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自作小説「北京の恋」 第4章 籠の中の鳥

北京を舞台とした短編恋物語。筆者の実際の体験を基にしたストーリー。

まずは序章から第3章をお読み下さい。


 雅夫は王老師を追いかけた。すると彼女は、普段使う教室に入っていった。
 王老師は、教科書を机に置き、さっそく授業を始める構えだった。
「中島(ゾンダオ)、御免なさい。遅れてしまって。私の母が風邪引いてしまって病院に送り届けたので時間がかかって。遅れた分はずらすわ。それでいいわよね」
 王老師は無表情に雅夫に言った。雅夫は、すかさず、
「さっきは何って言ったのか分からないけど、苦境を救ってくれてありがとう。本当に危ないところだったよ」
「くだらないことよ。さ、授業を始めましょう」
 雅夫は、気まずい気持ちがどうも抜けない。授業を受ける気分にはなれない。そして、言った。
「授業を受ける前に、お互い、中国人と日本人としての立場で話し合うべきことがあるんじゃないかなと思うんだ。僕たちの国は過去に悲惨な戦争をして。もちろん、僕たちが加害者だから悪いことは分かっているし。さっきのような人達がここに来たのも、ここに日本人がいると分かってのことだろうし」
 王老師は、無表情なまま答えた。
「ごめんなさい。生徒とは政治的なお話はしないの。でも、言わせて貰うなら、生徒達は好きだけど、あなたの国の総理は嫌いということかしら」
 これは踏み込めない、雅夫は何も言わず教科書を開いた。
 今日の学習テーマは「・・は・・が好きだ」という表現の使い方だ。「私は・・が好き」は「我喜歓・・」という言い方をする。
 ふっきれない気持ちを抱えたまま、その日の授業は終わった。
 翌日は、週末の休みとなったが、雅夫を含め日本人の生徒は学院から外出禁止を言い渡される事態となった。外に出て日本人と分かれば殺されるかもしれないという噂が流れた。不安が募るばかりである。雅夫にすれば、失業中の身で大事な貯金を切り崩して北京まで来たというのに、ろくに観光ができない状態だ。まるで籠の中の鳥だ。
 インターネットのニュース記事によると、今度の反日デモは、小泉首相の毎年行う靖国神社参拝、歴史教科書における加害事実の削除などから溜まりに溜まっていた悪感情が、最近の日本の国際連合常任理事国入り提示ということで一気に爆発したことが要因のようだ。北京の日本大使館、日系の商店、料理店がデモ隊のターゲットにされ、暴徒化したデモ隊により石を投げつけられ破壊行為に転じることまで起こっている事態だ。
 そして、この暴動を含めた反日抗議行動は日に日に中国全土に広がり、勢いも増している。
 デモに参加しているのは中国人でもごく一部の者達なのだろうが、だが、周囲を敵に囲まれ戦場に取り残されたような気分だ。
「俺、自分のことを韓国人だって言ったんだ」
と若い大学生の日本人が言った。彼は、外出禁止に耐えられず外に出たのだが、どうやら日本人であることを悟られそうになってとても怖い思いをしたらしい。
 生まれて初めてだ。自分が日本人であることが呪わしく思えたのは。日本の政治家達が憎らしかった。きちんと選挙に行って政治に関心を持ち、こんな揉め事を起こす政治家達を選ばなければ良かったと思えた。もちろん、中国にだって非はある。反日感情がここまで増大した背景には中国政府が推し進めた愛国心高揚のための日中戦争における日本軍による被害を強調した教育も要因となっている。だが、今までの経緯を考えると日本側も神経を逆撫ですることが多かったように思える。
 高校時代、歴史の先生が言っていたことを思い出す。先生は、左寄りのタイプの人で、その立場から生徒達にこう語った。日本人は自分たちが侵略戦争を始め、交戦国の市民に多大な被害を与え、その結果負けたことを忘れてしまっている。戦争の話しを蒸し返されれば、いつも悪者にされてしまうのは、やも得ぬことと受け流さないとならない。そして、かつてのことを反省し、もう軍国主義国家でないという姿勢を示し続けなければならない。そういう立場なのだと。
 実際のところ日本で戦争といえば、広島・長崎の原爆、東京大空襲、自分たちが被害者となった物語しか語ろうとしない。
 最近になって、そのツケを払わされている感じだ。皮肉なことに、首相の靖国参拝で象徴されるように、むしろ社会は右傾化して、過去のことを美化するような方向にある。
 これはどうしようもならないことなのか。日本と中国の関係はどうなっていくのだろうか。このまま行けば国交が断絶しかねないかも。そうなると中国語を学ぶ意味なんてないのかも。
 月曜日となり、授業が始まった。王老師は、雅夫の不安気な表情から、雅夫の心理状態を悟った。
「ねえ、こんな状態じゃあ、あなたも勉強に集中はできないわよね」
 雅夫はとても弱気な口調で言った。
「大丈夫です。お金払って、はるばる来たんだから、その分はしっかり勉強します」
 こんな返事をするのがやっとだった。雅夫は中国語を習う気力を一挙に失っていた。
「ねえ、あなたがそんな気分じゃあ、教える私も嫌よ」
と王老師。じゃあ、辞めてしまえと言うのか。残りの授業代を払い戻してくれるのか。
「思い切って、課外授業と行かない。学院を出て、北京を観光するの。私がガイドになってあげる。私が一緒だから、あなたが日本人だということは隠せるわ。カップルの振りをするのよ」
 雅夫は不安げな表情から驚きの表情に変わった。何という大胆なことを、と思った。
「それはできないでしょう。だって、カップルの振りをするなんて、あなたの愛人(夫)が許さないでしょう」
「私がいつ結婚していると言ったのかしら」
と王老師は答える。
「だって、我有愛人って言ったじゃないですか」
と雅夫。
「ああ、あれは会話の練習の一貫よ。単に受け答えのパターンとしてそう言っただけ。本当の私がどうだかという意味じゃないわ」
と王老師はあっさりと答えた。
 雅夫は、しばらくあっけに取られた。絶望の淵から、手を突然差しのべられたような気分になった。
「どう、北京観光には行きたくない?」
「是非とも、喜んで」
と雅夫はうきうき気分になって答えた。

第5章へつづく。
by masagata2004 | 2007-06-24 21:04 | 自作小説 | Trackback | Comments(0)


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