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旅小説「私を沖縄に連れてって」 第10章 普天間基地

米軍基地建設に抵抗する海人(うみんちゅう)の戦い

まずは第1章から第9章までお読み下さい。

 六月二十三日
 この日は、沖縄中がしんみりとした雰囲気となる。それは、沖縄にとっての終戦記念日ともいえる米軍の沖縄本島上陸作戦攻撃の戦闘終結日である。
 沖縄各地で慰霊祭が執り行われ、20万人以上もの犠牲者を追悼する。沖縄は太平洋戦争において、空襲だけでなく敵軍に上陸され、陸上での戦闘を体験した島である。
 本土のために犠牲を強いられているという意味では現在も変わりはない。
 辺奈古の基地計画もその一環なのかもしれない。辺奈古に移される予定の普天間海兵隊飛行場とはどんなところなのか、内地から来た活動家の人々が見学をしたいと申し出たので、車数台でツアーを組むことになった。ガイド役は洋一をはじめとするウチナンチュウたちである。
 龍司も、この日は漁を休み、セーラと洋一の乗る車で普天間飛行場基地まで行くことにした。龍司は、沖縄に来てから一度も普天間基地に行っていないのでいい機会だと思った。
 この日のツアーは、普天間を見た後に、首里城と南端にある平和記念公園を見学する行程となっている。
 辺奈古から車で一時間、着いたのが普天間飛行場を一望できる嘉数展望台だ。ここは、基地の南側に位置して、階段を上った展望台から基地の滑走路と建物や敷地、そして、周辺の市街地や住宅地、海岸が見渡せる。
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 基地はまさに市街地のど真ん中にあった。見るからに危なっかしい。
 一機の輸送機らしき飛行機が滑走路に着陸しようと近付いてきた。大きな騒音が辺りに響いた。この基地の周辺には九万人もの人々が住んでいる。これはうるさくてたまらないだろう。騒音がひどく、家の中で話しもできないという。
 騒音被害以上に問題なのは事故の危険性だ。実際に基地近くの大学の建物に海兵隊のヘリコプターが墜落した事故が数年前に起こっている。その時は大学に人がいなかったため、建物の破損だけで済んだが、一つ間違えば大惨事になっていた可能性がある。
 事故が起きた時、事故現場は米軍により立ち入り禁止となり、沖縄の警察は現場検証ができなかった。米軍が立ち去った後は、事故機の残骸や残骸は撤去された後であった。事故の証拠を残さないようにしたのだ。そのうえ、残骸が落ちた場所の土壌まで持って行かれた。後に、その場所では沖縄県の調査で高濃度の放射性物質が検出された。米軍は、そのことを追究されるまで、そんな物質を使用していたことを一切発表しなかった。
 しかし、そのようなことは日米地位協定で合法とされており、米軍はやりたい放題なのである。
「信じられないわ。こんな町中に基地があるなんて。アメリカでは絶対に許されないことよ」
とセーラは驚きを隠せない表情で基地と周辺の街並みを見渡した。アメリカ人としては気まずい思いをしているのが見てとれる。
 龍司は、ふと思った。しかし、なぜこんなに危なっかしいと分かるのに基地の周辺は、こうも密集しているのか。そもそも本土復帰前から、この基地は存在する。危険だというのなら、周辺が密集しないように行政でするようにできなかったのか。こんなに危ないのに近くに住みたいと思う人達も変だと。龍司は、それとなく洋一に、その疑問を訊いてみた。洋一は、
「ああ、基地周辺に住む人々は、そもそもは基地の中に住んでいた人々なんだ。米軍が入り込んできて銃剣とブルドーザーで土地を奪われたので、周辺に住むようになったのさ」
と答えた。そして、普天間がこのようになるまでの経緯を解説した。
 第二次大戦後、沖縄は米軍により占領された。旧日本軍の基地は、米軍により接収され米軍が使うようになったが、この普天間に関しては、元々は民有地だったのを米軍が奪い、居住者を強引に追い出し、そこに滑走路を建造して基地になったという歴史的経緯がある。国際条約でも占領軍による民間の財産没収は禁じられている。いわば不法占拠状態なのだ。普天間基地は、そのためもあってか法的に軍事航空基地としての扱いを受けていない。だからこそ、住宅地などを、かなり接近したところに建てることが認められている。
 なるほど、この密集具合はウチナンチュウの米軍に対するレジスタンスの意味が込められているのか。
 また、沖縄の本土復帰前、本土内にあった海兵隊の基地が反対運動で居場所がなくなったために普天間に移設させられ、復帰と共に返還させられることも可能だったのにも関わらず、継続して使用されることになったという。当初は、落下傘部隊などで騒音がひどいヘリコプターなどは飛んでいなかったが、本土からの部隊の移転で騒音や事故の被害が増すようになったという。
 しかしだ、この問題は複雑だ。戦争を始めたのは日本だし、それで負けて米軍に占領された。戦後、独立した後は、代わりにアメリカと日米安全保障条約という形で防衛の肩代わりを願い出た。普天間飛行場の海兵隊の駐留は、その一環でもある。日本を守って貰っている以上、仕方ない面もあり、それは日本国政府の責任である。
「あなたたちは、私の国の軍事戦略で悩まされているのね」
とセーラが突如に言った。龍司は、その言葉に驚いた。アメリカ人からは、そう見えるのか。



 一行は、その後、沖縄の近世からの歴史を知るという意味で沖縄で最も有名な観光名所、首里城を訪ねることにした。石垣の上に建つ赤い城は、南国・沖縄の雰囲気に見事にマッチしている。
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 ここには、琉球王朝時代の宮殿首里城が復元され建っている。元々の首里城は、沖縄戦で破壊されてしまったのを一九八〇年代に復元したのだ。
 だが、その優美さは、かつてここに独立した王朝が存在したことをしっかりと示している。龍司はセーラに沖縄はアメリカでいえば同じく独立王朝のあったハワイのようなものだと語った。セーラは、それで納得したようだ。
 沖縄はかつては、琉球王国と呼ばれた独立国家であった。十七世紀に薩摩藩の支配下に置かれたが、それでも独自に中国大陸と交易をするなど王朝としての独立性は維持し続けていた。しかし、琉球王国は日本の明治維新後、「琉球処分」という名の元、大日本帝国に併合されて王朝は廃止されてしまう。
 日本の一部となってからの沖縄は試練の連続であった。琉球人として本土人とは区別され社会的な差別を受ける。そして、太平洋戦争では敵軍の本土侵攻を遅らせるための時間稼ぎともいえる持久戦の場とされた。
 戦争が終わり連合軍の占領から解放され日本が独立した後も、沖縄だけは占領が続いた。その間は、琉球政府という名の米軍統治下の自治政府として存続し続けてきた。自治政府といっても、実質上は米軍の傀儡であった。なので、それは過酷な統治であり、例えば、米兵の犯した犯罪に対しては裁判権が米軍側にある制度になっており、残虐な犯罪を米兵が沖縄の住民に起こしても無罪放免となってしまうことがしばしばであった。また、占領中、本土で住民の反対運動によって追い出された海兵隊が普天間をはじめとする沖縄の基地に移転され負担がさらにのしかかることになる。結果、沖縄は、全日本の人口の1%程度なのに、在日米軍基地の75%が駐留して、沖縄本島面積の2割を基地が占めるまでに集中する状態になった。
 一九七二年に本土に復帰できた後も、基地は存続し、米軍による事故や兵士たちによる犯罪などウチナンチュウにとって占領時代と変わらない状況が続いている。事故が起きても沖縄県も日本政府も立ち入れず、損害を補償して貰うこともできない。米兵が犯罪を犯した場合は現行犯でない限り、身柄は検察に起訴されるまで米軍が拘束するようになっており不平等な状態のままになっている。
 普天間基地の移設が決まったものの、移設先が結局のところ沖縄県内となったことにウチナンチュウは失望を隠せなかった。
 沖縄の人々の本土の政府に対する不信は、むしろ増大した。洋一は言った。
「ウチナンチュウは、だから、日の丸なんて見るのが嫌になる時がある」
 
 次に一行は、平和祈念公園に行った。沖縄戦犠牲者を追悼する慰霊祭に出席。その後、公園内の資料館と犠牲者の名を刻んだ「平和の礎」と呼ばれる石碑のある場所を回ることにした。
 資料館では沖縄戦での米軍上陸作戦と、その時の住民の様子などを解説した資料や現場を再現した展示物をガイド付きで見て回った。龍司は、一つ一つの展示物の解説をセーラのために細かく通訳してあげた。
 特に衝撃を受けたのは、ガマと呼ばれる鍾乳洞に避難した住民の様子を再現したセットと人形の展示物である。
 沖縄の人々は、米軍の上陸後、砲弾や火炎放射器で殺戮された。それから逃れるためガマに着の身着のまま避難した様子だ。
 戦場で住民を虐殺したのは米軍だけではなかった。何と味方の日本軍までもが、せっかく生き残った人々を敵軍に堕ちて捕虜にされるのを防ぐため虐殺したという事実もある。特にひどいのが、日本軍が住民に集団自決を強要したことだ。家族で殺し合ったという記録も残されている。
 ウチナンチュウには、その体験もあって味方であれ軍隊は住民を守らない。むしろ盾にして犠牲を強いるものだという認識が深い。
 
 その後、平和の礎を回る。犠牲者の名前を刻んだ石碑が幾重にも佇んでいる。沖縄戦で亡くなった二十万人以上もの人々の名前が刻まれているのだ。その膨大さを如実に感じさせる。美しい海の観光地として定評のある沖縄の悲しい側面の象徴をまざまざと見せつけられた。
 一行が公園を後にする時、龍司はセーラに言った。
「アメリカ人の君に、こんなところを見せてしまうのは実に心苦しいと思うよ。この戦争による犠牲はアメリカだけが悪いんじゃない。そもそも戦争は日本が始めたものなんだよな」
 気を遣っているところを見せたかった。セーラは普天間基地に着いた時から、ずっと重い表情をしていた。彼女は、今、沖縄の人々を助ける立場にある。いわば味方だ。その意味で実に心苦しかった。
「いいのよ。歴史の事実は事実だし。私にも、あなたにも、それ以外の人々にも、誰が悪いとか責め立てる資格はないと思うの。だけど、驚いたは、公園内に敵軍の兵士の名が刻まれた石碑があったわね」
とセーラは、そう言いながら重い表情をやや緩ませてくれた。
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 翌日、セーラは、いずれまた沖縄に戻ってくるつもりだと皆に伝え、アメリカに帰った。龍司は、彼女とまた会える日を楽しみにした。

第11章へつづく

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by masagata2004 | 2010-09-30 23:43 | 沖縄 | Trackback | Comments(0)


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