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21世紀はメディアにとって公共性の危機

以前の同シリーズ記事で、21世紀にどんなメディアが生き残れるかを書きました。

結果としてメディアは、インターネットという新システムにより、独占的な立場にあった既存の新聞やテレビは淘汰されていくと述べました。

だが、それがいいことなのかというと、必ずしもそうではありません。資本の力やチャンネル数制限により、寡占状態で選択肢が限られていた時代は、それがゆえに為政者により、言論や情報発信が統制を受けやすく、恣意的な情報発信により、人々が騙されるということがありました。

また、商業主義なため大衆迎合な情報ばかりに偏り、為政者がコントロールするまでもなく、真実を見誤らせることも起きていました。いい例が、我が国における戦前のメディアです。これに関しては、この記事と、私の自作小説が参考になります。

ですが、そういう問題が、インターネットを中心とした新メディア体制で解消され良くなっていくのかというと、それは疑問です。

資本やインフラの差が関係ないとか、権力の統制を受けにくいとかいう点は既存のメディアと比べれば、そうだとは言えますが、ただ、インターネットでいいサイトを探そうとすると誰でもGoogleやYahooのような検索エンジンを通して探します。その検索エンジンがコントロールされたらどうでしょう。Googleが、中国政府の検閲に応じたことが問題となりましたよね。「天安門」と検索しても、流血の惨事については中国内で検索しても出てこないようになっています。大事な入り口のところで、塞がれてしまうのでは、これまでと同じことかもしれません。

どんなに素晴らしいサイトをオープンしたからといっても、誰も見てくれないのでは、結局同じです。

また、選択肢が増えるからといって、皆が皆、ためになるようなものを見るとは限りません。

誰もが自分の好きな情報、聞いてて気持ちのいい情報ばかりにアクセスするようになるので、偏った情報ばかりを誰もが採り入れるようになります。

これまでは、テレビや新聞などの限られた大メディアにより、大多数の人がほぼ同じ情報を共有せざる得なかったメディア構造だったのですが、細分化されると同じ好みの人が特定のサイトに集まり、そこから発信される情報以外に耳を傾けないという驚異的な出来事が起こるのです。互いに情報を共有できなくなる事態となるのです。朝日新聞を読む人は、産経新聞を読まず、その逆もしかりですよね。

この現象はネットに限らずCATVが普及し多チャンネル化したアメリカで、すでに起こっています。それは、保守的なFOXニュースが、ブッシュ政権とイラク戦争を後押ししたことが、その象徴でFOXの視聴者は、イラクが911をやったものであるとか、大量破壊兵器を隠していると思い込んでいるのです。そして、彼らは共和党の協力な支持者となりました。

FOXが洗脳したというよりも、FOXが元からいた保守的な人々を囲い込んだと言った方がいいでしょう。つまりは以前から、そういう層の人は多くいたのですが、そう言う人達が好む番組を提供するチャンネルがなかったということなのです。

多チャンネル化は、ある意味ジャーナリズムの理想でもありました。少ないメディアの限られた情報だけで真実が隠蔽され多様な意見が聞こえなくなるという欠点を解消するものだと。ですが、現実はその逆になりそうです。

例えば、こういう会話が交わされるかも知れません。

A 「イラク戦争は間違っていた。大量破壊兵器もないし、911との関わり合いもないと米国政府さえ認めている」

B 「何言ってるんだ。イラクが911をやったんだ。俺のいつも見ているニュースサイトでは、そう言っていたぞ。お前の見ているのは、誤報だ。偏っているんだ」

A 「お前こそ!」

C 「ところで、お二人何を騒いでるんだ? イラク戦争って何?」

A&B 「え、イラク戦争を知らないのか」

C 「いやさ、おいらは、ニュースサイトなんて見ないから。芸能ネタや漫画ばかりで」

賛否の意見だけでなく、事実認識さえ共有できなくなるという脅威です。
システムではなく、結局は個人の問題ですよね。だから、最近はメディア・リテラシーなんてものが注目されるようになりましたよね。

考えてみれば、少数の支配的なメディアに踊らされていたのは20世紀だけの現象だったのかもしれません。19世紀までは、地域地域でかなりの情報格差や志向の違いが歴然とあったのでしょう。

21世紀は、20世紀のバックラッシュとして、分散化が進みますが、これは、19世紀とは違い、地域という物理的な枠を超えた分散化でもあります。

同じ町に住んで、または、同じ家に住んでいながら、意見や事実認識が全く異なり、意見交換をするのは距離を超えたバーチャルなネット社会を通じた者のみという分散化が起こるのです。ネット社会の者同士であれば、考え方が同じだから争うこともなく安心です。

顔を合わせて接する者同士では、表面的な付き合いしかできない。ネットの中でのみ、本物の自分を出せる。

まるでマトリックスです。

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by masagata2004 | 2006-09-07 21:15 | メディア問題 | Trackback | Comments(0)

映画「プッシーキャッツ」 頭を空っぽにしてみる社会風刺コメディ

はっきりいって、少女漫画を映画にしたようなお馬鹿ギャグコメディ。

MTV的なポップなミュージックとファンシーなセット。でもって、思いっきりのったおふざけが頭を空っぽにしてくれる。

話しは、3人の売れないロックバンドの女の子達が、怪しいマネージャーに誘われて大手CD会社と契約する。マネージャーは、彼女たちの音楽を一曲も聴かず、スターへの準備をしていく。不思議なことに彼女たちの曲は次々と売れ、あっというまに誰もが騒ぐ大スターとなる。

彼女たちは大喜びだが、どうしても腑に落ちない。しかし、実をいうとこれには驚くべきからくりがあった。

というストーリーであるが、そのからくりというのが、見事なまでの社会風刺となっている。

これ以下はネタバレになるので、今後見ようと思う方は読まないでください。


皆さんはサブリミナル効果という言葉を聞いたことはあるでしょうか。実を言うと、そのことがこの映画のテーマとなっている。

サブリミナル効果とは、無意識の刷り込みにより、聞き手を洗脳するという放送法でも問題となる宣伝手法。彼女たちが大スターになれたのは、これを利用したレコーディングのせいで、音楽を聴いた人が洗脳され、CDをどんどん買うというのだ。だが、それだけでなく、商品を買わせる洗脳もしていく。映画の中では、大袈裟に描かれていたが、日々の我々の生活にもはびこっていることだ。

身の回りは広告だらけ、何気なく見る広告に買う必要のないものを買ってしまう。商品の中身や性能を知る前にである。まさにコマーシャリズムに毒された我々の生活が、見事なまでに投影されている。実を言うとスターは、そういう形で作られてきたもので、我々がスターと思う人々は、実は、「スターと思いなさい」と誰かに洗脳されて思わされているのではと。

若者は、実に騙されやすい。だからこそ、若者は、自分をしっかり持たなければならないと。騙されていたい思いをする前に、というのが映画の与える教訓のようだった。おふざけを楽しみながら、そんなことを学べるとは感激ものだ。

ただ、我々が自我というものを持つということ、その自我自体が、すでに作られたものであるとも考えられる。

騙されないようにと何かをする行動こそが、すでに洗脳によって形作られたものであるとも言えるのだ。洗脳されている者は自分が洗脳されていることにさえ気付いていないから。

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by masagata2004 | 2006-08-28 23:33 | メディア問題 | Trackback | Comments(0)

私が受け入れるメディア・スタイル

映画は、2時間以内。舞台は20世紀以降。それより前は再現不可能と思われる。
ジョニー・デップの「パイレーツ・オブ・カリビアン」は見ないよ。

それから、映画は主にハリウッド映画のみ、他は中国か韓国かな。日本映画は見ない。善し悪しより、非日常を感じれないから。映画にはある種の非日常を求めているのだから。

外国映画はリゾート・ホテル気分が感じられるが、日本映画は泊まるだけのビジネス・ホテルといった具合。映画評論家になれるほどの通じゃないし、そこまで入れ込みたいとも思わない。

スーパーマンなどの超人はだめ。暴力・セックスの安売り駄目。

小説は、日本語だと原稿用紙500枚ぐらい以内、(単行本で300ページぐらい以内)、英語だと、350ワードで300ページぐらい以内。映画化した場合、長くても2時間半にだいたいがおさまるもの。

読む場合、書く場合と、どちらにも共通する。英語は母国語並みの書く力を目指しているので、英語で小説を書くこともあり得る。

分野は娯楽的でさらりと読めるもの。シドニーシェルダンのように人生冒険もの。

人の死をゲームのように扱う推理小説はいや。映画と同様、暴力、セックスの安売りは嫌。純文学は絶対にいや。あれは単なる文学オタクの世界でしかない。

それから漫画、アニメというスタイルはもう受け付けない。文字だけか、実写でないと。

絵は、美術館に展示されているような絵画だけで十分。吹き出し文字がついて右から左、上から下へと目を動かしたり、また、絵そのものが動くのを見るのは、もう疲れた。
by masagata2004 | 2006-07-22 13:22 | マサガタな日々 | Trackback | Comments(0)

大人になるということ Part2 メディアを信じるな

この場合のメディアは、新聞、テレビ、雑誌などのマスコミだけを指すのではない。人の噂や、学校の先生や親から教わることなども含む。

子供の頃は、真っ白で入ってくる情報を何一つ拒むことはなく、見聞きする情報は全て真実であると思い、ただ吸収するだけ。分析する能力はない。分析するための比較対照となる体験や知識がないからだ。

世の中を知って行くにつれ、自分を取り囲む全ての情報が真実とは限らないことを悟っていくのだ。最近、いわれている「メディア・リテラシー」というものだが。

マスコミは、公権力、スポンサーの力、それから売上向上目当ての大衆迎合により、真実をねじ曲げた報道をすることがしばしばある。テレビ局で働いた経験から言えば、ねじ曲げるどころか全くの創作を事実として流す「やらせ」が多々ある。もう当たり前のように。発覚するのは氷山の一角で、あれだけいわれていても、未だに日常的にやっているのだろう。

マスコミ人というか、言論人は、正義のために論陣を張っているふりをするが、所詮は彼らの飯の種としてやっている。どのみち、彼らの独断と偏見でしかない。

人の噂や親の話なんて、あてずっぽばかりだ。いわゆるソースとしては、信頼性にはるかに乏しい。誰かがそう言っていたというだけでは、ソース能力は全くないと言っていい。とりあえず、そういうことを聞いたら信頼できるソースから、再度確認するという作業をしなければならない。

ただ、信頼性のある情報を見つけるというのは難しい。そのことについては別記事で語りたいと思う。

また、自分自身が真実を知りたくないという感覚から、いいかげんな情報でも信じてしまうことがある。「つくる会の教科書」などに見られる傾向だ。また、事実が映画のようにドラマチックであればと思いたい心理も真実から目を背けてしまうことになる。

フィクションはフィクションだ。現実とは違う。映画なんていうのは、そう思って割り切って娯楽として楽しむべし。子供の頃は、「スーパーマン」を見て、空を飛べることに憧れたが、今では、どうやってこんなシーン撮影したんだろうとか、CG凄い出来だなと思ってみることになる。ただ、もう超人ものは、この歳になると完全に見る気がなくなってしまった。リアリティから離れすぎてしまっているドラマに魅力を感じなくなってしまったからだ。Part 1で書いた通り現実主義者になってしまうのだ。

大人になるということは何が事実であるかを見極め、辛い事実、または退屈な事実でも受け入れ、それを実生活に活かしていこうという感覚を身につけることだと思う。Part 3へ続く。
by masagata2004 | 2006-07-22 13:04 | メディア問題 | Trackback | Comments(0)

アーロン・スペリングという善のマキャベリスト

何でも、先月、アメリカ・テレビ界の大物プロデューサー、アーロン・スペリング氏が83歳でお亡くなりになったそうだ。スペリング氏と言えば、70年代は「チャーリーズ・エンジェル」、80年代では「ダイナスティ」、90年代から「ビバリーヒルズ青春白書」や「メルローズ・プレース」などの大ヒット番組を手がけてきたことで有名だ。どれも、時代を代表するほどヒットした番組だ。彼の番組は、ある種の大衆迎合型と揶揄されているが、しかし、そこに彼なりの世の中をいい方向に変えていこうとするマキャベリズムが表れていたと思う。

何でも、スペリング氏はユダヤ系でそのことで少年時代は差別を受けた経験があったという。彼の番組には、彼の弱者への共感が込められているのでは。

チャーリーズ・エンジェルでは、3人の女性探偵が自らの力で事件を解決するというところから、それ以前の男に助けられながら生きていた女性像を見事に変えていった。もちろん、ファラ・フォーセットのようにセクシーな女優がビキニ姿になる低俗な部分も織り交ぜはしたが、何とか自立する女性のイメージ普及に役立ったのではと思う。それ以後、女性が主人公のドラマが増え、女性が警官などになりアクションをこなし、また、美しさだけでなく知性で勝負するキャラクターが映画やドラマなどでしばしば見受けられるようになった。

ダイナスティは、80年代ヒットした典型的なソープオペラ(メロドラマ)だ。コロラドの石油王一家の愛憎を描いたものだが、この中には、その一家の跡継ぎである長男スティーブンが、ゲイであることが問題となる。ドラマの第1話から大きなテーマとなる。すったもんだの挙げ句最終的には、ジョン・フォーサイス演じる父親のブレイク・キャリントンは、そのことを受け入れる。

20年以上前で、アメリカでも同性愛が今ほど社会的に受け入れられてなかった時代においては大いなる挑戦だったのであろう。しかし、その後のアメリカは、社会が同性愛に対し寛容になっていき、結婚を認める州まででてきた。上流階級社会を舞台にしたソープオペラとデリケートな同性愛問題を絡ませ、大衆迎合しながら、新しい時代の流れを考えさせるというすご過ぎる挑戦を成し得たのだ。ところで、父親役のフォーサイスは、チャリ・エンでは謎のボス、チャーリーの声を演じていた俳優だ。

ダイナスティ後のテレビや映画では同性愛者のキャラクターが登場するのは珍しくなくなった。「メルローズ・プレース」にも、ゲイとレズビアンはどちらも登場し、肯定的なキャラクターとして描かれている。大衆迎合しながらの社会啓蒙をするところがすごいなと思う。

つまり、これはマキャベリズムなのだ。世の中を変えていくためには、最初から正論をぶつけても駄目だということ。大衆は意外にも保守的。そういう連中の考えを変えさせるには、まずは飛びつきやすいものを提供する、それから、じわじわとついていけるペースで引き込んでいくのだ。もちろん、飽きさせないように面白いものも混ぜ合わせながら。気が付いたら啓蒙されてしまっているという具合にね。セクシーなビキニ女性とウーマン・リブ、上流階級の愛憎劇と同性愛者の人権みたいに。

エンターテイメントといえどバカにはできない。たかが娯楽、されど娯楽ということか。

以下は元記事と、その記事のあった私のお気に入りサイトである。
チャーリーズ・エンジェル、良かったな。

Charlies Angels.com

Aaron Spelling Dies at 83

Aaron Spelling the man behind Charlie's Angels and one of Hollywood's biggest producers of TV shows has died.

Spelling, who was 83, died today at his home in Los Angeles after suffering a stroke on June 18, according to publicist Kevin Sasaki.

We will all miss Spelling, but he will be remembered around the world for having brought entertainment into our homes daily. He will live on with reruns and the fans who loved his shows.
by masagata2004 | 2006-07-18 22:32 | メディア問題 | Trackback | Comments(0)

小林よしのり 第2号か

ビデオニュースという私が時折視聴しているインターネット番組を見た。

江川達也という漫画家を招いての歴史認識の対談だった。江川達也といえば、「東京大学物語」という女性蔑視的な漫画の作者として有名である。

以前、テレ朝の「たけしのテレビタックル」で田嶋陽子に漫画のことを非難されたことで「それを読者が求めるから仕方ないじゃない」とか「あくまで、こうであってはいけないという反面教師して提供しているのだから」とへりくつを言っていたことを覚えている。田嶋女史は、「それでも、女性を侮辱していて、そのことで女性が困った立場におかれる」と文句を言った。

そのことの反省もあってか、どうなのか、最近は歴史物のリアルに近い漫画「日露戦争物語」を連載しているそうだが、彼の対談を聞いて、こりゃ、小林よしのりの「ゴーマニズム」別バージョンかと言わざる得なくなった。

北朝鮮の拉致問題が正式に認定されたことを、さも「左翼の崩壊」と単純に位置づけ、その上、日本の歴史認識のずれは「アメリカの陰謀」という。自分の調べた資料は絶対に正しく、他は全て勝手に作られたものと言い切る。専門家でもないくせに。

宮台氏も、あまり乗り気でないことが、何となく態度で分かったが、彼はこの上川氏と明治前期の亜細亜主義思想では一致しているらしい。だが、上川氏は、そのことでさも日本の大東亜共栄圏は素晴らしき大儀があり、実は、中国や朝鮮の人々も受け入れていたということ、現体制は隠していることを大きく取り上げていた。ちょっと勘違いしているんじゃないのか。

確かに当時、中国や朝鮮に日本と組んで近代化を成し遂げようとした勢力がいた。傀儡勢力ともいえる人達も含めて。だが、民族の自立自存意識もそれなりにあり、排外運動や韓国においては独立運動もあった。

日本は海を隔てた島国のよそものであるのは、結局のところ変わらない。国内に置いて、藩同士でまとまりがなかったのは事実だが、200年以上も鎖国をした同じ島国にいた同質の民族であったのをまとめるのと、海を越えた大陸に及んでアジア国家をつくる構想を同列に語るのは極端すぎる。

当時は欧米列強に対抗するため、きれいごとばかり言っていられなかったとか。清国は国民国家ではなかったし、孫文などは日本に留学していたほど、日本から協力を得ていたとか。確かにそれも事実の側面だが、それイコール他民族に主権を奪われてまでも、欧米列強に対抗する戦略に合意していたかというと、それは無茶苦茶な認識だ。義和団の乱や1919年には日本の21箇条要求に抵抗運動5.4運動があったことは有名だ。

早くから近代化した日本から学ぼうとかいう人々はいたのだろう。中には現地での権益争いによる仲間割れから日本の傀儡勢力になる道を選んだ人々もいる。だが、ご存知だろうか、日本に留学していたと言えば、日中戦争で総統を務めた「蒋介石」もいたことを。文学者の魯迅は、日本で不当な差別を受け祖国に戻ったことを。

救いようがないのは、満州国を建国した石原完爾を称えて、「満州国」はすばらしかったのだと言ったことだ。彼の理念はそれなりにすばらしかったのだろうが、宮台氏も指摘した通り「当時の日本の体制では実現には無理があった」、その上、すでに第1次世界大戦も終わり、植民地拡大をしないようにする合意がなされ、国際連盟が設立され、日本も加盟国となっていた。

そもそも、事変のきっかけとなった線路爆破も、関東軍のやらせ、その後の自衛名目の占領行為も、国際条約に違反した逸脱行為であったのも事実だ。満州を工業国にして欧米に対抗するような国を作るとか言いながらも、満州には十分な資源がなく、だからこそ、さらなる戦線拡大となる。

実に破綻しやすい戦略だったのだ。軍部にとっては不況の解決策と日本の大陸における利権を守る国防国家構想でしかなかった。満州の現地の人々は土地を追い払われ、差別的な待遇を受けたことは事実である。石原完爾は、戦後、間違いの発端であった私が東京裁判で裁かれないのはおかしいと主張し、「日本はもう戦争をしてはいけないんだ」と語ったと記録されている。意外にいいかげんな信念しかなかったのね、と思う。

まあ、賛同できるところといえば、明治前期の政治家や軍人は戦略家であり自立していたということ、朝日新聞などのメディアや大衆が軍部礼賛していて、実を言うと指導者に限らず多くの一般の人々にも責任があったこと。亜細亜主義のそもそもは、対等なアジア人同士の関係だったこと。そういうところが、現在においてあまり語られてないことだ。

ただ、それがアメリカの陰謀であるというのは極端な憶測だ。単純に言えば、失敗の歴史を振り返る勇気が国民になかったということなのだろう。明治前期の時代を振り返れば、必ず出てくるのは、じゃあ、なぜその後、日本の政府や軍はあんな大失敗をするに至ったのかと考えなければならなくなる。

宮台氏が、復権を叫ぶ「亜細亜主義」は失敗に終わった思想だ。そのものがどんなにすばらしくとも、苦いイメージはつきまとう。復権するよりは、新時代に向けたアジア各国の戦略的提携を構築するようにしてはと思う。まあ、過去の総括はいずれにせよ、必要だろう。朝日新聞や岸信介の孫にあたる次期首相にとってはさぞおつらいことになるだろうけど。ま、そのことが総括をこうも不十分にさせた要因なのだろうけど。ちなみに朝日新聞に関しては、私、以前、市民メディアのJANJANに投稿記事を載せていますので、ご参考に

それから、上川氏が言っていた戦前の天皇制は、立憲君主制の象徴のようなものだったとかいっていたが、それは間違いではないのか。明治憲法は、イギリスを模したものではなく、プロイセンの帝政をまねたものといわれている。天皇が実質的な権限を行使することは制約されていたものの、今のような国事行為を形式的に行うだけではなく、2.26事件に見られるように非常時に置いては天皇が権限を行使したり、また、御前会議という形でそれなりの関与はあり、天皇に何もできなかったということでは決してない。知らなかったとかいうことでは、すまされない責任もしょわされている。世襲制という実に不幸な責任のしょわされ方だが。

結論として、この番組は、上川氏の漫画とイデオロギー売り込みプロモーション以外の何でもないなという印象を受け、実に残念だった。時間を損した感覚を覚えた。
by masagata2004 | 2006-07-17 12:56 | メディア問題 | Trackback(1) | Comments(0)

21世紀のメディア像 日刊紙、週刊誌は廃刊 など

最近、インターネットばかり使い、ついにはテレビを廃棄してしまった今日この頃考えることである。

まず、旧来からある紙のメディア媒体、新聞、雑誌だが。まず日刊の新聞は、速報性が低く、NHKの調査によると最近は読まれる機会も減り、どんどん衰退するばかり。何よりも、紙と印刷代と流通代がかかり過ぎる。それしかなかった時代は、そのおかげで成り立っていたものの、インターネットの普及で記事・写真の情報は、紙で配布される必要はなくなっている。それもテレビ以上の速報性があるので、まずかなわない。むしろ不効率さと資源の無駄遣いが問題となる。

週刊誌は、速報性よりも記事の内容を売りにしているが、やはり週毎は日刊紙ほどではないにしても、コストがかかりすぎる。よって、生き残れるのは月刊誌で、それもネットとは差別化を図る意味で、記事が長く、内容が分厚く、グラビアなどの鮮明で大きな写真があるもの。印刷物だからこその利点を生かせるもの。コンピューター画面では、長い文章、大きな写真は見づらい。

また、これまで通り小説やノンフィクションの数百ページに及ぶ書籍も生き残れる。ただ、月刊誌や書籍を売る書店は、どちらかというと消えゆく存在となり、紙媒体の流通はネット販売が主流となりそうだ。専門性や、独自性のある店でない限り書店は生き残れない。

紙の媒体といえば、辞書や四季報などの分厚いものも大丈夫と思うが、それは逆に目的という意味でネットやCDのような電子メディアに負けると思われる。それは、これらの書物は、検索をして中身の一部を読むためにあるからだ。紙だとかえって不便。それに検索エンジンで分からないことを調べられるツールもたくさんある。信頼性が疑わしい場合もあるが、ただ、好きな時に開け、調べた言葉からいろいろなリンクが出来る意味で幅広く調査が可能である。
今後は電子メディアとしての辞書、百科事典、調査資料が主流になろう。

それから、テレビだが、これはブロードバンド化によりネットが吸収する形になるだろう。インターネットなら視聴者が見たい時に見られる利点がある。見たい時間に会わせたり予約録画をする必要もなし。好きな時にメニューから番組を選んで見る。レンタルビデオ店と同じ方式。その意味でテレビと同様、レンタル店もなくなることになりそうだ。ネット上で自宅にいながら見たいものを選んで見られるのだから。テレビの電波は緊急放送用のみ、双方向によるアクセス集中による混乱を避けなければならない時のみに使われることになる。電波一方通行方式は、そういう場合にしか利点はない。

ところで、今後主流となるインターネットメディアだが、いくつかのペイするビジネスモデルといえば、まず新聞・雑誌的なものは無料で閲覧でき収入は広告とするやり方が典型となるだろう。例は市民ネットメディアのJANJAN。有料で文字情報を得たいとは思わない。無料でいくらでも文字情報は、得られるからだ。

映像音声の番組なら、有料でもそれなりに収入は得られる。ビデオニュース・ドット・コムBIGLOBEの動画サイトがいい例。無料の番組やプレビューを合わせて提供。そこから、有料放送にも興味を示してもらい、収入をいただく。もちろん、広告モデルを合わせるやり方もある。

21世紀は、メディアは、ほぼ全てインターネットを介して提供されるものとなろう。

これって、いいことなのか。これについては、たくさん言いたいことがあるので、後日投稿予定。

公共性とか、著作権保護の問題とか、語るべきことはたくさんある。
by masagata2004 | 2006-07-08 23:50 | メディア問題 | Trackback | Comments(0)

もはや新聞の時代ではなかろう

Excite エキサイト : 社会ニュース

<新聞特殊指定>維持求める特別決議を採択 新聞労連 [ 04月21日 20時46分 ]

そりゃそうだ。特殊指定によって保証されている再販制度がなくなれば、経営がおぼつかなくなり、規模の縮小を余儀なくされる新聞経営者や高給取りの記者どもにとってはさぞ迷惑であろう。
この再販制度が記者クラブ制度と共に政官報癒着の根源であることが、よく分かる。

どの道、配達などされなくとも、ネットで記事なんか読める時代じゃないか。それも無料で、さらにリアルタイムで、さらに好きなスタイルで。そして、さらに詳しく面白く、縛りのない多様な記事が。

もう時代の変化に合わせて淘汰されていったらどうか。

<新聞特殊指定>維持求める特別決議を採択 新聞労連 [ 04月21日 20時46分 ]  毎日新聞

 日本新聞労働組合連合(新聞労連、85組合)は21日、中央委員会を開き、新聞販売店による新聞の値引き販売などを禁止した特殊指定の維持を求める特別決議を採択した。

 決議は、公正取引委員会が表明した新聞の特殊指定廃止によって、戸別宅配制度が崩壊する恐れを危惧(きぐ)。そのうえで「新聞の乱売合戦に進めば、経営体力、資本力の差によって新聞が淘汰(とうた)され、多様な言論が失われかねない」と指摘している。

by masagata2004 | 2006-04-22 10:33 | メディア問題 | Trackback | Comments(0)

慰安婦・強制連行否定の小室氏を師と仰ぐ宮台氏

先日、書店でたまたま小室直樹著の「日本国民に告ぐ」という本を目にし、ちょっと立ち読みしてみた。目次のところには、「強制連行はなかった」「慰安婦はなかった」「中韓に媚びるな」というような題目が目白押しだった。

強制連行や慰安婦は、裁判所も政府も事実の認定を過去に行っているもので、とても学識者とは思えない内容の書籍だと思った。

驚くことにこの小室氏は、私が毎週視聴していたネット放送ビデオニュース・ドット・コムで、解説者を務める宮台真司が師と仰ぐ学者だという。宮台氏は、番組の中で「つくる会の教科書」や小林よしのりのゴーマニズム宣言に見られる歴史修正論や偏狭なナショナリズム現象を「ヘタレ保守」といい批判している立場をとっている。最近では、このような現象を「バックラッシュ現象」として分析する書物を発表するという。

ビデオニュースでは、小室氏をゲストとして招待し憲法論について語ったことがある。宮台氏も解説者として小室氏の言説を補足していた。丁度そのころ、中国で反日暴動が起こったため、そのことについてコメントを司会の神保氏に求められると「こんな中国には日本は資本投下をやめるべきだ」という発言をした。宮台氏は、その時、中国とは政府だけでなく人民とも付き合っていく必要があるんですよね、と何とか覆すように説いていた。その後、論議は深入りしなかったので、どういう本意があるのかは定かにならなかったが、この書籍ではっきりとした。

ただ、どうも分からないのは、宮台氏である。番組ではあれだけ、そういう立場の人を批判しておきながら、今度、それと同類ともいえる人を恩師として仰いでいる。今度のヘタレ保守現象を分析をした書籍では小室氏も分析対象にするつもりでいるのか。
この宮台氏とともに小室氏を招待させ憲法論を語らせたビデオニュースにも驚くばかりである。

ただ、これが言論人とメディア人の限界なんだろうと思う。これはリベラル、保守どちらの立場にも共通するのだろう。身内の批判はできない、ということか。まあ、それはそれでいいのだろう。

以前、ビデオニュースで「石原都知事は弱者の味方だ」と発言し、支持を表明した田中康夫長野県知事に対し、特に言及することなく同意するような態度を批判したことがあったが、その時、宮台氏は「その時は、言及しなかっただけで、賛同したわけではない」と回答した。

だが、田中知事の開かれた県政を応援する市民派の立場としては、いかしかたない面もあったのだろう。しかし、私個人としては、それ以来ひいてしまった。小室氏のことでは、さらに引いた。

そういえば、最近他にも、同じような気分を味あわされた人がいる。情熱のジャーナリストシバレイだ。市民派のフリー記者で、イラク戦争では人間の盾となり反戦活動と取材をした人だが、それ以外に環境問題にも熱心だ。つい最近、自身のブログでグリーンピースの原生林保護運動を紹介し、支援を呼びかける記事を書いていたが、グリーンピースの捕鯨反対運動の政治姿勢や違法ともいえる抗議行動についての批判に対しては、グリーンピースをただ擁護する発言しかしていない。

まあ、学者もジャーナリストも人の子、聖人ではないということだろう。それぞれが、それぞれの立場で発言や行動をするが、時に身内が絡むと自らのポリシーを曲げざる得ないこともあるのだろう。身内が絡むと批判することは「自虐的」になり、それがたまらなく嫌なのだろう。

まあ、受け手はその点を割り切って見るべきということか。
by masagata2004 | 2006-04-16 16:17 | メディア問題 | Trackback | Comments(5)

テレビのない生活を始めて

すでに1年前ぐらいから、テレビがあっても見ない生活を始めていたのでたいした違和感はないのだが。見たいと思う時に見れないのは、ちょっとつらいなと思うことがある。

もう2週間以上前か、家電処理屋に電話して、5000円でテレビを引き取って貰った。それから、NHKに連絡して、放送機の廃棄処理を通知するはがきを出した。従って、受信契約はきちんと切れたこととなる。ケーブルの契約も打ち切った。

特に不便はない。今やインターネットがある。情報は、それで十分。何でも最近は若い人ほどテレビは見ないらしい。20代の2割は全くテレビを見ないとか。

そんな生活を始めて最近気付いたことがある。いわゆるマスコミって何なんだろうって。

テレビで話題になることって、そんなに重要なことなのか。何だか、テレビを通してすごくワンパターンなライフ・スタイルを刷り込まれていたような気がする。みんながテレビで話題となり、注目されることに憧れる。テレビでの話題が、世間の話題のようになっている。なんとも、まあくだらない。確かに正論もあるが、何だか、そう信じよと価値観を押しつけられ洗脳させられていたようにも思える。

これからは、自分で自分の価値観を形作って行こうと思う。

とりあえず、以前よりは本を読もうと思う。
by masagata2004 | 2006-04-15 00:49 | ライフ・スタイル | Trackback | Comments(0)


人生は常に進歩していかなければならない


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