-10-30 17:43 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(2)

ドキュメンタリー「非現実の王国で」 孤高な人生の美学

誰にも、その才能を見出されず、ひっそりとその孤独な生涯を閉じた男の謎に満ちた生涯を追ったドキュメンタリー。彼の名は、ヘンリー・ダーガーというシカゴに住んでいた雑役夫で享年は81歳であった。1892年に生まれ、1973年に死亡。身内などおらず孤独で小柄な男であった。彼の死後、住まいのアパートから15000ページ及ぶ小説と、その小説に関する画集が発見された。死後、作品が発表され、世間を圧倒させることとなる。

彼は、孤児として生まれた。だが、幼い頃から虐待やいじめを受け続けていたらしい。その後、貧しい生活をしながら、日々のつらさから逃れるためか、「非現実の王国で In the real of the unreal」という小説を書き、そして、独自の手法で、小説の世界を絵の具で描いていく。面白いのは、自分で描いた絵を写真に撮し、それを写真屋に拡大化するように頼み、それを元に登場人物の複製画を描いていったことだ。かなりの懲りよう。

それらの作品は、彼が生前の時に世に出ることはなかった。彼自身、周囲からも孤立した生活を送っていたほどだ。

そんな謎に満ちた生涯、そして、死後明らかになる彼の残した作品。悲しき切ない人生なのだが、ふと、そんな人生も、それなりの人生なんだなと思う。どこか町の路地裏で、たった一人でひっそりと佇み、ひっそりと死んでいく。だが、自分だけの世界を持っている。究極の都市住民の生き方かもしれない。別に家族を持ち、多くの友人を持ち、社交的で、世間に認知されていることが人間の一生ではない。結局のところ、人は一人で生まれ、一人で死ぬ。無理して人とのつながりを強めて生きていく必要はない。たった一人でも楽しめる娯楽を持っているのなら、それで十分ではないか。最近流行のオタクと共通する点でもある。

ただ、この人、もし今の時代に生きていたのなら、生前に自らの作品を堂々と発表する手段があったのに。それは、このブログを読んでいるなら誰でも分かる。ネットでの公表だ。そうすれば、誰かの目に留まり、そこから別の人生が開けていたのかもしれない。それがいいことなのか、悪いことなのか誰にも分からないが。

ちなみに、その点でいえば、ヘンリー・ダーガーと共通することが私にもある。このブログで自作小説を発表している。興味のある人は、カテゴリーの自作小説か、タグのノベルズをみて欲しい。

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by masagata2004 | 2011-08-28 19:59 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)

映画「空海」 生きながら仏となる

とある理由があって観た映画。

北大路欣也演ずる弘法大師空海の半生を描いたもの。

仏教を日本に伝えた僧侶は数多くいるが、その中で真言密教を広めた僧侶である。

まあ、映画ではあるけど、一応かいつまんで大事なポイントを述べると。

1.他を救ってこそ、自らが救われる。
2.人は修業すれば生きながら仏になれる。
3.愛欲は菩薩の境地。
4.国家などまぼろしだ。

また、祈祷によって、つまりは神通力によって、ものごとを変えられることもある。

そういえば、今月末には、ブッダの半生を描いたアニメ映画が上映されるとか。

観に行きたいな。

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by masagata2004 | 2011-05-08 19:36 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)

社会教訓小説2: ふれあい商店街 第2章 昭和商店街

失われた地域コミュニティが問いかけるものとは。

まずは第1章をお読み下さい。

その日、牧野部長が、落胆した表情で真知子に大失態のことを知らせた。会議室で二人きりで話してくれたが、部内では、すでに話題になっていることだ。先月、真知子が企画デザインしたウォーリーバリューの豆腐が一丁99円という価格設定になっていたのだ。実際は、一丁98円にしなければいけなかった。数年前から売り出していたもので、真知子が主任になって引き継いだのだが、パッケージ・デザインのちょっとした変更と商品の価格を示すバーコードを更新する作業だけだったので、簡単に済ませ、真知子が最終チェックをして商品は製造、出荷されたのだが、そのバーコードの番号の打ち間違いで価格が99円となってしまっていた。

どの過程でそんなミスが生じたか分からないが、チーム・リーダーとして真知子が失敗の責任を負うことになる。特にバーコードのチェックは必須だけに、それを怠ったことは重大な過失だ。スーパーとしては、棚に商品を置く時に、バーコードと違う値札を棚に貼り付けられない。たかが99円と98円の違い、むしろ1円得するのではと思われがちだが、わずかでも価格の設定は商品の売り上げを大きく左右する。特に「98」という数字は、消費者の割安感を誘うので、売上全体を大きく左右する。一丁98円の豆腐として固定化したこの商品の値段を突然変えることはできない。なので、商品は全て回収、当然、パッケージと中身はどちらも廃棄される運びとなった。損害額は2千万円に及ぶ。

このようなミスは年に何回か起こる。それによる担当者への処分は、始末書を書かされるか、降格や配置換え、損害がひどい場合は、依願退職してしまったケースもある。真知子も、主任になる前、何度かそんな処分を受けた人達を目にしたことがある。

この業界は、その意味でプレッシャーが実に大きい。些細なミスでも、膨大な損失が生じてしまうのだ。一つ一つの過程を慎重にしなければいけない。

牧野部長は、とりあえず始末書を書くように伝えた。処分は、それから決めると、さすがに退職までは迫るつもりはないが、主任のままでいられるかは分からないと、これから検討するとか言った。

とりあえず、最終的な処分が決定するまでは、主任として今任せれている仕事をきちんとこなすこと、これ以上、絶対にミスがないように。というので、仕事に専念することになったが、部内の自分を見る目は厳しかった。特に自分のチームのメンバー、つまりは自分の部下、特に年上の男性社員たちの目は、ひときわぎすぎすしていた。普段から真知子と話す時の表情は快いものではなかったが、この事件を機会に、さらに不快になっていた。もっとも真知子がいないところでは「そらみたことか」と愉快になっているかもしれない。実際のところ、それが社内の雰囲気でもある。

その日、仕事が終わり、真知子は、いつになく疲れ切っていた。普段は電車に乗って30分ほどの自分のアパートに帰って自炊するか、アパートの近くのレストランで食事をするのが常だが、仕事が終わると、耐えきれなくなるほど空腹であった。

なので、すぐにでも近くで食事を取ろうと思った。この町の新オフィスに来てから、この辺りで外食をしたことがない。昼食はいつも自家製の弁当で、社内で取っている。

まあ、せっかくの新天地に来たのだから、近々、新店舗も開店となるこの町を探るのもいいかもしれない。歩いていくと、「昭和商店街」という看板のアーケードの門を見つけた。真知子は、そこに入っていった。通りの街頭に大きな黄色い旗が並べて掲げられ、何か大きな文字が書かれ、風にはためいている。祭りか何かあるのだろうか、と思ったが、旗に何が書かれているかまで読まなかった。真知子は下を向いて歩いていたからだ。

10歩ほど歩いたところに、「昭和街食堂」という看板の店を見つけた。ここで食事ができると思い、中に入った。中は、何とも殺風景で、テーブルと椅子が10人分ほど並べられていた。何とも雑多な感じがする。真知子が外食するファミリーレストランや中心街のお洒落な喫茶やレストランとは全然、雰囲気が違う。いかにも、個人で経営している店という感じがする。
 

続き
by masagata2004 | 2010-11-17 22:35 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)


人生は常に進歩していかなければならない


by マサガタ

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