映画「リリーのすべて」 選べない体
20世紀初期、デンマークに住む風景画家のアイナーは、同じく画家の妻と一緒に暮らすごく普通の紳士に見えたが、ある日、妻に女性モデルの代役を頼まれたことから、自らが女性であったことに気付く。そして、日常的に女装をして自らをリリーと名乗ることとなる。
その後、本来の自分の姿にするべく、当時は実験段階であった性転換手術を受けることにするのだが、それは大変危険な賭けであった。
この映画を観ることにしたきっかけは、自分が長年に渡りトランスジェンダーの人々を誤解していたからである。特に、男性から女性に転換する人は、女装癖があり、また、気弱で受け身になりたいから女性になりたがっているのではと思っていた。
実のところ、その人達は、異性の体になりたいのではなく、そもそもが異性であるのに、外見上、自分と違った性の体として生まれてきたのを修正しようとしているのであるということが分かった。男である、女であるというのは肉体的に違うだけでなく、精神的にも違うということを意味するのだ。それは社会的な男らしいとか、女らしい、というのとは違う生物学的な性認識である。
最近、そのことで有名なのが、アメリカ人で元オリンピックの男子陸上競技の金メダリストであったケイトリン・ジェナーである。性転換手術を65歳で施し、女性の体になり、髪の毛を伸ばし女装をしている。彼女曰く、自分は、それ以前は毎日、朝から晩まで自分に嘘をついて生きていたと。正直いって外見上、不気味に見えるのだが、それが本人にとっての「ありのまま」の姿である。
人は、生まれる時、自分が男になるか女になるかを選べない。それと同様に、心と体の性が同じ人間として生まれるか、ずれが生じる人間になるかも選べないのだ。
しかし、悲しいことに、そういう事情に対しての社会の理解が乏しい限り、彼ら、彼女らは苦しみ続けるであろう。リリーの時代は、全く理解がなく、医師に相談をすると、精神病院に連れ込まれそうになったりした。現代は、日本でも、性転換をした後に、戸籍変更が可能となるように法改正もされるようになったが、社会の偏見は未だ根強い。
これは、人が人として生きる上での権利の問題と捉えるべきだろう。
人生は常に進歩していかなければならない
by マサガタ
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